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2012年11月の4件の記事

2012年11月25日 (日)

続 昔日の赤岩口車庫

3201b週1運行の再開です。今回も往年の豊鉄をご紹介しましょう。とは言え、こんな写真しか残っていませんが、一応、豊鉄の古老である3700形が写っていますんで…。
後に整備を受けてレトロ塗装も施されて、随分ときれいになっていますが、当時はご覧の通り十分に『年季』の入った感じで、この当時から『長老』でした。まさか21世紀まで残ろうとは、当時ですら思いもよらない状況でした。

3700系は当時でも『休み休み』と言った感じで、こうして赤岩口で休んでいたり、競輪場前にある側線で休んでいたり、と言った具合で、なかなか営業運転に就いている姿を見ることができませんでした。最晩年は相当『大切』にされたようですが、当時は単なる『ポンコツ』扱いでしたね。とは言え、それなりに大切にしていたからこそ、世間が『レトロ』に目を向けるまで現役でいられたのでしょうが。

ちなみに手前は3300形で、奥は車番の通り3200形です。そう言えば、当時では珍しかった豊鉄名物の『車体広告』も、今は一般化してしまいましたね。当時は車体にペンキで『手書き』していたそうで、車庫の係員さんが書いていたようです。これも、車両塗装用『ペンキ』の節約をするために編み出した『苦肉の策』だったようですね。

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2012年11月18日 (日)

高師車庫の豊鉄1720系

1721週一運行の再開です。今回はちょっと趣向を変えてこんな写真を選んでみました。
この高師車庫の建物は失火で全焼してしまっていますね。ご覧の通り、当時でさえ年季の入った木造の建屋で、恐らく、開業当時そのままの建物だったのではないかと思います。碍子を2つ並べた横の配線は多分、一般(電灯線)の配線でしょう。戦前の建物では一般的な配線方法でした。
(ちょっと見ると、まるで列車無線用の漏洩同軸ケーブルのように見えますが)

写真は名鉄3800系の車体を使用した1720系ですね。廃車した3800系の走行機器は全て7300系へ『流用』していますから、車体(上回り)のみの譲渡となっており、豊鉄では、確か旧国の『下回り』を組み合わせて使用していたはずです。
後に7300系も豊鉄へ譲渡していますから、上下バラバラに、それも随分と時期が離れて譲渡された感じですね。

頭(前照灯)がちょっと切れてしまっていますが、豊鉄の鉄道車両は全て『角形2等式』の前照灯へ交換されていますね。
当時の名鉄ではまだまだ従前の1灯式が幅を利かせていた時代ですが、豊鉄は早々に2灯式シールドビームへの交換を終えています。この辺は、小所帯で『小回り』の利くところですね。

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2012年11月11日 (日)

3700系土居下準急

Hl3708週一運行の再開です。今回も600V時代の瀬戸線をご紹介致しましょう。そう言えば、瀬戸線も4000系の増備がかなり進んだようですね。この写真の頃の面影も段々となくなって、もう数年すると銀一色の『純通勤路線』と化すのでしょうね。
(今でも完全な『通勤路線』ですが)

当時も一応は『通勤路線』だったのですが、それよりも瀬戸~名古屋の『都市間連絡』の方が重視されていた感じですね。ですから、当時の急行(S52年以前の『特急』)は大曽根を出ると三郷のみに停車して、ひたすら瀬戸を目指す感じで走っていました。
(とは言え、所要時間は現在と変わらない程度でした…)

写真の3700系は当時の瀬戸線では『最新鋭』車両と処遇されていましたが、実は、他車(900形・700形など)はいわゆる『AL制御車』だったのですが、この3700系のみHL制御のままでした。もともと900形はHL制御車で、この3700系に制御器を譲っているのですが、巡りあわせとは面白いものですね。

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2012年11月 4日 (日)

3700系土居下特急と大曽根ダラ

M37083706週一運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、今までにも何度かご紹介していますので、お分かりですね。今は僅かに『遺構』が残っているようですが、この写真に撮った辺りは当時とは逆に、ホームの終端(栄町寄り)付近になっているようですね。

当時の尾張瀬戸駅は『貨物駅』の一角に『旅客駅』がある感じでした。『せともの』関係の輸送はトラック輸送が主流に切り替わっていましたものの、まだまだこの頃はそれなりの取扱量があったようで、瀬戸~大曽根間の貨物列車も定期で設定されています。とは言え、この頃から急速に貨物の輸送量が減少して、スジは設定されていても『運休』となる日も増えていったようですね。

駅舎は現存するとは言っても特に何も使用されていないようですが、当時は2階の食堂もまだ営業中で、昭和初期を感じさせる佇まいでしたっけ。ただ、今ではそれなりに持て囃されている『昭和レトロ』ですが、当時はただ単に『過去の遺物』としか認識されていなかったせいもあって、それから程なくして『閉店』の憂き目に遭っています。今、それなりに整備して『復活』させれば、結構な人気店になることでしょうが、何せ30年以上も営業していなければ、そうおいそれと『復活』は出来ないでしょうね。

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