カテゴリー「a1.P車7000系-特急」の50件の記事

パノラマカー7000系特急運用関係

2012年7月 8日 (日)

犬山検車の白帯車

M7000週一運行を再開致しましょう。このところ『他社』関係が続いていましたから、再び今回は名鉄に戻って、こんな写真を選んでみました。
近代的な設備の犬山検車で撮ったものですが、こうやって見ると、同じ7000系でも結構違って見えるものですね。新川でも当然のことながら『白帯』を見ていますが、何となく野暮ったい感じがしましたっけ…。

そもそも、犬山検車は『新川工場』の置換えを目的として建設されましたね。元々名鉄は工場・車庫が少ない(絶対数が足りない)ので有名な会社ですが、今考えると、よくそれで回っていたものですね。車両は『駅寝』が常態化していたものの、何とか『あぶれる』ことはなかったのですが、検査は『待ったなし』でしたから、大手でも車両数は少ない方とは言え、犬山検車が出来る前までは結構タイトなスケジュールだったのではないかと思います。AL車・HL車など結構『手かず』の掛かる厄介者も多かったですし…。

さて、この写真は犬山検車が出来て間もないころのものですから、この頃では『白帯』も『特急専用車』ではなくなっていた時代ですね。『逆さ富士』(小富士)の種別部分も再改造されて、元のブック式に戻っています。如何せん車番は控えていませんので不明ながら、クーラー(室外機)を見れば7次車だとお分かり頂けるかと思います。この頃になると一通りは『白帯車』が出回っていましたから、犬山特急など定期特急は基本的に白帯車のみで運行されていましたね。

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2012年4月14日 (土)

7000系+7700系白帯内海特急【御礼57000count突破】

M70007700休日運行の再開です。この1週間足らずの間に、お陰様で1000count超のアクセスを賜りまして、誠に有難うございます。『お約束』としては5700系の写真なのでしょうが、折角ですから7000系白帯の写真を選んでみました。(5次車でも、そんなにいい写真でもありませんが…)

このアングルなら、ここは何処かお分かりの方も多いと思います。これも、前回ご紹介した写真とほぼ同じ場所から狙ったもので、新堀川土手から神宮前に向かって撮ったものです。こちらの高架化はかなり早い時期に行っていますね。新堀川の土手(橋梁)がかなり高い位置にありましたから、それを介して新しい高架橋を延長する感じで工事が行われていました。
その土手にも踏切があったのですが、今はどうなっているのでしょうか。それほど交通量もなく、道路にはなっていても只の『土手の天辺』といった感じのでこぼこ道だったと記憶していますが、ひょっとすると、今は車両通行止めになっているのかも知れません。

背後の『壁画』のビルも、今では建て替えられたのではなかったでしょうか。常滑線そのものは最近も乗車してはいますものの、この辺の『変化』に関しては疎いですね。当時としては結構斬新な感じがしたのですが、今、こうして写真を見ると、やはり『時代』を隠し切れないですね。特に、屋上の表示にはまんま『昭和』と言った感じですね。今や、名駅前の名物だった『大名古屋ビルヂング』の表示もなくなってしまいましたし…。

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2012年4月 8日 (日)

7700系+7000系白帯内海特急

M77007000休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この写真だけで場所が分かった方、かなりの名鉄通ですね。
高架橋工事がおおよそ完成して、下り線ももう少しで移転する感じですね。高架橋なのに、今でもほぼ変わらず『ツライチ』からこんな感じで撮れる場所、と言えばかなり絞られるはずですので、ご興味があれば探してみて下さい。

撮影年代は車両構成でおおよそお分かりだろうと思います。まだ1000系は構想段階。8800系が登場したての頃です。必然的に、当時の『特急車』は7000系・7700系の独壇場で、この頃になると本線に限らず、定期運用の特急に関しては、一応『白帯車』のみで運用できるようになっていたはずです。

