カテゴリー「a3.P車7500系」の27件の記事

パノラマカー7500系関係

2011年6月26日 (日)

須ヶ口の3400系と7500系

M34007500 休日運行を続けましょう。須ヶ口つながりでこんな写真を選んでみました。この写真で変わらないのは背後に写る工場位でしょうか。

この写真は前にも同じようなものをご紹介していますね。3400系はまるで対向列車のように写っていますが、須ヶ口の側線に留置されているものです。ですから色々な組み合わせで撮ることが出来ました。(とはいえ、この写真はブレブレですね。すみませんm(__)m)

須ヶ口駅は、一般的には津島線の分岐駅として紹介されることが多いのですが、歴史的経緯からすれば、それは『あべこべ』ですね。元々は津島線の方が先に建設されており、この須ヶ口から省線(国鉄⇒JR)清州駅へ向かう『清州線』が分岐していました。それが後に名岐連絡の使命を課されて新清洲から国府宮を経て新一宮へ。そして木曾川橋梁の完成を待って新岐阜へと繋がっています。
ですから、正確には『津島線から名岐線・名古屋本線が分岐した駅』となります。もちろん、現在の線名は運行形態に合わせて変更されていますので、線路の『戸籍上』も津島線の始点は須ヶ口に変更されてしまっていますが…。

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2011年5月12日 (木)

7500系美合急行【御礼33000count突破】

M7500 休日運行で本数を絞っているにも拘らず、気付けば33000countを突破しておりました。お礼になるものを探しましたものの、ネタ切れ気味ですみません。今回はこんな写真でご勘弁下さい。この頃になるとP車は専ら流し撮りの『練習台』にしていまして、このような失敗写真が多数あります。(浜P/Mさんに叱られそうですが…^^;)

美合急行はその昔は一般(白板)特急として運行されていた列車の後の姿ですね。一般特急の種別変更後も『美合高速』として数年間は存置されていたのですが、急行化の前年にはこの『美合高速』のみ鳴海・新安城が停車駅に追加され、そして急行へ『格下げ』されています。犬山線など支線区にも多数の『高速』が走っていたものの、この改正で大部分が急行に格下げされて、殆どの『高速』は本線の、しかも新岐阜~豊橋間のみに絞られてしまいましたね。

それにしても、この列車もしっかり混んでいますね。当時の朝夕のP車最後尾と言えば、大体このような感じで『補助席』と化していました(決して行儀のいいものではありませんが)。いささか行き過ぎのような感じもしますが、当時の名鉄は『座って乗る』のが当り前とされていた時代。今や2扉クロスも風前の灯と隔世の感しきりですね。故土川氏(元会長)が今の名鉄を見たら何と言うことでしょうね。

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2011年1月29日 (土)

7500系岡崎高速

M7500 今回は夜景のこんな写真を選んでみました。毎度ピン甘の写真ですみません。
ここはどこか見ればお分かりですね。今は取り敢えずバリアフリー工事の真最中のようですが、そのうち本格的に高架化工事も始まるでしょうから、そうなると仮線(駅)やら何やら、原型を留めないほどに変わってしまうのでしょうね。

さて、この岡崎高速ですが、真っ暗になる時間帯(確か19時頃)からして飯田線の保線間合いの関係ではなさそうですね。当時の状況など、あまりよく思い出せないのですが、定期の運用だったことは多分間違いないと思います。(勿論、事故などでダイヤが乱れていた訳でもありません。臨時の高速はあまり設定されていませんし…)

7500系の車内をよく見ると、座席に『白カバー』が掛けてあるのが確認できると思います。当時の特急(座席指定)運用の際には掛ける事になっていましたので、特急運用崩れのようですね。座席の色は不鮮明ですが、冷房機は初期車のもののようですから、多分『灰緑色』でしょう。とすると、臨時特急に使用した後の運用で『岡崎高速』に入ったようですね。

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2011年1月 2日 (日)

