カテゴリー「a2.P車7000系-その他」の24件の記事

同上、その他の運用関係

2012年12月 9日 (日)

【御礼70000count突破】7000系名古屋ダラ

M70001一週飛ばしてしまった間に、皆様方のご愛顧を頂いてお陰様で70000count突破を迎えることが出来ました。お礼と言っては何ですが、やっぱりコレですね。
浜P/Mさんからご教授頂いた『鑑定方法』を誤解していなければ、これは1次車で間違いないはずですが、合っていますでしょうか。(一応、その前提で書き進めたいと思います)

当時は、まだまだ7000系が名鉄に『ウジャウジャ』居た時代。6000系こそ登場していましたものの、まだ『最大勢力』は7000系でした。写真の左隅にもしっかり写っていますね。(本線系の各線に乗って、7000系を見ない方が至難の業でした…)
この世に存在するのは、辛うじて残った舞木の2両と、中京競馬場の3両、計5両のみ(中間車は1両きり)となってしまったのが、今以て信じられない気分です…。

さて、写真をよくご覧頂くと、運転席の窓周りはまだ登場時の『金具止め』のままですね。この写真でも、結構痛んでいる感じがお分かりかと思います。この写真から数年後には、全車が『黒Hゴム』化されていますので、1次車に限っては2階部分の窓周りが『ウイークポイント』だったようですね。聞くところに拠ると、この『金具止め』では窓ガラスの密着が悪くて、頻繁に『雨漏り』したための措置であったようですね。

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2012年5月 6日 (日)

7000系犬山ダラ

M7000休日運行を続けましょう。ちょっと光線が被った写真ですみません。最晩年にはよく入っていた『犬山ダラ』ですが、写真当時も結構普通に見られました。
当時はまだまだP車も『現役特急車』の時代でしたが、本線系の高速・急行はもとより、ダラにも結構入っていました。ちょっと分かりにくいですが、車内をよく見ると緑モケットにねずみ色のシートカバーが覗いていますね。

この頃の『特急車』は赤モケットに白カバーが標準となっており、一応、定期特急はその仕様が守られていました。写真の車両はその選に漏れた車両ですが、臨時特急大増発の折には殆ど全てのP車が駆り出されていましたね。

それにしてもこのP車の『おでこ』は汚れていますね。当時の名鉄は車両洗浄の周期が15日程度と言われており、大方の車両が結構薄汚れていたのですが、P車は特に洗浄しづらい形状のせいもあって、おでこは結構汚れた感じになっていました。前面だけは、終着駅でしっかり磨いて貰っていましたので、展望席のガラスだけはきれいでしたが…。

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2012年4月 1日 (日)

《AprilFool》7000系鳴海特急

M7000_2休日運行2日目を進めましょう。月も変わったことですし、今回は趣向を変えてこんな写真を選んでみました。ここはどこか、今までにもご紹介していますからお分かりですね。(今ではすっかり変わってしましました…)

新川工場~鳴海工場間の車両回送を『営業扱い』したのが鳴海~須ヶ口間の列車で、大体はダラか準急で運行されていたものが、P車に限っては『特急』(後に『高速』となる『一般特急』)で運行されていました。これはその当時、営業前に新川で待機していたP車を撮ったもので、これから鳴海に向かうところですね。
当時は頻繁にP車の編成『組み替え』を行っていた関係で、定期スジで設定された『鳴海特急』が存在していました。って言うのは全くのデタラメですから決して真に受けないで下さい。
(これではちょっとウソっぽかったでしょうか)

P車の組み替えを行ったのは昭和40年代。しっかりバックに写った8000系はもう『ヒゲ』面ですから、どう見ても昭和51年以降のものですね。更に白状すれば、この写真を撮った当時は既に『特急』=『座席指定』の時代で、いわゆる『白板特急』は過去のものとなっていました。
この写真も、今まで何度かご紹介したものと同様に、工場の方のご厚意で「好きなものを出してもいい」と仰って頂き、色々考えた末に、これもまず『あり得ない』ものをと撮ったものでした。
それにしても、やはりP車の『特』表示はいいですね。私に取ってP車は永遠の『特急車』であることを再認識しております。