河和線の特急(内海特急)は当時でもまだ6両が基本で、白帯車は4連・2連しかありませんでしたから、定期運用はこんな感じとなっていました。河和・内海行に関しては『展望席』が先頭になりますものの、犬山方面では折角の展望席が塞がれてしまう憾みがありましたね。とはいえ、当時の名鉄に『P6s』はどう見ても『使い勝手が悪い』(輸送力調整の出来ない)編成になってしまいますから、致し方なかったのですが…。
この当時に『P6s』を出していたならば、その後どのような変遷を辿ったか、などと夢想したりもしますが、もし、登場したとしても、結構『短命』に終わったことでしょうね、きっと。

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2011年10月30日 (日)

7000系白帯豊橋特急

M7000_2ナンダカンダと週1回の更新となってしまい、すみません。お詫びにしては決していい写真ではありませんが、7000系も暫く出していませんでしたので、今回はこんな写真を選んでみました。

今からすれば「なんて勿体ない事を」と思われる方も多いでしょうが、当時はP車全盛期。6000系が徐々に勢力を増して来てはいましたが、名鉄車両のおよそ1/4がP車でしたから、当時は完全に食傷気味となり、この頃のP車は専ら『流し撮り』の練習台にしており、それもいい加減に流していたためにこんな感じで、殆どまともな写真が残っていません。(浜P/Mさんに叱られそうですが…)

当時の『白帯車』はご覧のとおり(と言ってもブレブレで確認しにくいですが)、種別表示部はごく初期にだけ見られた『板式』3点止めのもので、本当に『特』と『回』以外の表示しかありませんでした。早朝・深夜(特急以外からの折り返し運用)を除いて、本線特急は特急専用車(白帯車)のみで運行されており、それまで絶対に『専用車』は無理と思われていた名鉄だっただけに、実に思い切った施策を取ったものだと感心していましたっけ。

欲を言えば、従来車(7000系)の小改造でお茶を濁した感じでは…、などと思っていましたが、この『専用車』登場と完全な特急の『独立運用』を行ったからこそ、写真を撮った6年後に登場した本格的な『特急専用車』1000系へと繋がって行ったのですから、57年3月に行った特急政策の変更は『名鉄特急の新時代』を拓いたと言っても過言でない程の、実に重要な改正となっていますね。

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2011年7月 6日 (水)

7000系(3次車)三河湾号【御礼37000count突破】

M70003 節電の影響か更新を怠っている所為か(こちらの理由が大きいでしょうね)、停滞気味だったアクセスカウントが何だかちょっと見ぬ間に37000countを突破しておりました。
御礼と言ってはささやかですが、平日臨時ダイヤを運行致しましょう。と、来れば『お約束』の3700系、なんて謂うのも無粋ですから今回はこんな写真を選んでみました。

これは、クーラーの形状などから7000系3次車と思います。恐らく、今も節電の影響で知立駅のこの辺りはかなり暗いのだろうと思いますが、当時は元々『節電モード』(?)でしたから、殆ど真暗の状態。僅かな明かりで無理やりピントを適当に合わせたせいもあって、こんなピンぼけ写真になってしまいました。
(元から私の写真はピントの甘いものが多いんですが…)

さてこの写真、先頭車のオデコ(フロント・アイの上)の辺りをよくご覧下さい。撮影時は勿論のこと、出来上がった写真を見ても当時は全く気付かなかったのですが、今こうやってみると何だか『怪しげ』なものが付いていますね。そうです。これが知る人ぞ知る『虫よけ』のために一時的に試行していたものですね。
結局、他車には普及しなかった所を見ると、折角のアイデアだったのですが、この『虫よけ』の効果はあまりなかったようですね。

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2011年6月12日 (日)

