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2012年5月の5件の記事

2012年5月27日 (日)

880形記念列車と590形【御礼59000count突破】

M0880592休日運行がどうも『週一運行』になってしまいましてすみません。そんな中にも拘らず、お陰様で59000coun突破と相成りましたので、取り敢えず今回はこんな写真を選んでみました。
『お約束』としては590形なんでしょうが、あいにく『在庫』にはこんな写真しか残っていませんで…。

今までにも何度かご紹介した880系デビュー当日の写真です。この駅は確か神光寺だったと思います。当時はまだ名鉄に『フリーきっぷ』は無く、普通に乗車券を買って出掛けていくより他なかったのですが、この写真は『便宜下車』を認めて貰い、対向車の待ち合わせ中に慌てて撮って、また同じ列車で美濃へと向かっています。

この当時の590形は既に美濃町線専用車になっていましたから、880形登場前までは、徹明町へ直通するスジが590形、新岐阜乗り入れは600形と『棲み分け』が決まっていたのですが、880形の投入によってそれが徐々に変化を見せていきましたね。
そういえば、590形は昭和32年製造ですから、名鉄にもカルダン車が投入された後ですね。名古屋市電などにもカルダン仕様の路面電車が登場していたのですが、制御器に多少『進化』は見られるものの、駆動関係は『釣り掛け式』のままでした。

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2012年5月20日 (日)

3730系新一宮⇔玉ノ井ダラ

M3758何だかこのところ週一運行になってしまいましたが、休日運行を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、若い人でもタイトルで大体お分かりですね。今では、この当時の面影を探しても見つからない位に大変貌を遂げてしまいましたね。

もともと新一宮は2面4線の発着線を持っていたようですが、この頃には2面3線となっていました。写真をよく見ると、尾西線ホームの継ぎ足した後と、何となく不自然に突き出た本線のホームが確認できると思います。
今でこそ、JRに圧されて『閑古鳥』の鳴く一宮ですが、当時はだだっ広い国鉄ホームは人影も疎ら、と言うよりは殆ど人影もなく、ひっきりなしに到着していた名鉄のホームにはご覧のとおり乗客が絶えませんでした。

それで、少しでも本線ホームを広げるために、尾西線の片線を本線に転用して、その分、本線のホームを拡張した姿でした。それでも決して広いホームではありませんでしたから、拡張前はいかに狭かったかがお分かりだろうと思います。今も基本的には土地配分を変えていないようですが、尾西線の脇には旧『起線』ホームを転用したバス発着所もあり、新一宮の駅舎もありましたから、今では結構広いホーム(構内)になっていますね。

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2012年5月13日 (日)

土居下(仮)駅の3700系瀬戸急行

C2708休日運行も『運休』がちですみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、今までにも何度かご紹介していますのでお分かりですね。
土居下(仮)駅は、瀬戸線の『お濠区間』が廃止されたS51年2月から栄町開業のS53年8月まで約2年半のみ存在していましたね。飽くまで『仮駅』ですから、本当に『安普請』な感じでした。

名鉄としては当初、清水駅までで『暫定営業』するつもりだったのですが、瀬戸線で県庁・市役所への通勤者や用務客も結構あったことから、急遽、(旧)土居下駅になるべく近くまで『暫定営業』区間を伸ばして、代行バス利用をせずとも県庁・市役所へ行けるようにしたものです。
休日の日中しか見たことはありませんが、確かに少なからず代行バスには乗らずにそのまま歩いて何処かへ向かう人も多く、私が見た限りでは、代行バスの利用者は土居下での降車客の半数にも満たない(1/4~1/3くらい)感じでした。

写真は3700系ですね。600V時代でも最晩年の写真ですので、既に『赤一色』化されていますね。当時の600V車両の中にいると『大型車』に見えまね。継ぎ目のない鋼製車体も唯一であり、瀬戸線の中では十分に光って見えました。面白いもので、本線に戻されてからも同車を何度も目にしていますが、完全に他のHL車の中に埋没してしまいましたね。強いて言えば、本線系の車両よりも状態が良かった(無理をしていなかった?)ために、3700系の中では『長生き』でした。

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2012年5月 6日 (日)

7000系犬山ダラ

M7000休日運行を続けましょう。ちょっと光線が被った写真ですみません。最晩年にはよく入っていた『犬山ダラ』ですが、写真当時も結構普通に見られました。
当時はまだまだP車も『現役特急車』の時代でしたが、本線系の高速・急行はもとより、ダラにも結構入っていました。ちょっと分かりにくいですが、車内をよく見ると緑モケットにねずみ色のシートカバーが覗いていますね。

この頃の『特急車』は赤モケットに白カバーが標準となっており、一応、定期特急はその仕様が守られていました。写真の車両はその選に漏れた車両ですが、臨時特急大増発の折には殆ど全てのP車が駆り出されていましたね。

それにしてもこのP車の『おでこ』は汚れていますね。当時の名鉄は車両洗浄の周期が15日程度と言われており、大方の車両が結構薄汚れていたのですが、P車は特に洗浄しづらい形状のせいもあって、おでこは結構汚れた感じになっていました。前面だけは、終着駅でしっかり磨いて貰っていましたので、展望席のガラスだけはきれいでしたが…。

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2012年5月 5日 (土)

870形日野橋ダラ

M08703GW中にも拘らず、結局土日運行と変わらなくてすみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処かお分かりでしょうか。
一見すると複線の『右側通行』をしているようにも見えますね。今までにも何度かご紹介したのでお気づきの方も多いと思いますが、徹明町の美濃町線停留所を丁度出たところです。

当時は日野橋で美濃行きと接続を取るダイヤが採用されており、徹明町~日野橋間を折り返し運転していました。美濃町線の『岐阜市内均一区間』は日野橋まででしたから、ちょうど、市内電車の運行と言ったところでしょうか。後に徹明町系統の折り返しは野一色に変更されていますが、日野橋まで運転してもあまり乗客がいなかったためと聞いています。
本音を言えば競輪場前で折り返したかったのでしょうが、さすがに競輪場前接続では乗客の安全が確保できなかったのでしょうね。

そう言えば、この徹明町~競輪場前間は当時でもそれほど乗客が多くなかったのですが、廃止すると岐阜工場が孤立してしまうため、最後まで維持していましたね。最晩年は30分に1本とおよそ『市内電車』とは思えないダイヤでした。
岐阜の繁華街と言えば柳ケ瀬や徹明町辺りの商店街が有名だったのですが、当時でさえ、新岐阜の駅前や名古屋へ出掛けるのが主流だったこともありますが、やはり、自家用車よりも時間の掛かる電車が敬遠されていたことが大きいようです。

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