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2011年11月13日 (日)

7000系豊橋高速【御礼47000count突破】

M7000休日ですので週1運行を再開致します。更新が滞っているにも拘らず、お陰様で47000count突破を迎えることができました。と来れば『お約束』(?)の7000系ですね。とは言っても、これも浜P/Mさんに叱られそうな写真ですが…。

当時の本線豊橋系統は1時間当り特急・高速・急行各2本の時代。特急は、特に日中は4連が基本でしたが、高速・急行は日中でも6連が基本でしたね。それだけ名鉄利用者が多かったのですが、今でも名豊間は休日日中でも名鉄利用が多いながら、JRの攻勢もかなり浸透してきており、この頃に比べれば乗客は減っていますね。

現在は特急(快特)4本と急行2本で、急行は4・6連が使用されているようですね。特急はご承知のように6連中、特別車2両+一般車4両ですから、この当時の状況に当てはめれば、特急(座席指定=特別車)4連と高速(一般車)8連に相当しますね。とすると、一般車は高速当時から見れば2両増となります。その分、座席が空いているのも当然ですから、名豊間は思ったより乗客は減っていないのかも知れません。

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2011年7月18日 (月)

7000系岡崎ダラ

13 休日運行を続けましょう。かなり焼けた感じでお見苦しいものですが、今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処かと訊ねても、若い人には即答できない人も多いかも知れませんね。
名鉄好きならば、絶対に知らないはずはないと言い切ってもいい駅なんですが…。

晩年にはよくP4が入っていた『岡崎ダラ』ですが、当時もそんなに多くはないものの、決して珍しい程ではありませんでした。晩年との違いはP板の表記がありますね。『小富士』などに直接貼られた行先表記には『岡崎』もあったと思いましたが、P板の場合はフル表記の『東岡崎』でしたね。当時はまだ省略表記が一般的でしたので、P板でもご覧の通りでした。

さて、この駅。何処だかお分かりでしょうか?当時のことをあまりよく知らない、東京生まれ・在住の友人曰く「いかにも田舎の駅然としているのにビックリ」。これが名古屋本線の『要の駅』、運用上では昔も今も新名古屋など足元にも及ばないくらい、名鉄で最も重要な駅の姿だったのですから、驚いたのも無理はありませんね。
今はこの写真に写っている全てが変わってしまった感じですね。

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2011年4月22日 (金)

7000系岐阜高速と3900系豊明ダラ

M70003902 週末となりましたので、恒例の運行再開です。今回はこんな写真を選んでみました。当時としては何の変哲もない写真だったんですが、今となっては全てが過去牒入りしてしまっていますね。

当時の名鉄は『座席指定』か否かの違いが殆どありませんでしたね。この当時はまだ車両の区分をし始めた頃で、定期『特急』には座席モケットを張り替えた通称『赤モケ車』を使っていたものの、臨時特急は冷房SR車なら『何でもあり』の状態でしたね。

『高速』登場のきっかけも、この名鉄特有(?)の車両運用が、とある革新系政治家に攻撃されたところからきています。曰く、特急が2種類あって、しかも殆ど同じ車両が使われているにも拘らず、一方を『座席指定特急』と称して料金を取るのはケシカラン、との事でした。ツツカレた以上、運輸省(中部運輸局)も『行政指導』をする事となって、他には見られない『高速』という種別が登場し、それなりに『特急車』を整備するようになっていきます。

とは言え、当時は『特急専用車』など夢のまたゆめ、果たして名鉄に登場する『その日』が来るのかさえ想像できなかったのですが、この写真を撮った10年後には本格的な『特急専用車』1000系が登場したのですから、その間の遷り変わりようは実に急激なものでした(善きにつけ悪しきにつけ…)。

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2011年1月13日 (木)

