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2010年10月20日 (水)

3700系西中金ダラ

M3700 碧南駅を出したついでと言ってはなんですが、今回は同じ時期の猿投駅の写真を選んでみました。

もちろん、当時は西中金まで“電車”が走っていた時代ですから、知立直通もあったのですが、山線の末端区間は早い時期から変則的なダイヤを組んでいましたので、猿投で系統分割されたスジも多く設定されていました。記憶が確かであれば、知立~猿投間は30分に1本あったのが、猿投~西中金間は40分に1本だったと記憶しています。

そんな感じでしたから、猿投駅で最大20分程の接続待ちが生じていました。そういえば当時、谷汲線などの600V区間より『山線』の方が危ない、と言われていましたっけ。(当時、30分に1本未満の列車設定だったのはこの区間だけでした)

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コメント

こんばんは。
おっしゃるように、昼間は西中金までは40分に1本でした。知立→猿投間は20分に1本か30分に1本か忘れたのですが、昔時刻表で確認もせずに行って、猿投でかなり待たされたのを覚えています。

投稿: 中京 | 2010年10月23日 (土) 00:41

連続のコメント、有難うございます。

確かこの頃から『西中金連絡』の系統版があったと思いました(1時間に1本位?)。それに乗ればスムーズ(数分乗り継ぎ)でしたが、他は殆ど20分待ちを食らった憶えがあります(そう何度も乗ってはいませんが)。

投稿: AoNamazu | 2010年10月23日 (土) 05:52

はじめまして。
ブログを拝見させていただきましたが、どれも今となっては貴重な写真で、日頃からの記録が大切だということを痛感いたします。

さて、三河山線の末端区間のデータイム時のダイヤについてなのですが、調べたところによると昭和54年7月29日改正から昭和59年9月1日改正までは、知立~猿投間が20分ヘッド、猿投~西中金間が40分ヘッドだったようです。
また、昭和59年3月20日改正時点では、猿投~西中金間のみの運転は無かったみたいです。

投稿: CP | 2011年3月 7日 (月) 17:39

CPさん、こんばんは。
こちらこそ、はじめまして。

詳細なご調査を有難うございます。
写真は昭和57年に撮ったものですので、仰るように昭和54年7月29日改正以降(豊田新線開業後)のものです。
当時は既に20分毎でしたか(いつから20分毎だったか記憶が曖昧でした)。どうやら、新線開業前のダイヤと混同していたようです。

ご指摘有難うございました。
また何かありましたら、お気軽にご指摘下されば幸いです。(何分、記憶がごっちゃになっている部分もありますので…)

投稿: AoNamazu | 2011年3月 7日 (月) 20:27

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