カテゴリー「b1.SR車7700系」の33件の記事

セミパノラマカー7700系関係

2012年4月14日 (土)

7000系+7700系白帯内海特急【御礼57000count突破】

M70007700休日運行の再開です。この1週間足らずの間に、お陰様で1000count超のアクセスを賜りまして、誠に有難うございます。『お約束』としては5700系の写真なのでしょうが、折角ですから7000系白帯の写真を選んでみました。(5次車でも、そんなにいい写真でもありませんが…)

このアングルなら、ここは何処かお分かりの方も多いと思います。これも、前回ご紹介した写真とほぼ同じ場所から狙ったもので、新堀川土手から神宮前に向かって撮ったものです。こちらの高架化はかなり早い時期に行っていますね。新堀川の土手(橋梁)がかなり高い位置にありましたから、それを介して新しい高架橋を延長する感じで工事が行われていました。
その土手にも踏切があったのですが、今はどうなっているのでしょうか。それほど交通量もなく、道路にはなっていても只の『土手の天辺』といった感じのでこぼこ道だったと記憶していますが、ひょっとすると、今は車両通行止めになっているのかも知れません。

背後の『壁画』のビルも、今では建て替えられたのではなかったでしょうか。常滑線そのものは最近も乗車してはいますものの、この辺の『変化』に関しては疎いですね。当時としては結構斬新な感じがしたのですが、今、こうして写真を見ると、やはり『時代』を隠し切れないですね。特に、屋上の表示にはまんま『昭和』と言った感じですね。今や、名駅前の名物だった『大名古屋ビルヂング』の表示もなくなってしまいましたし…。

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2012年4月 8日 (日)

7700系+7000系白帯内海特急

M77007000休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この写真だけで場所が分かった方、かなりの名鉄通ですね。
高架橋工事がおおよそ完成して、下り線ももう少しで移転する感じですね。高架橋なのに、今でもほぼ変わらず『ツライチ』からこんな感じで撮れる場所、と言えばかなり絞られるはずですので、ご興味があれば探してみて下さい。

撮影年代は車両構成でおおよそお分かりだろうと思います。まだ1000系は構想段階。8800系が登場したての頃です。必然的に、当時の『特急車』は7000系・7700系の独壇場で、この頃になると本線に限らず、定期運用の特急に関しては、一応『白帯車』のみで運用できるようになっていたはずです。

河和線の特急(内海特急)は当時でもまだ6両が基本で、白帯車は4連・2連しかありませんでしたから、定期運用はこんな感じとなっていました。河和・内海行に関しては『展望席』が先頭になりますものの、犬山方面では折角の展望席が塞がれてしまう憾みがありましたね。とはいえ、当時の名鉄に『P6s』はどう見ても『使い勝手が悪い』(輸送力調整の出来ない)編成になってしまいますから、致し方なかったのですが…。
この当時に『P6s』を出していたならば、その後どのような変遷を辿ったか、などと夢想したりもしますが、もし、登場したとしても、結構『短命』に終わったことでしょうね、きっと。

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2012年3月31日 (土)

7700系白帯岐阜特急

M7700休日運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この写真は、見れば大体の撮影年がお分かりの方も多いと思います。この当時の本線特急(朝夕)はこんな感じでしたね。目敏い方は背景の方が気になってしまうのかも知れませんが…。

昭和57年から登場した『白帯車』はご存知の通り『6両固定』がありませんから、本線特急などで6両で使用する場合は7700系を『増結』していましたね。列車によって豊橋方・岐阜方が変わっていたのか私には不明ですが、当時は殆ど岐阜方に連結していたのではないでしょうか。(豊橋方への連結は見たことがありません)

写真を撮った数年後には『併結』特急が登場していますが、この当時にはそんなことは想像すら出来ませんでしたね。『併結』特急では必ず豊橋方に『指定席車』を連結していましたから、全先頭車が『白帯車』化した7700系が、このように岐阜方に付くことはありませんでした。『併結』化後も『全車指定席車』特急は数本残っていましたが、ラッシュ輸送用のP4s『重連』でしたから、この写真は『併結』運転開始前のものと、当時をご存知の方ならお分かり頂けるかと思います。

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2011年2月10日 (木)

7700系日本ライン・明治村号【御礼26000count突破】

M7700 26000countの御礼として適当な写真がありませんで…。再掲写真で失礼します。この写真も珍しい部類に入ると思いますので、ご勘弁下さい。

その昔、まだまだ『日本ライン』が名鉄の金看板であった頃のものです。『明治村』の方は今以て金看板であり続けていますね。当時から自家用車で出かける人の方が多かったようですが、犬山に路線バスを集約する前には、こうして小牧線直通の特急が走っていました。

当時はまだ本線特急が1時間に1本きりだった時代ですね。それでも8時台から10時台に関しては『日本ライン・明治村』号が補完して、新名古屋までは時間当たり2本の特急を運行していたことになります。

前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。この系統板の何が珍しいのか、写真をよくご覧頂くと、不鮮明ながら『日本ライン』号の行先が『伏見口』になっているのがお分かり頂けると思います。
この前後の年は新可児止まりだった特急を、なぜ中途半端な所まで『延長』したのでしょうか?それは伏見口(現在の明智)駅に編成を留置していたからで、この時期だけ客扱いをしていたのでした。

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2011年1月15日 (土)

7700系豊橋急行(その2)

M77002 頭だけではなんですから、全体像の写真もご紹介いたしましょう。例によってそんなにいい写真ではありませんが…。

当時は『白帯車』が登場したての頃。それまでは特急運用主体だった7700系4連も『特急専用車』には敵いませんので、その分、他のSR車(いわゆる『SR4』)運用に入って来ていたのではないかと思われます。とは言いましても、平成2年の『併結特急』開始時には全ての4連が中間車(7750形)を抜かれてしまいますので、それまでの間、と言うことになります。