7500系伊良湖号

M7500 新春とはちょっと関係ない写真になってしまいましたが、今回はこれを選んでみました。何やら日本海側は豪雪の様子ですが、雪の写真を選んだのは偶々です。

それにしても、この『伊良湖号』と雪のシチュエーションは似合いませんね。これも前にご紹介したように通年運行の『定期列車』でしたので、真冬でも『伊良湖』号のまま運行されていたからで、豊橋で接続した伊良湖岬行きの特急バスも通年で運行されていました。(どれ程の乗客があったのか甚だ疑問ですが、一応、冬なお暖かい地が『売り』でした…)

正月ダイヤ中の事ですから『座席指定』でも乗客は多かったのでしょうね。勿論、その殆ど人の行先は『伊良湖』ではなく、豊川稲荷でしょう。そうと名鉄も分かっていつつ、いくら何でも豊橋特急は無くす訳にいきませんので、飽くまで定期スジはそのまま残して、国府~豊川稲荷間折返しの『高速』(と言ってもHLか精々AL車)に接続する形を取っていましたね。つまり、定期列車の方が『いなり』号の救済列車と化すほどに、豊川稲荷の『ご利益』があらたかだった時代でした。

余談ながら、当時の国府駅は特急はおろか、高速すら全列車通過の時代。正月臨時ダイヤ期間中の1ヶ月半ほどに限って全列車が停車していましたので、普段からの国府駅利用者(通勤・通学客など)には痛し痒しの『正月ダイヤ』だったようですね。

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2010年12月28日 (火)

5500系蒲郡急行と7500系岐阜急行

M55007500 金山橋は実に撮り易い駅でしたね。何せ、名鉄の大半の列車が通り、そしてそこそこの停車時間もありましたから結構ゆっくり撮ることが出来ました。

当時としては、この写真もそんなに珍しいものではないんですが、5500系はおろか、7500系も過去帳入りして久しいですね。そう言えば7500系は『鳴り物入り』で登場したものの、最後は何かと厄介者扱いされた可哀そうな車両でしたね。

そう言えば、金山橋は滅多に4番線を使うことがありませんでした。下り(岐阜方)は休日昼間でさえ1番線・2番線の交互入線を行って捌く必要がありました。上り(豊橋方)は新名古屋の発車時点で『整流』されていたからでしょうね、交互発車は必要なかったのと、その昔、駅舎側に構内踏切があったようですから、その名残りで通常は4番線を使わなくなったように思われます。

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2010年12月 6日 (月)

モ7566号(旧モ7572号)

M7566 あまりいい写真ではありませんが、今回はこんな写真を選んでみました。

このモ7566号は有名ですね。7500系は先頭車に何かあった場合、7000系のように5500系などSR2連を代わりに出来ませんので、丸々1編成が戦線離脱することになってしまうのを防ぐ目的で作られましたね。最初は3次車モ7572号として登場し、4次車で登場したモ7655号と組むために改番されています。ちなみに、4次車には2代目のモ7572号が通常の中間車として作られ、それと交換されています。

ですから、この車両が日の目を見る事態は本来なら無いに越したことがないのですから、この当時はその珍しい姿を拝むことは滅多にありませんでした。ですから、せめて中間車使用時のものでも、と撮ったのがこの写真でした。よく見ると種別板を付けたままになっていますね。いつ何時、緊急事態が起こるとも分からないからでしょうか?(そう言えば、当時の須ヶ口には予備の種別板が必ず数セット、種別板受けと共に吊るしてありましたっけ)

この編成が大活躍するのはこの数年後、7500系が車体更新に入った折ですね。頻繁に姿を現しては特急運用などにも就いているようですが、その頃は最も名鉄から離れていた(名鉄を撮りに行ける機会がなかった)時期と重なっており、指を銜えて見ている(それ以前に状況すらよく分からない)ような状態でした…。

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2010年11月30日 (火)

7500系岐阜高速

M7500_3 もう一つ7500系をご紹介して11月の締め括りと致しましょう。前回と同じ日に撮った写真です。この当時は流し撮りに取りつかれていた時期で、7000系列は代わり映えしないとの、今思えば贅沢な理由でよく流し撮りの対象にしていました(浜P/Mさんに怒られそうな失敗作も多数です)。

