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2012年4月の9件の記事

2012年4月29日 (日)

8000系北アルプス号【御礼58000count突破】

D8000休日運行2日目を進めて参りましょう。皆様のご愛顧を賜りまして、お陰様で58000count突破を迎えることが出来ました。
お礼としては『お約束』(?)の8000系ですね。暫く登場していませんでしたが、こんな写真を選んでみました。(そんなにいい写真ではありませんが)

ここは何処かお分かりでしょうか?。『北アルプス』号が走る区間(路線)で、名鉄としては規模が大きめの橋上駅、と言えばかなり絞られてきますね。神宮前ではないのは一目で分かりますから、そうなれば自ずと駅名が出てくるかと思います。そもそも、現在もあまり変わってはいませんし…。

犬山検車区と共に駅前の再開発が行われて、犬山駅も『中核駅』としての風格が、写真を撮ったこの頃にようやく整ったところでした。再開発前には確か紡績工場が隣接していたはずで、今の東口はありませんでしたね。駅舎も開通時からの木造駅舎を、それこそ昭和の終わりまで70年以上も使用していたのも、比較的早くから計画があったためでした。
この辺は、名鉄は結構徹底していましたね。どうせ建て替えが予定されている駅には、余計な『投資』を避けて、使える限り『使い倒す』。再開発前には相当に手狭になっていた犬山駅も、その例外ではありませんでした。

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2012年4月28日 (土)

新岐阜駅前の賑わい

0554休日運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、言わずもがなですね。今ではすっかり様相が一変して、町の佇まいすら見る影もない位に変わって(変わり果てて)しまいました…。

撮影したのは確か正月三が日(の何れか)だったと思いましたので、特に多いのですが、それにしてもこの賑わい、やはり軌道線(市内線)があればこそのものですね。背後に写った新岐阜百貨店も、まだこの頃は十分に『集客力』もあり、名岐間の移動は殆ど名鉄が独占していた時代でした。

今までにも550形は何度かご紹介していますが、偶然とはいえ、なぜかこの554号をよく写しています。550形そのものは市内線車両では最大の勢力(10両)を誇っていましたので、形式そのものは決して珍しくありませんね。でも、その分、本来なら個別の車両を撮影する確率はバラけるはずなんですが、こういうこともあるものですね。

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2012年4月22日 (日)

880形新岐阜ダラ

M0880休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はもう一つの600V線を選んでみました。ここは何処か、見る人が見ればお分かりですね。上芥見~白銀間の結構有名な撮影地でしたから、ご記憶の方も多いかと思います。

この辺りが、言うなれば最も『美濃電』時代の雰囲気を残していたのではないでしょうか。(さすがに道路は舗装されていませんが)
道路の片隅にある軌道、その昔(明治時代)の『路面電車』はそれが『標準』だったようですね。確かに郊外路線で単線を敷設する場合、わざわざ真中に敷設するよりも理に適っているように思います。国道沿いの区間もそうでしたが、路面軌道区間が舗装されていないのが何とも言えませんね。そんな路線が21世紀まで、曲がりなりにも残っていたのは奇跡に近いことでした。

写真は美濃町線の主力だった880形ですね。屋根上をご覧になれば、晩年の『冷房改造』後との違いがお分かり頂けると思います。当時はまだ770形の登場前ですから、600V区間の冷房化率は0%でした。よってカルダン車もこの880形が唯一で、暑苦しい『釣り掛け音』を響かせているのが普通の時代でした…。

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2012年4月21日 (土)

2320形谷汲ダラ

C2326休日になりましたので、運行再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、大方お分かりだろうと思います。最晩年はここでの離合を目当てに大勢のギャラリーで賑わいましたね。谷汲線で唯一の交換駅と言えば、言わずと知れた北野畑ですね。当時はまだ30分に1本が運転されており、ここ北野畑での交換も珍しくありませんでした。

