2012年5月20日 (日)

3730系新一宮⇔玉ノ井ダラ

M3758何だかこのところ週一運行になってしまいましたが、休日運行を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、若い人でもタイトルで大体お分かりですね。今では、この当時の面影を探しても見つからない位に大変貌を遂げてしまいましたね。

もともと新一宮は2面4線の発着線を持っていたようですが、この頃には2面3線となっていました。写真をよく見ると、尾西線ホームの継ぎ足した後と、何となく不自然に突き出た本線のホームが確認できると思います。
今でこそ、JRに圧されて『閑古鳥』の鳴く一宮ですが、当時はだだっ広い国鉄ホームは人影も疎ら、と言うよりは殆ど人影もなく、ひっきりなしに到着していた名鉄のホームにはご覧のとおり乗客が絶えませんでした。

それで、少しでも本線ホームを広げるために、尾西線の片線を本線に転用して、その分、本線のホームを拡張した姿でした。それでも決して広いホームではありませんでしたから、拡張前はいかに狭かったかがお分かりだろうと思います。今も基本的には土地配分を変えていないようですが、尾西線の脇には旧『起線』ホームを転用したバス発着所もあり、新一宮の駅舎もありましたから、今では結構広いホーム(構内)になっていますね。

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2012年5月13日 (日)

土居下(仮)駅の3700系瀬戸急行

C2708休日運行も『運休』がちですみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、今までにも何度かご紹介していますのでお分かりですね。
土居下(仮)駅は、瀬戸線の『お濠区間』が廃止されたS51年2月から栄町開業のS53年8月まで約2年半のみ存在していましたね。飽くまで『仮駅』ですから、本当に『安普請』な感じでした。

名鉄としては当初、清水駅までで『暫定営業』するつもりだったのですが、瀬戸線で県庁・市役所への通勤者や用務客も結構あったことから、急遽、(旧)土居下駅になるべく近くまで『暫定営業』区間を伸ばして、代行バス利用をせずとも県庁・市役所へ行けるようにしたものです。
休日の日中しか見たことはありませんが、確かに少なからず代行バスには乗らずにそのまま歩いて何処かへ向かう人も多く、私が見た限りでは、代行バスの利用者は土居下での降車客の半数にも満たない(1/4~1/3くらい)感じでした。

写真は3700系ですね。600V時代でも最晩年の写真ですので、既に『赤一色』化されていますね。当時の600V車両の中にいると『大型車』に見えまね。継ぎ目のない鋼製車体も唯一であり、瀬戸線の中では十分に光って見えました。面白いもので、本線に戻されてからも同車を何度も目にしていますが、完全に他のHL車の中に埋没してしまいましたね。強いて言えば、本線系の車両よりも状態が良かった(無理をしていなかった?)ために、3700系の中では『長生き』でした。

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2012年5月 6日 (日)

7000系犬山ダラ

M7000休日運行を続けましょう。ちょっと光線が被った写真ですみません。最晩年にはよく入っていた『犬山ダラ』ですが、写真当時も結構普通に見られました。
当時はまだまだP車も『現役特急車』の時代でしたが、本線系の高速・急行はもとより、ダラにも結構入っていました。ちょっと分かりにくいですが、車内をよく見ると緑モケットにねずみ色のシートカバーが覗いていますね。

この頃の『特急車』は赤モケットに白カバーが標準となっており、一応、定期特急はその仕様が守られていました。写真の車両はその選に漏れた車両ですが、臨時特急大増発の折には殆ど全てのP車が駆り出されていましたね。

それにしてもこのP車の『おでこ』は汚れていますね。当時の名鉄は車両洗浄の周期が15日程度と言われており、大方の車両が結構薄汚れていたのですが、P車は特に洗浄しづらい形状のせいもあって、おでこは結構汚れた感じになっていました。前面だけは、終着駅でしっかり磨いて貰っていましたので、展望席のガラスだけはきれいでしたが…。

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2012年5月 5日 (土)

870形日野橋ダラ

M08703GW中にも拘らず、結局土日運行と変わらなくてすみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処かお分かりでしょうか。
一見すると複線の『右側通行』をしているようにも見えますね。今までにも何度かご紹介したのでお気づきの方も多いと思いますが、徹明町の美濃町線停留所を丁度出たところです。