これは何とか見れる程度に止まってくれました。パッと見では現在と同じ2番線を走っているように見えますが、ホームの床下から僅かに覗く2番線の線路には台車が写っていないのをご確認頂けると思います(架線をご覧になってもお分かりですね)。

車両をよく見ると、クーラーの形状(TAC-15)からお分かりの通り初期車ですね。晩年は『逆さ富士』が電幕に換装され、車体側面にも電幕を取り付けるなど結構手を入れられていますが、当時はリレー式の『電子頭脳』部分をIC化改造(と同時に定速度制御を撤去)されてはいますが、外観には変化がありませんでした。

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2010年11月29日 (月)

須ヶ口で佇む7500系

M7500_2 引き続いて7500系をご紹介しましょう。この写真もまだ方面(線)別ホーム時代の須ヶ口駅です。規模としては急行停車駅ですから、まぁそこそこだったのですが、新川工場に直結している駅ですから、運用上の重要度から言えば名鉄でも1・2を争うほどに高い駅だったのではないでしょうか。今は『地盤沈下』が進んでいますね。

遠景に写っている程度ですのでちょっと分かりにくいのですが、津島線ホームに7500系(デカ板の7515F)が停車していますね。当時の津島線に7500系は入らなかったはずですから、普通ならあり得ない光景です。『逆さ富士』の行先をよく見ると『豊橋』が出ているのがお分かり頂けると思います。種別は不鮮明ですが確か『急行』が出ていたと記憶しています。

つまり、普通なら須ヶ口の1番線に居るはずのない列車が止まっています。詳細は不明ですが、これは多分、何かの関係(または定期?)で車両交換を行うためのものではないかと思います。方面別ホームではこういう時も不便ですから、方向別に変更した理由の1つでしょうね。

所で、右端の踏切には懐かしいものが写っています。知る人ぞ知る『名鉄式トラ柵』ですね。特許を取った代物だそうですから名鉄の『意欲作』だったのですが、パテント料を支払っても、とまでの需要はなかったようで…。(系列外の他社では見かけませんでしたね)

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2010年11月28日 (日)

7500系豊橋急行

M7500 7500系はどうしても7000系の陰に隠れて目立たない存在でしたね。こうやって見ると圧倒的に7000系の方が多く撮っています。流し撮りの失敗作のような写真ですみませんが、今回はこれを選んでみました。

当時のP6と言えば全ての編成が連結化工事は未施工でしたので、7500系は勿論のこと、7000系でも6両口はM連などの装備は全くありません。後のいわゆる『S6運用』(P車・5700系の連結可能SR6連)が登場するのは『併結特急』が始まった平成2年以降ですね。余談ながら、晩年には『P6』と『S6』が混同されているような感じもありましたが、元々は連結の可否で厳密に分かれていました。

何れにしても、この7500系は他系列とは一切連結不可のため『蚊帳の外』に置かれて、本来の『P6』運用に入るより他ありませんでした。一時は名鉄初の7・8両固定編成で本線系の特急専用車として使用されていたのですが、この当時は犬山線~河和線系統の特急(座席指定)には使われていたものの、本線系では高速・急行運用が主でした。

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2010年10月30日 (土)

7500系豊川稲荷号

M7500 特急政策の一大転換があったS57年3月のダイヤ改正以降、初めての正月ダイヤとなったS58年1月はその後の臨時ダイヤの行く末を暗示するかのような感じでしたね。

今までのように、四方八方へ『臨時特急大増発』とはいかず、名鉄沿線の2大名刹「円福山豊川閣妙厳寺」と「成田山名古屋別院大聖寺」への参詣客輸送に収斂されています。ちなみに『豊川稲荷』というと稲荷神社を連想しますが、飽くまで『大家さん』はお寺です(併設の稲荷神社の方が有名になってしまったのでした)。

さて、本題の『豊川稲荷』号に戻します。初期の『座席確保』特急時代にも使われたことがありましたが、長らく『いなり』号に親しんだ身としては何となくよそよそしく聞こえたものです。これも『緑板』を好きになれない理由の一つかも知れません(飽くまで個人的な思いでしかありませんが…)。

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