【500回記念】7000系三柿野急行と3550系岐阜⇔三柿野ダラ

M35517000 皆様方のご愛顧を賜りまして、お陰様でこのブログも500記事を迎える事が出来ました。お礼としてはささやかですが、今回はこんな写真を選んでみました。

若い方がこの写真を見ると、限定日のみの特別ダイヤかと思われることでしょうが、前にもご紹介しました通り、この当時はごく日常の風景でした。今の『犬山経由岐阜』行きがこの当時は全て三柿野止まりで設定されており、岐阜~三柿野間はご覧のように『機織り運用』のダラ(普通)がリレーしていました。

各務原線のダイヤはその時々で少しずつ変わってきていますね。この少し前には殆どの犬山線急行が新鵜沼止まりになっていた時期もありましたし、現在と同様に『犬経岐阜』急行の岐阜~犬山間がダラで運行されていた事もありましたね。
当時は全く意に介していなかった(存在が殆ど忘れ去られていた)高山線が今や強敵となっていることなどもあって、今後も各務原線のダイヤは色々と試行錯誤が続くのではないでしょうか。

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2010年12月17日 (金)

7000系豊橋高速

M7000 ちょっと変わった写真が見つかりましたので、今回はこれをご紹介しましょう。ここも、このブログをご覧の方ならすぐにお分かりですね。複々線化で若干様子が変わったようですが、この全国的にも珍しくなった第1種乙踏切は健在ですね。

この踏切は人で操作しないと『開かずの踏切』になってしまうために今もきめ細かな操作を人手で行っていますね(只でさえ十分に『開かずの踏切』ですが)。左側の『島』には車が止まっていますが、今は確か人が数人入れる位の狭さになっていたのではないでしょうか?

そう言えば、この踏切は人だけ渡れる『半開』と、車も通れる『全開』があるのでも有名ですね。普通の踏切は絶対にくぐってはダメなんですが、ここは半開時の『くぐり』が公に認められています。この当時はまだ国鉄側の踏切が閉まるのはそんなに多くなかったのですが、今はJR側も結構本数がありますから、ストレートで渡り切れる確率はかなり低くなったのではないでしょうか。

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2010年11月15日 (月)

往年の新川工場

M7000 今回はこんな写真を選んでみました。名岐直通への布石として、それまで岩倉にあった車両基地を拡充する目的で昭和5年に開設されたのが、この新川工場ですね。
現在は新川検車場と名前も変わり、設備も配線もかなり変わって(縮小されて)しまったようですが、当時は鳴海工場(現在は消滅)と共に名鉄の最重要車両基地として機能していました。

記憶の新しいところでは東海豪雨で浸水するなど、かなりダメージを受けたようですね。さらに遡れば伊勢湾台風でも同様に甚大な被害を被ったようで、写真当時の建物はその復旧時に建て替えられたものが大部分ではないでしょうか。全体的には、鳴海工場よりも新しい感じがしました。

とは言え、配線などを見るとかなり古い感じを受けますね。さすがに開設当時のまま、と言うわけではないのでしょうが、それを彷彿とさせる雰囲気が漂っていました。よく見れば、ここに写っているもの全てが過去のものとなってしまいましたね。

余談ながら、赤一色のはずの名鉄車両でも、結構色合いが違っているのにお気づきかと思います。退色具合も然る事ながら、その時々で『スカーレット』も若干色合いが違っていた結果と思われます。

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2010年9月26日 (日)

7000系運転台からの眺め

M70402 7000系の運転台は以前後紹介しましたが、その際に撮った運転台からの写真はまだでしたね。お彼岸特集の最後にご紹介して締め括りたいと思います。

今は閉鎖中ですが、7000系の運転台は中京競馬場で誰でも中へ入れましたから、こうしたアングルそのものは珍しくも無ないのですが、そこは昭和の現役時代のものとしてご覧頂ければと思います。

この時代のモノと晩年との違いがお分かり頂ける方は相当な『通』の方ですね。私もそんなに詳しくない方ですので、細々見れば色々気づかれるのでしょうが、最も分かり易いのはワイパーの本数と形状ですね。

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