当時は日野橋で美濃行きと接続を取るダイヤが採用されており、徹明町~日野橋間を折り返し運転していました。美濃町線の『岐阜市内均一区間』は日野橋まででしたから、ちょうど、市内電車の運行と言ったところでしょうか。後に徹明町系統の折り返しは野一色に変更されていますが、日野橋まで運転してもあまり乗客がいなかったためと聞いています。
本音を言えば競輪場前で折り返したかったのでしょうが、さすがに競輪場前接続では乗客の安全が確保できなかったのでしょうね。

そう言えば、この徹明町~競輪場前間は当時でもそれほど乗客が多くなかったのですが、廃止すると岐阜工場が孤立してしまうため、最後まで維持していましたね。最晩年は30分に1本とおよそ『市内電車』とは思えないダイヤでした。
岐阜の繁華街と言えば柳ケ瀬や徹明町辺りの商店街が有名だったのですが、当時でさえ、新岐阜の駅前や名古屋へ出掛けるのが主流だったこともありますが、やはり、自家用車よりも時間の掛かる電車が敬遠されていたことが大きいようです。

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2012年4月29日 (日)

8000系北アルプス号【御礼58000count突破】

D8000休日運行2日目を進めて参りましょう。皆様のご愛顧を賜りまして、お陰様で58000count突破を迎えることが出来ました。
お礼としては『お約束』(?)の8000系ですね。暫く登場していませんでしたが、こんな写真を選んでみました。(そんなにいい写真ではありませんが)

ここは何処かお分かりでしょうか?。『北アルプス』号が走る区間(路線)で、名鉄としては規模が大きめの橋上駅、と言えばかなり絞られてきますね。神宮前ではないのは一目で分かりますから、そうなれば自ずと駅名が出てくるかと思います。そもそも、現在もあまり変わってはいませんし…。

犬山検車区と共に駅前の再開発が行われて、犬山駅も『中核駅』としての風格が、写真を撮ったこの頃にようやく整ったところでした。再開発前には確か紡績工場が隣接していたはずで、今の東口はありませんでしたね。駅舎も開通時からの木造駅舎を、それこそ昭和の終わりまで70年以上も使用していたのも、比較的早くから計画があったためでした。
この辺は、名鉄は結構徹底していましたね。どうせ建て替えが予定されている駅には、余計な『投資』を避けて、使える限り『使い倒す』。再開発前には相当に手狭になっていた犬山駅も、その例外ではありませんでした。

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2012年4月28日 (土)

新岐阜駅前の賑わい

0554休日運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、言わずもがなですね。今ではすっかり様相が一変して、町の佇まいすら見る影もない位に変わって(変わり果てて)しまいました…。

撮影したのは確か正月三が日(の何れか)だったと思いましたので、特に多いのですが、それにしてもこの賑わい、やはり軌道線(市内線)があればこそのものですね。背後に写った新岐阜百貨店も、まだこの頃は十分に『集客力』もあり、名岐間の移動は殆ど名鉄が独占していた時代でした。

今までにも550形は何度かご紹介していますが、偶然とはいえ、なぜかこの554号をよく写しています。550形そのものは市内線車両では最大の勢力(10両)を誇っていましたので、形式そのものは決して珍しくありませんね。でも、その分、本来なら個別の車両を撮影する確率はバラけるはずなんですが、こういうこともあるものですね。

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2012年4月22日 (日)

880形新岐阜ダラ

M0880休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はもう一つの600V線を選んでみました。ここは何処か、見る人が見ればお分かりですね。上芥見~白銀間の結構有名な撮影地でしたから、ご記憶の方も多いかと思います。

この辺りが、言うなれば最も『美濃電』時代の雰囲気を残していたのではないでしょうか。(さすがに道路は舗装されていませんが)
道路の片隅にある軌道、その昔(明治時代)の『路面電車』はそれが『標準』だったようですね。確かに郊外路線で単線を敷設する場合、わざわざ真中に敷設するよりも理に適っているように思います。国道沿いの区間もそうでしたが、路面軌道区間が舗装されていないのが何とも言えませんね。そんな路線が21世紀まで、曲がりなりにも残っていたのは奇跡に近いことでした。

