2013年4月21日 (日)

【御礼80000count突破】8000系『北アルプス』号

D80001今年最初の運行が4月下旬と随分長い『運休』となりまして、失礼致しました。にも拘らず、変わらぬご愛顧を頂きまして、お陰様で80000count突破を迎えることができました。
御礼方々、運行を再開致します。(とは言え、今後の『運行予定』は未定ですが…) さて、80000countと言えば、やっぱりお約束のコレですね。ここは、今もそう変わっていません(改築後)ので大方お分かりですね。P車用のオーバーハング型『停車位置表示』もまだ真新しいですね。

この8000系はご承知の通り、名鉄では当時唯一の『特急専用車』として新製された車両ですね。新造車としては、これよりもう少し後に登場の1000系まで23年間開くことになりますから、新製当時としては随分『思い切った』車両でした。豪華さに於いてはそれこそ『折り紙つき』。名鉄は勿論のこと、国鉄の『準急車両』としても破格の設備を備えたいました。
しかし、昭和も末期、登場後20年を経過した写真当時の頃には、その設備も『くたびれ』が目立ち始め、名鉄の車両事情による『狭い車内』は、日本人の急速な『体格』向上もあって『致命傷』になりつつありました。当時の国鉄82系も結構キテいましたので、それほど『格差』は感じなかったのが救いでしたが…。

国鉄末期のこの時期は、件の82系延命措置として、もともと『金沢行き』であった『ひだ』の代わりに、再び『北アルプス』が富山まで足を延ばしている頃ですね。国鉄側としては『金沢代替』を期待したようですが、如何せん8100形の調子がイマイチだったため、車両運用に『余裕』がなくなり、結局『富山打切り』で話がまとまったようです。
そんな『恩』を『仇』で返すかのように、JR化後は徹底的に『邪魔者扱い』を受けていますね。『地鉄乗り入れ』は地鉄側の『都合』(駅舎建替え)もありましたから致し方ないとしても、『高山打ち切り』の『北アルプス』号では、やっぱり締まらない感じでしたね。

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2012年12月30日 (日)

100系豊田市ダラと3730系碧南ダラ

M01423732今年最後の運行です。締め括りに相応しいかどうかは疑わしい限りですが、今回はこんな写真を選んでみました。
ここは、行先で十分お分かりですね。駅全体の感じは変わったものの、まだこの辺りは往時の面影を残しています。が、そろそろ太田川以上に大々的な工事が始まりそうですね。(もう始まっているのでしょうか?)

写真は、まだ『豊田新線』の開業前。100系の先行落成車が運行を始めたばかりのものです。時折、今も知立まで顔を出しているのでしょうか、最新の状況は私には不明ですが、当時は『足慣らし』として、知立~豊田市間の急行・ダラに使用していました。記憶が間違っていなければ、この時は111Fが『急行運用』に、そしてこの112Fが『ダラ運用』に入っておりました。

111Fと、最近は112Fも“VVVF化”を施したようですね。と言うことは、100系はもう少し『延命』するようですが、ステンレス車では実績のある“VVVF化”換装ですが、純鋼製車の100系をいつまで使うつもりなのか、ちょっと疑問が残る処置ですね。鶴舞線内では、特に夏場の『抵抗制御車』が不評のようですから、乗客に取っては僅かばかりでも『涼しく』なるようですが…。

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2012年12月23日 (日)

犬山検車の7300系

M7300週1運行を再開致しましょう。7300系も暫く出していませんでしたので、今回はこんな写真を選んでみました。ここは現役施設ですから、皆さんお分かりですね。まるで警報中の踏切内撮影に見えますが、本線のポイントをご覧いただければお分かりのように、検車場内を入換中の車両です。

7300系は、若い人では7000系列に『含まれる』ようですが、私の感覚では『含まれない』(除外車両)となります。確かに、車体こそ7000系7次車そのもの、ミュージックホーンも付いていたものの、所詮はやっぱり『AL車』の仲間として扱っていました。
保有車両全車の『パノラマ化』を意図したために計画された7300系ですが、そもそも中途半端(企画倒れ)な感じでしたね。

さて、写真は確か4両口だったと思います。他のAL(OR)車と同様にMcTMTcの動力配置で、台車も当初は種車(3800系)流用品のD-18、後にM台車は『FS-36』に換装していますね。3880系が廃車になった後は、確かKS台車に履き替えたのではなかったでしょうか。名鉄の特徴の一つに、この頻繁な『台車の履き替え』がありますね。最後の最後まで『使い倒す』名鉄の面目躍如と言った所ですが。(だから、名鉄の廃車は中古市場で人気がないのでしょうが…)