《P車デビュー50周年》【600回記念】7000系トライスター号

M7000_2 今を去る事50年前、とある私鉄に世界初の『2階式運転台』を持つ車両が燦然と舞い降りた。沿線に大手自動車会社の企業城下町が広がるこの鉄道では、ひたひたと近寄る一家に一台『自家用車』時代の到来を脅威に感じていた。来たるべき『自家用車』との決戦に備えて、機先を制する使命を帯びて、まさに『鳴り物入り』で登場したのがこの車両であった…。

某『国営放送』の人気番組、様々な日本の『地上』にある『星』を紹介していたドキュメンタリーのナレーション風にすると、冒頭はこんな感じでしょうか。もう少し続けましょう。

昭和36年6月12日。その日、新岐阜~豊橋間の沿線には真紅に塗られた眩いばかりの新型車を一目見ようと、周辺の住民がこぞって線路脇を埋めた。
電車の中で最も良い眺めを見ているのは運転士だった。その展望をお客さんのものとするために、一人の男が立ち上がった。その案に、副社長がゴーサインを出した。ただし、過酷とも思える条件が出された。「絶対に『ブルーリボン賞』を獲ること。これは業務命令である。もし獲れなければ、ここに居る全員『クビ』だ」。
プロジェクト早々に厳命が下った。しかし、男には確かな勝算があった。日本初、いや、世界初となるに違いない車両が完成できれば、絶対に『ブルーリボン賞』は獲れる。幸いにも、このプロジェクトを脅かそうとするライバル企業の動きは少なく、しかもこの男には、何者にも代え難い強力な『助っ人』も付いていたのである…。

ちょっと悪乗り気味になってきましたので、この辺が潮時でしょうか。さて、ここまでお読みになった方で、きっと『あれ?』と思われた方も多いと思います。世界初の『前面展望車』はイタリアのETR300ではないか、と。
確かにその通りです。が、彼の車両は『2階式運転台』を採用していませんね。ザックリ言えば『こだま型』のボンネット部分に客室を設けたような、そんな構造になっていました。ですから、世界初の『2階式運転台』車両は7000系ということになります。

一ファンの戯言をお許し頂けるならば、今日この日まで7000系を現役で維持して貰いたかったのですが、そんな夢は脆くも崩れて、早や2年が過ぎようとしていますね。今や7000系の流れを汲んだ6000系にまで廃車が及び、かつて名鉄の代名詞だった『2扉クロス』が、もはや死語にさえなりつつあります。7000系が一時代を画した車両であったことは紛れもない事実ですが、その『時代』も徐々に記憶の彼方へと追いやられつつありますね。
(回りまわって、また地上に『星』が登場してくれれば申し分ないのですが。おあとがよろしいようで…)

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2011年5月28日 (土)

7000系青い鳥号

M7000 週末運行が滞って休日にずれてしまいましたが、運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。今とは違って当時は1年の大半が臨時ダイヤだった名鉄ですが、写真当時が最も『ラインパーク』(当時)の催事に力が入っていた頃ではないかと思います。

この『青い鳥』号は前にも(各)新岐阜で撮影した写真をご紹介しましたが、沿線各地から犬山遊園めがけて飛来してきていました。当時のダイヤはうろ覚えですが、確か大半の臨時列車が『青い鳥』号だった記憶があります。同じ名称ばかりでは些かつまらなかったのですが、今思えばそれとて贅沢な悩みですね。

写真では不鮮明ながら、シートはどうやら『青モケ』(青緑色のモケット)車のようですね。定期特急には原則として『赤モケ』(朱色のモケット)車が入っていたのですが、臨時ともなれば『青モケ』車も白カバーを掛けられ、即席特急車に早変わりさせられて大量動員していました。この辺は、ローカル運用にすら惜しげもなく『特急車』を充当(?)し、更には通勤の輸送力列車にまで躊躇なく投入(?)していた、名鉄ならではの他社には真似できない対応ぶりですね。