勿論、他の『SR4』(5000系・5200系・5500系)は特急(座席指定)運用に入れませんので、完全な共通運用ではなかったでしょうし、まだ車齢10年未満の『特急車』ですから、特急運用の第一線には引き続き就いていました。
2両編成は早々に『白帯』化されていたのに対して、4両編成はそのまま暫く改造されずにいましたので、特急政策の変更がなかったならば一体どうなっていたか、色々と想像を掻き立てられますね。果たして『7R4s』(7700系4両白帯編成)が登場したのかどうか…。

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2011年1月14日 (金)

7700系豊橋急行といもむし

M7700 7700系もしばらく出していませんので、今回はこんな写真を選んでみました。側面に合っている流し撮り(いわゆる失敗作^^;)で失礼します。

こうやって見ると、まるで3400系と交換しているように見えますが、この3400系、実は須ヶ口の側線に留置されていました。この側線は今も残っているのか確認していませんので分かりませんが、当時は貨物取扱い駅だった名残りでしょうか、あちこちの駅にこの様な側線が結構残っていました。

今も名鉄は大規模な車両基地を持っていませんが、当時は今以上に工場などの留置線が少なかったものですから、あちこちのこうした側線に結構車両が留置されていましたね。ちょっとずつ分散して置けば、他の大手私鉄のような車両基地がなくても何とかなったのと、基地から使用場所まで回送する手間も省略できたために、このような留置法が言わば『名鉄の流儀』になっていました。

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2010年11月 7日 (日)

7000系+7700系白帯豊橋特急

M7700s7000s ボケボケの写真ですみません。7700系が白帯化改造された具体的な日付は記憶にありませんが、この写真が初めて撮ったものです。記憶が確かであればS58年2月頃の平日夕方だったと思います。

普通に豊橋特急が4連で来たものと思っていたのが、何やら後ろに見たこともない変わった車両がひっついているのを発見して、慌てて撮ったものです。先にも書きました通り、平日夕方の特急は4連では輸送力(座席数)が不足するため6連で運行していましたが、7700系の2連が白帯化されて、本線特急もようやく終日白帯編成が入るようになりました。

翌年辺りからは、それまではP6で運行されていた河和・内海~犬山系統の特急も、このP4s+7Rs編成に変わっていきましたね。ただこの時に思ったのは、せっかくの展望席が7700系で塞がれることになる不安(不満)でしたが、今からすれば実に贅沢な『悩み』ですね。

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2010年11月 4日 (木)

7700系2連日本ライン号

M7700_2 くどいようですが、今回も7700系日本ライン号の写真をご紹介したいと思います。表題の『2連』をご覧になっても、特に何もお感じにならない方が多いかとは思いますが、まずは写真をご覧ください。

場所はお分かりですね。本線上(しかも新名古屋付近)を2連特急が行くのはこの時初めて見ました。今までは4連以上が当たり前であった特急にもいよいよ合理化の波が押し寄せてきた、と言うのは大袈裟かも知れませんね。ただでさえ特急車のやりくりが難しい正月ダイヤで、しかも白帯化の過渡期ときて、やむを得ず2連で走らせたのではないかと思われます。
2連特急(西尾特急など)が常態化したのは、もう少し時を下ってからですね。

この緑板は、前回の『日本ライン』号と違って『御嵩』がちゃんと付記されていますね。そもそも、当時の朝の『日本ライン』号は『明治村』号とワンセットのはずなんですが、臨時スジで単独運行があったのか、当時の定期スジにも存在していたのか、その辺は定かではありません。

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2010年11月 3日 (水)

7700系『回送』日本ライン号

M7700 前回の続きの写真もご紹介しましょう。新可児駅で先の列車を捉えたものです。ご覧の通り、今は御嵩~新可児ワンマン専用ホームとなった1番線に入っていました。

営業運転はここまでですが、ここから明智駅の側線へ回送するものと思われます。本来なら系統板を外して回送するのでしょうが、そこは『合理化』なのでしょうか、このまま御嵩方面へ走り去っていきました。そこで返しのスジへ入る夕方近くまで一寝入り(留置)するものと思われます。

写真当時は殆ど新可児打ち切りに固定化していましたが、それ以前には御嵩・明智まで営業運転する時代もありましたね。また、7700系の2両口はS58年から白帯改造されていますので、白帯なしの緑板特急は1年程度の短い期間しか見られませんでした。

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2010年11月 2日 (火)

7700系日本ライン号

M7700 今回も緑板後・白帯化前の7700系をご紹介しましょう。7700系はまず2両口4編成が白帯化されていますが、これはその前のものです。

この駅が何処だか分る方は30代後半~40代以上の方でしょうか。基本的なホームや配線は変わっていないものの、今は随分と違った感じになってしまいましたね。当時は構内踏切に木造平屋建ての駅舎と、乗降客数・運転上の重要度の両方において、名鉄でも有数の大駅とはおよそ思えないような感じでした。

ところで、この緑板は変わっていますね。通常の『日本ライン』号のものであれば、左下に『御嵩』なり『新可児』なりが付記されているはずですが、これにはありません。記憶が確かではないのですが、元々この列車は『日本ライン・明治村』号で、この駅で分割した(単独になった)あと専用の系統板ではないでしょうか。(これで駅名もお分かりですね)
写真では分かりませんが、この先(広見線内)は2両編成での運転となっていましたので、多分そうだと思います。

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