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2012年12月16日 (日)

瀬戸線時代の703号

M0703休日運行を再開致しましょう。
今回も70000countにちなんで、こんな写真を選んでみました。703号と言えば、揖斐・谷汲線で活躍していたのをご記憶の方も多いかと思いますが、その前にはこの通り、瀬戸線に所属していました。

喜多山の風景は一変してしまいましたね。もう少しすると2面4線の『緩急接続』可能な駅として面目を一新するようですね。写真の背後に写っているビルも解体されて、今は仮駅で営業中のようですね。
『新』喜多山駅は元々この喜多山分工場があった場所にできるようですから、若干瀬戸寄りに移動するようですね。

さて、この703号は揖斐・谷汲線に転属後の写真も何度かご紹介していますね。瀬戸線時代に既に『片運化』されていましたので、2320形が欠かせない存在でした。
転属後も引き続き『相棒』と一緒だったのですが、忠節止まりの列車を市内線直通化する目的で登場した780形と入れ替わりに『引退』していますね。何でも、しっかり(根こそぎ)運転台機器を撤去していたために復活が難しかったようで、運転台の復活が容易だった750形が『単行運転』に使われるようになったためでした。

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2012年12月 9日 (日)

【御礼70000count突破】7000系名古屋ダラ

M70001一週飛ばしてしまった間に、皆様方のご愛顧を頂いてお陰様で70000count突破を迎えることが出来ました。お礼と言っては何ですが、やっぱりコレですね。
浜P/Mさんからご教授頂いた『鑑定方法』を誤解していなければ、これは1次車で間違いないはずですが、合っていますでしょうか。(一応、その前提で書き進めたいと思います)

当時は、まだまだ7000系が名鉄に『ウジャウジャ』居た時代。6000系こそ登場していましたものの、まだ『最大勢力』は7000系でした。写真の左隅にもしっかり写っていますね。(本線系の各線に乗って、7000系を見ない方が至難の業でした…)
この世に存在するのは、辛うじて残った舞木の2両と、中京競馬場の3両、計5両のみ(中間車は1両きり)となってしまったのが、今以て信じられない気分です…。

さて、写真をよくご覧頂くと、運転席の窓周りはまだ登場時の『金具止め』のままですね。この写真でも、結構痛んでいる感じがお分かりかと思います。この写真から数年後には、全車が『黒Hゴム』化されていますので、1次車に限っては2階部分の窓周りが『ウイークポイント』だったようですね。聞くところに拠ると、この『金具止め』では窓ガラスの密着が悪くて、頻繁に『雨漏り』したための措置であったようですね。

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2012年11月25日 (日)

続 昔日の赤岩口車庫

3201b週1運行の再開です。今回も往年の豊鉄をご紹介しましょう。とは言え、こんな写真しか残っていませんが、一応、豊鉄の古老である3700形が写っていますんで…。
後に整備を受けてレトロ塗装も施されて、随分ときれいになっていますが、当時はご覧の通り十分に『年季』の入った感じで、この当時から『長老』でした。まさか21世紀まで残ろうとは、当時ですら思いもよらない状況でした。

3700系は当時でも『休み休み』と言った感じで、こうして赤岩口で休んでいたり、競輪場前にある側線で休んでいたり、と言った具合で、なかなか営業運転に就いている姿を見ることができませんでした。最晩年は相当『大切』にされたようですが、当時は単なる『ポンコツ』扱いでしたね。とは言え、それなりに大切にしていたからこそ、世間が『レトロ』に目を向けるまで現役でいられたのでしょうが。

ちなみに手前は3300形で、奥は車番の通り3200形です。そう言えば、当時では珍しかった豊鉄名物の『車体広告』も、今は一般化してしまいましたね。当時は車体にペンキで『手書き』していたそうで、車庫の係員さんが書いていたようです。これも、車両塗装用『ペンキ』の節約をするために編み出した『苦肉の策』だったようですね。

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2012年11月18日 (日)

高師車庫の豊鉄1720系

1721週一運行の再開です。今回はちょっと趣向を変えてこんな写真を選んでみました。
この高師車庫の建物は失火で全焼してしまっていますね。ご覧の通り、当時でさえ年季の入った木造の建屋で、恐らく、開業当時そのままの建物だったのではないかと思います。碍子を2つ並べた横の配線は多分、一般(電灯線)の配線でしょう。戦前の建物では一般的な配線方法でした。
(ちょっと見ると、まるで列車無線用の漏洩同軸ケーブルのように見えますが)