写真は美濃町線の主力だった880形ですね。屋根上をご覧になれば、晩年の『冷房改造』後との違いがお分かり頂けると思います。当時はまだ770形の登場前ですから、600V区間の冷房化率は0%でした。よってカルダン車もこの880形が唯一で、暑苦しい『釣り掛け音』を響かせているのが普通の時代でした…。

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2012年4月21日 (土)

2320形谷汲ダラ

C2326休日になりましたので、運行再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、大方お分かりだろうと思います。最晩年はここでの離合を目当てに大勢のギャラリーで賑わいましたね。谷汲線で唯一の交換駅と言えば、言わずと知れた北野畑ですね。当時はまだ30分に1本が運転されており、ここ北野畑での交換も珍しくありませんでした。

写真は旧愛電が豊川乗り入れ時に登場させた電7形の晩年の姿、2320形ですね。ちなみに、この時に乗り入れたのは現在のJR豊川駅です。愛電の旅客車両としては最後まで残った同形ですが、登場時はまさか宿敵名岐の車両に牽かれて、こんな鄙びたローカル線を走ることになろうとは、想像だにしていなかったでしょうね。

さて、このク2326号はもともと瀬戸線からの転属車ですね。瀬戸線でも700形に牽かれていましたので、ここ揖斐・谷汲線でもそのまま活躍しています。ちなみに、愛電車両の殆どが制御車(付随車)として残っていたのは、制御方式の関係ですね。愛電車両の殆どがHL制御でしたので、AL制御を採用していた名岐車両を電動車として生かし、愛電車両は制御車に改造(電装解除)されていました。

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2012年4月15日 (日)

架線が残る西中金駅

Photo休日運行2日目を進めて参りましょう。毎度、脈絡がなくてすみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここはつい最近(と言ってもかれこれ10年近く前になりますが)かなり注目されていた場所でもありますから、写真をご覧になっただけでも、十分お分かりですね。

当時はまだ朝夕に『電車運行』も残っていたはずで、写真に写った架線も生きていたはずです(日中は送電を止めていたかもしれませんが)。架線を撤去したのはいつ頃なのか、私には不明ですが、撤去後の姿を見たとき、思わず『廃線』かと見まがう程に変わってしまうものか、と悄然としたのを思い出します。

名鉄の『終端駅』はどこもあまり派手さはありませんが、この西中金駅だけは一際寂しい感じでしたね。この時よりも前に訪ねたときは、確かもう少し線路も架線も駅から足助方面へ延びており、いつの間にか『消える』ように無くなっていたと思いましたが、この時には一応『車止め』も設置されて、架線の終端も短縮されていました。似つかわしくない真新しいコンクリート柱からして、この写真を撮った頃からさほど変わらない時期に『終端処理』されたようですね。この架線柱は10年も使わないうちに『用済み』になってしまったのではないでしょうか。

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2012年4月14日 (土)

7000系+7700系白帯内海特急【御礼57000count突破】

M70007700休日運行の再開です。この1週間足らずの間に、お陰様で1000count超のアクセスを賜りまして、誠に有難うございます。『お約束』としては5700系の写真なのでしょうが、折角ですから7000系白帯の写真を選んでみました。(5次車でも、そんなにいい写真でもありませんが…)

このアングルなら、ここは何処かお分かりの方も多いと思います。これも、前回ご紹介した写真とほぼ同じ場所から狙ったもので、新堀川土手から神宮前に向かって撮ったものです。こちらの高架化はかなり早い時期に行っていますね。新堀川の土手(橋梁)がかなり高い位置にありましたから、それを介して新しい高架橋を延長する感じで工事が行われていました。
その土手にも踏切があったのですが、今はどうなっているのでしょうか。それほど交通量もなく、道路にはなっていても只の『土手の天辺』といった感じのでこぼこ道だったと記憶していますが、ひょっとすると、今は車両通行止めになっているのかも知れません。

背後の『壁画』のビルも、今では建て替えられたのではなかったでしょうか。常滑線そのものは最近も乗車してはいますものの、この辺の『変化』に関しては疎いですね。当時としては結構斬新な感じがしたのですが、今、こうして写真を見ると、やはり『時代』を隠し切れないですね。特に、屋上の表示にはまんま『昭和』と言った感じですね。今や、名駅前の名物だった『大名古屋ビルヂング』の表示もなくなってしまいましたし…。

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