余談ながら、この『青い鳥』号に使われた系統板はご覧のように『はみ出し』ていますが、鳥の部分は『後付け』で貼り合わせてありました。通常、催事に合わせた名称は往路のみが多く、同名称の場合は行先が入っていたのですが、この系統板は『裏返し』に出来なかったのでしょうね、復路もそのまま使用していた(確か裏面は真っ白)関係で、行先表示のないものとなっていました。

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2011年4月24日 (日)

7000系犬山特急

M7000 休日運行を続けましょう。今回はこんな写真を選んでみました。これは7047Fでしょうか、毎度ながら不鮮明な失敗の流し撮り写真で失礼します。

この駅はお分かりですね。犬山検車区・東口の整備と共に大改造が終わった直後だったと思います。様変わりした犬山駅を、傍から見れば、もの珍しそうにウロついていた事でしょうね。白帯車改造もかなりの本数が出回った頃なのでしょうね、このとき目にした犬山特急も白帯車が多く使われていたと記憶しています。

昭和50年代は『近代化』が課題だった名鉄も、漸くこの頃になると『地方鉄道』から『都市近郊鉄道』への脱皮が完了しつつある頃でした。とは言え、まだまだ旧型車も残っており、今までとは逆に、それらの車両と近代的な駅や設備が段々とミスマッチを起こすようになってきた頃でもありましたね。

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2011年3月 5日 (土)

5200系豊川高速と7000系岐阜特急

M52007000 毎度脈絡のない選択ですが、今回はこんな写真を選んでみました。ここは今までに何度もご紹介していますから、お分かりですね。今は跡形もなくなった駅としては、最も大きな駅ですね。

5200系は『最後のSR車』として今以て活躍中ですね。と言うと、若い人は「随分前に廃車済みなのに!???」などと、何の事だか分からないかも知れませんね。でも、しぶとく残っていますね、幽霊とは反対に『足』だけとなっていますが。

戯言はこの辺にして、この5200系の『豊川高速』は多分、飯田線の保守間合いの関係で設定された列車だろうと思います。そして系統板はこの当時主流だった簡略表記ですね。その昔は本当に『豊川』駅に発着した列車もありましたが、それは3900系が最後ですね。この時点では到に乗り入れは終了しています(一応念のため)。

さて、7000系の方ですが、何と言うことのない只の『岐阜特急』だと思っていたのですが、よく見ると『M連』未装備の4連車のようですね。この記事を書くために眺めていたら、たまたまそんな車両を撮っていることに気付きました…。(未装備車を狙っていた訳ではなく、まだ何もかもが珍しい頃に撮ったものです)

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2011年1月26日 (水)

【御礼25000count突破】7000系三河湾号

M7000 お陰様でこのブログも25000countを迎えました。御礼の写真はと探しましたが、再掲の写真でご勘弁下さい。(このブログではかなり珍しいものと思いますので…)

今までにも色々な三河湾号をご紹介していますので、表題をご覧になって「何が珍しいのか?」と首を傾げられた方も多いと思います。撮った当時は私もそれほど珍しいとは思っていませんでしたが、系統板をよく見ると『新安城経由吉良吉田』となっています。後年の吉良吉田止まりの『三河湾』号は単に『吉良吉田』表記だけでしたから、ごく短い時期だけのものと思われます。

名鉄の場合、往々にして系統板毎に違う表記法だったりしますから、ひょっとすると、この系統板固有のものだったのかも知れません。通常、吉良吉田方面は新安城経由で、蒲郡行きなどはわざわざ『新安城経由』とは書いていませんね。
当時はまだ『三河湾』号=『蒲郡特急』の時代ですから、わざわざ経由地も表記して吉良吉田止まりであることを強調したかったのかも知れません。当時には急行ながら『刈谷経由吉良吉田』行きもあり、三河線にも特急が走っていたものの、それはごく少数でしかも臨時スジ(重ねて碧南止まり)でしたから、誤乗防止にしてはちょっとやり過ぎのようにも感じますね。

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