写真は名鉄3800系の車体を使用した1720系ですね。廃車した3800系の走行機器は全て7300系へ『流用』していますから、車体(上回り)のみの譲渡となっており、豊鉄では、確か旧国の『下回り』を組み合わせて使用していたはずです。
後に7300系も豊鉄へ譲渡していますから、上下バラバラに、それも随分と時期が離れて譲渡された感じですね。

頭(前照灯)がちょっと切れてしまっていますが、豊鉄の鉄道車両は全て『角形2等式』の前照灯へ交換されていますね。
当時の名鉄ではまだまだ従前の1灯式が幅を利かせていた時代ですが、豊鉄は早々に2灯式シールドビームへの交換を終えています。この辺は、小所帯で『小回り』の利くところですね。

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2012年11月11日 (日)

3700系土居下準急

Hl3708週一運行の再開です。今回も600V時代の瀬戸線をご紹介致しましょう。そう言えば、瀬戸線も4000系の増備がかなり進んだようですね。この写真の頃の面影も段々となくなって、もう数年すると銀一色の『純通勤路線』と化すのでしょうね。
(今でも完全な『通勤路線』ですが)

当時も一応は『通勤路線』だったのですが、それよりも瀬戸~名古屋の『都市間連絡』の方が重視されていた感じですね。ですから、当時の急行(S52年以前の『特急』)は大曽根を出ると三郷のみに停車して、ひたすら瀬戸を目指す感じで走っていました。
(とは言え、所要時間は現在と変わらない程度でした…)

写真の3700系は当時の瀬戸線では『最新鋭』車両と処遇されていましたが、実は、他車(900形・700形など)はいわゆる『AL制御車』だったのですが、この3700系のみHL制御のままでした。もともと900形はHL制御車で、この3700系に制御器を譲っているのですが、巡りあわせとは面白いものですね。

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2012年11月 4日 (日)

3700系土居下特急と大曽根ダラ

M37083706週一運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、今までにも何度かご紹介していますので、お分かりですね。今は僅かに『遺構』が残っているようですが、この写真に撮った辺りは当時とは逆に、ホームの終端(栄町寄り)付近になっているようですね。

当時の尾張瀬戸駅は『貨物駅』の一角に『旅客駅』がある感じでした。『せともの』関係の輸送はトラック輸送が主流に切り替わっていましたものの、まだまだこの頃はそれなりの取扱量があったようで、瀬戸~大曽根間の貨物列車も定期で設定されています。とは言え、この頃から急速に貨物の輸送量が減少して、スジは設定されていても『運休』となる日も増えていったようですね。

駅舎は現存するとは言っても特に何も使用されていないようですが、当時は2階の食堂もまだ営業中で、昭和初期を感じさせる佇まいでしたっけ。ただ、今ではそれなりに持て囃されている『昭和レトロ』ですが、当時はただ単に『過去の遺物』としか認識されていなかったせいもあって、それから程なくして『閉店』の憂き目に遭っています。今、それなりに整備して『復活』させれば、結構な人気店になることでしょうが、何せ30年以上も営業していなければ、そうおいそれと『復活』は出来ないでしょうね。

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2012年10月28日 (日)

デキ600とデキ300

Dk604dk302ネタ切れ気味ですが、週一運行を再開致しましょう。今回はこんな写真でご勘弁下さい。ここは何処かは大体お分かりですね。当時はまだ貨物輸送が細々ながら『現役』の時代でほぼ常駐していましたから、ここに行けばデキが寝ているのが普通でした。

名鉄の場合、デキの『重連』は滅多に行いませんね。確か、7500系の廃車回送時に、神宮前の坂を押し上げるためにデキ600の『重連』を使ったくらいだったと思います。
この写真ではまるで『重連』で運用していたように見えますが、運用では多分『プッシュプル』(貨車の両端に連結)する形ではないかと思います。(名鉄のデキは『総括制御』ができませんから…)

半分しか写っていませんのでちょっと分かりにくいのですが、ちなみにデキ300の方は初期ロット(日車製・オリジナル)のデキ302ですね。このデキ300は初期(301・302号)と後期(三菱製303~305号)に、最後は注文流れ車(同306号)と3タイプに分かれますね。初期車と後期車では全く『別物』のような感じだったのですが、後期車と『注文流れ』はそれほど違和感は感じませんでした。

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