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2012年12月の4件の記事

2012年12月30日 (日)

100系豊田市ダラと3730系碧南ダラ

M01423732今年最後の運行です。締め括りに相応しいかどうかは疑わしい限りですが、今回はこんな写真を選んでみました。
ここは、行先で十分お分かりですね。駅全体の感じは変わったものの、まだこの辺りは往時の面影を残しています。が、そろそろ太田川以上に大々的な工事が始まりそうですね。(もう始まっているのでしょうか?)

写真は、まだ『豊田新線』の開業前。100系の先行落成車が運行を始めたばかりのものです。時折、今も知立まで顔を出しているのでしょうか、最新の状況は私には不明ですが、当時は『足慣らし』として、知立~豊田市間の急行・ダラに使用していました。記憶が間違っていなければ、この時は111Fが『急行運用』に、そしてこの112Fが『ダラ運用』に入っておりました。

111Fと、最近は112Fも“VVVF化”を施したようですね。と言うことは、100系はもう少し『延命』するようですが、ステンレス車では実績のある“VVVF化”換装ですが、純鋼製車の100系をいつまで使うつもりなのか、ちょっと疑問が残る処置ですね。鶴舞線内では、特に夏場の『抵抗制御車』が不評のようですから、乗客に取っては僅かばかりでも『涼しく』なるようですが…。

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2012年12月23日 (日)

犬山検車の7300系

M7300週1運行を再開致しましょう。7300系も暫く出していませんでしたので、今回はこんな写真を選んでみました。ここは現役施設ですから、皆さんお分かりですね。まるで警報中の踏切内撮影に見えますが、本線のポイントをご覧いただければお分かりのように、検車場内を入換中の車両です。

7300系は、若い人では7000系列に『含まれる』ようですが、私の感覚では『含まれない』(除外車両)となります。確かに、車体こそ7000系7次車そのもの、ミュージックホーンも付いていたものの、所詮はやっぱり『AL車』の仲間として扱っていました。
保有車両全車の『パノラマ化』を意図したために計画された7300系ですが、そもそも中途半端(企画倒れ)な感じでしたね。

さて、写真は確か4両口だったと思います。他のAL(OR)車と同様にMcTMTcの動力配置で、台車も当初は種車(3800系)流用品のD-18、後にM台車は『FS-36』に換装していますね。3880系が廃車になった後は、確かKS台車に履き替えたのではなかったでしょうか。名鉄の特徴の一つに、この頻繁な『台車の履き替え』がありますね。最後の最後まで『使い倒す』名鉄の面目躍如と言った所ですが。(だから、名鉄の廃車は中古市場で人気がないのでしょうが…)

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2012年12月16日 (日)

瀬戸線時代の703号

M0703休日運行を再開致しましょう。
今回も70000countにちなんで、こんな写真を選んでみました。703号と言えば、揖斐・谷汲線で活躍していたのをご記憶の方も多いかと思いますが、その前にはこの通り、瀬戸線に所属していました。

喜多山の風景は一変してしまいましたね。もう少しすると2面4線の『緩急接続』可能な駅として面目を一新するようですね。写真の背後に写っているビルも解体されて、今は仮駅で営業中のようですね。
『新』喜多山駅は元々この喜多山分工場があった場所にできるようですから、若干瀬戸寄りに移動するようですね。

さて、この703号は揖斐・谷汲線に転属後の写真も何度かご紹介していますね。瀬戸線時代に既に『片運化』されていましたので、2320形が欠かせない存在でした。
転属後も引き続き『相棒』と一緒だったのですが、忠節止まりの列車を市内線直通化する目的で登場した780形と入れ替わりに『引退』していますね。何でも、しっかり(根こそぎ)運転台機器を撤去していたために復活が難しかったようで、運転台の復活が容易だった750形が『単行運転』に使われるようになったためでした。

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2012年12月 9日 (日)

【御礼70000count突破】7000系名古屋ダラ

M70001一週飛ばしてしまった間に、皆様方のご愛顧を頂いてお陰様で70000count突破を迎えることが出来ました。お礼と言っては何ですが、やっぱりコレですね。
浜P/Mさんからご教授頂いた『鑑定方法』を誤解していなければ、これは1次車で間違いないはずですが、合っていますでしょうか。(一応、その前提で書き進めたいと思います)

当時は、まだまだ7000系が名鉄に『ウジャウジャ』居た時代。6000系こそ登場していましたものの、まだ『最大勢力』は7000系でした。写真の左隅にもしっかり写っていますね。(本線系の各線に乗って、7000系を見ない方が至難の業でした…)
この世に存在するのは、辛うじて残った舞木の2両と、中京競馬場の3両、計5両のみ(中間車は1両きり)となってしまったのが、今以て信じられない気分です…。

さて、写真をよくご覧頂くと、運転席の窓周りはまだ登場時の『金具止め』のままですね。この写真でも、結構痛んでいる感じがお分かりかと思います。この写真から数年後には、全車が『黒Hゴム』化されていますので、1次車に限っては2階部分の窓周りが『ウイークポイント』だったようですね。聞くところに拠ると、この『金具止め』では窓ガラスの密着が悪くて、頻繁に『雨漏り』したための措置であったようですね。

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