写真は旧愛電が豊川乗り入れ時に登場させた電7形の晩年の姿、2320形ですね。ちなみに、この時に乗り入れたのは現在のJR豊川駅です。愛電の旅客車両としては最後まで残った同形ですが、登場時はまさか宿敵名岐の車両に牽かれて、こんな鄙びたローカル線を走ることになろうとは、想像だにしていなかったでしょうね。

さて、このク2326号はもともと瀬戸線からの転属車ですね。瀬戸線でも700形に牽かれていましたので、ここ揖斐・谷汲線でもそのまま活躍しています。ちなみに、愛電車両の殆どが制御車(付随車)として残っていたのは、制御方式の関係ですね。愛電車両の殆どがHL制御でしたので、AL制御を採用していた名岐車両を電動車として生かし、愛電車両は制御車に改造(電装解除)されていました。

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2012年4月15日 (日)

架線が残る西中金駅

Photo休日運行2日目を進めて参りましょう。毎度、脈絡がなくてすみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここはつい最近(と言ってもかれこれ10年近く前になりますが)かなり注目されていた場所でもありますから、写真をご覧になっただけでも、十分お分かりですね。

当時はまだ朝夕に『電車運行』も残っていたはずで、写真に写った架線も生きていたはずです(日中は送電を止めていたかもしれませんが)。架線を撤去したのはいつ頃なのか、私には不明ですが、撤去後の姿を見たとき、思わず『廃線』かと見まがう程に変わってしまうものか、と悄然としたのを思い出します。

名鉄の『終端駅』はどこもあまり派手さはありませんが、この西中金駅だけは一際寂しい感じでしたね。この時よりも前に訪ねたときは、確かもう少し線路も架線も駅から足助方面へ延びており、いつの間にか『消える』ように無くなっていたと思いましたが、この時には一応『車止め』も設置されて、架線の終端も短縮されていました。似つかわしくない真新しいコンクリート柱からして、この写真を撮った頃からさほど変わらない時期に『終端処理』されたようですね。この架線柱は10年も使わないうちに『用済み』になってしまったのではないでしょうか。

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2012年4月14日 (土)

7000系+7700系白帯内海特急【御礼57000count突破】

M70007700休日運行の再開です。この1週間足らずの間に、お陰様で1000count超のアクセスを賜りまして、誠に有難うございます。『お約束』としては5700系の写真なのでしょうが、折角ですから7000系白帯の写真を選んでみました。(5次車でも、そんなにいい写真でもありませんが…)

このアングルなら、ここは何処かお分かりの方も多いと思います。これも、前回ご紹介した写真とほぼ同じ場所から狙ったもので、新堀川土手から神宮前に向かって撮ったものです。こちらの高架化はかなり早い時期に行っていますね。新堀川の土手(橋梁)がかなり高い位置にありましたから、それを介して新しい高架橋を延長する感じで工事が行われていました。
その土手にも踏切があったのですが、今はどうなっているのでしょうか。それほど交通量もなく、道路にはなっていても只の『土手の天辺』といった感じのでこぼこ道だったと記憶していますが、ひょっとすると、今は車両通行止めになっているのかも知れません。

背後の『壁画』のビルも、今では建て替えられたのではなかったでしょうか。常滑線そのものは最近も乗車してはいますものの、この辺の『変化』に関しては疎いですね。当時としては結構斬新な感じがしたのですが、今、こうして写真を見ると、やはり『時代』を隠し切れないですね。特に、屋上の表示にはまんま『昭和』と言った感じですね。今や、名駅前の名物だった『大名古屋ビルヂング』の表示もなくなってしまいましたし…。

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2012年4月 8日 (日)

7700系+7000系白帯内海特急

M77007000休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この写真だけで場所が分かった方、かなりの名鉄通ですね。
高架橋工事がおおよそ完成して、下り線ももう少しで移転する感じですね。高架橋なのに、今でもほぼ変わらず『ツライチ』からこんな感じで撮れる場所、と言えばかなり絞られるはずですので、ご興味があれば探してみて下さい。

撮影年代は車両構成でおおよそお分かりだろうと思います。まだ1000系は構想段階。8800系が登場したての頃です。必然的に、当時の『特急車』は7000系・7700系の独壇場で、この頃になると本線に限らず、定期運用の特急に関しては、一応『白帯車』のみで運用できるようになっていたはずです。

河和線の特急(内海特急)は当時でもまだ6両が基本で、白帯車は4連・2連しかありませんでしたから、定期運用はこんな感じとなっていました。河和・内海行に関しては『展望席』が先頭になりますものの、犬山方面では折角の展望席が塞がれてしまう憾みがありましたね。とはいえ、当時の名鉄に『P6s』はどう見ても『使い勝手が悪い』(輸送力調整の出来ない)編成になってしまいますから、致し方なかったのですが…。
この当時に『P6s』を出していたならば、その後どのような変遷を辿ったか、などと夢想したりもしますが、もし、登場したとしても、結構『短命』に終わったことでしょうね、きっと。

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2012年4月 7日 (土)

美濃町線の600形【御礼56000count突破】

M0600休日運行再開です。何だか運休中にも拘わらず、ご愛顧を頂きまして56000count突破と相成りました。お礼としてこんな写真を選んでみました。

600形は言わずと知れた美濃町線の『ヌシ』でしたね。880形が登場した後は、ちょっと影が薄くなりかけましたものの、それでも600V全線廃止まで1両ながら残っていましたので、やはり『ヌシ』だったのではないかと思います。『鉄軌直通』の構想はよかったのですが、ちょっと『登場』が早すぎたのかも知れませんね。

さて、この600形は旧型車の車体更新、というよりは、廃車パーツの『寄せ集め』といった感じでした。写真で良くお分かりの通り、特に台車はその近代的な車体とは似つかわしくない代物を履いていましたね。よく、屋根上の『抵抗器』を『冷房機』(室外機)と間違えられていましたが、これは狭い床下スペースからはじき出された結果でした。
そういえば、不思議なパーツとして、扉横に2段設置された『サボ受け』でした。全く使用された形跡がなかったのですが、なぜか(それも2枚分)そのまま撤去もされずに残っていましたっけ。

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2012年4月 1日 (日)

《AprilFool》7000系鳴海特急

M7000_2休日運行2日目を進めましょう。月も変わったことですし、今回は趣向を変えてこんな写真を選んでみました。ここはどこか、今までにもご紹介していますからお分かりですね。(今ではすっかり変わってしましました…)

新川工場~鳴海工場間の車両回送を『営業扱い』したのが鳴海~須ヶ口間の列車で、大体はダラか準急で運行されていたものが、P車に限っては『特急』(後に『高速』となる『一般特急』)で運行されていました。これはその当時、営業前に新川で待機していたP車を撮ったもので、これから鳴海に向かうところですね。
当時は頻繁にP車の編成『組み替え』を行っていた関係で、定期スジで設定された『鳴海特急』が存在していました。って言うのは全くのデタラメですから決して真に受けないで下さい。
(これではちょっとウソっぽかったでしょうか)

P車の組み替えを行ったのは昭和40年代。しっかりバックに写った8000系はもう『ヒゲ』面ですから、どう見ても昭和51年以降のものですね。更に白状すれば、この写真を撮った当時は既に『特急』=『座席指定』の時代で、いわゆる『白板特急』は過去のものとなっていました。
この写真も、今まで何度かご紹介したものと同様に、工場の方のご厚意で「好きなものを出してもいい」と仰って頂き、色々考えた末に、これもまず『あり得ない』ものをと撮ったものでした。
それにしても、やはりP車の『特』表示はいいですね。私に取ってP車は永遠の『特急車』であることを再認識しております。

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