カテゴリー「b3.SR車(上記以外)」の34件の記事

上記以外のSR車(NSRはそのうち)

2012年10月 7日 (日)

5200系半田ダラ

M5200週一運行の再開です。今回は今までと趣向を変えて、SR車を選んでみました。ここは何処か、お分かりの方も多いかも知れませんね。現在でも殆ど変わっていないようですから。
そう言えば、構内踏切もそのままではなかったでしょうか。当時は順次跨線橋を設置していた頃ですが、それでもまだまだ名鉄線内には構内踏切が多数残っていましたね。今となっては、もうここ位でしょうか。(最新情報には疎いもので…)

この当時は支線区の優等列車を次々になくして『ダラ』に変更していた頃ですね。とは言え、写真に写っている『半田ダラ』は、本線直通の列車としては珍しく『ダラ』のまま終着駅まで運行していたはずです。一昔前まではこのような列車はAL車の独壇場だったのですが、6000系が優等運用に進出した影響で、非冷房SR車は徐々にその『代替』に回されています。

さて、写真の駅はお分かりでしょうか。この区間は尾西線とは言っても、殆ど『津島線』の一部と化していましたね。と、書けば大方お分かりかと思います。今以て当駅始発の列車も多数運行され、少し前までは特急の始発駅でもありましたね。この列車は弥富から来たようですから、と言えばもう完全にお分かりですね。
そう言えば、最晩年のP車も結構、弥富発着の列車に使われていたようですから、そう考えると車両運用の基本的な考え方は、この当時から殆ど変わっていないことになりそうですね。

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2012年1月15日 (日)

5200系美合急行【御礼52000count突破】

M5200週一運行の再開をしようとしましたら、お陰様で52000count突破を迎えておりました。御礼の『お約束』(?)としてはこれですね。5000系とは違って足回りもまだ辛うじて残っていますね。5300系化後も車籍は引き継いでいますから、実質的には最も『長生き』なSR車となります。

この5200系で採用された『FS-315』は、軸距(台車の前輪と後輪の中心間隔)2300mmと広いのが特徴でした。ビビり振動も登場(昭和30年初頭)当時のエアサス台車より少なく、長い軸距は蛇行動も抑制しましたから、低速域~高速域まで実に安定した走行をしていました。7000系はご承知の通り名鉄初のエアサス車ですが、5年足らずの間に技術が進化した結果でしょうね。

そう言えば、この5200系もモノコックボディーのはずなんですが、5000系から一転して角張った車体は、なかなか『同じ構造』とは思えないですね。謂わば極限まで『贅肉』を削った『超軽量』車体の5000系よりは若干(2.5t)増えていますが、5000系でも2次車はほぼ同じ重量(0.5t差)でしたから、やはり5000系(1次車)が『軽すぎた』のでしょうね、きっと。

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2011年12月31日 (土)

5000系佐屋ダラ【御礼51000count突破】

M5000更新が滞っているにも拘らず、何だかちょっと目を離していたら51000countを突破しておりました。お礼として適当なものをと探しておりましたら5000系が出て参りました。
50000countでは『お約束』(?)が果たせませんでしたので、順番があべこべとなりますが、何卒ご了承下さい。

この駅は脇に写った看板でお分かりですね。それがなければ危うく蒲郡と間違えそうになってしまいました…。
(記憶とは実にいい加減なものですね)
今、5000系と言えばご承知の通り、VVVF車全盛の時代にあるにも拘らず界磁チョッパを『再利用』した再生車ですね。でも、私の場合はまだまだこの『ダルマ』さんのイメージの方が強く残っており、やっぱり5000系は丸っこいイメージが抜け切れません。東急の新5000系はどことなく往年の『青ガエル』のイメージを彷彿とさせる外観を持っていますので、名鉄の新5000系にも一工夫を期待したのですが…。

さて、写真の『佐屋ダラ』は、蒲郡からの折り返しですね。この頃は津島線(須ヶ口)以降は全てダラ運用とされていた時代。平日朝に数本急行があった他は、確か特急も臨時以外はなかったと記憶しています。後の蒲郡・西尾~佐屋特急は、このスジの焼き直しですね。この頃には佐屋まで1時間ラウンドで特急(座席指定)が運転されようとは、想像すらできませんでした…。

最後になりましたが、今年一年、このブログをご愛顧賜りまして誠に有難うございました。
来年も変わらぬご厚情を賜りますよう、お願い申し上げます。

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2011年10月 9日 (日)

最晩年のモノレール

Mrm100休日運行を再開したいとあれこれストックを探しましたが、いよいよネタ切れになってきましたので、今回はこんなんでご勘弁下さい。(ネガのスキャンが滞っていまして…)

これはご覧頂ければどなたでもご存知ですね。かれこれ廃止されて3年ですか。何だか時の経つのは早いものですね。何でも最近になって、軌道や橋脚の撤去も始まったようで、今はまだ撤去跡が『生々しい』感じでしょうが、あと10年もすれば草生してモノレールの痕跡を探すのも難しくなってしまうのでしょうね、きっと。

このモノレール線は日本初の跨座式モノレールとして有名ですね。東京モノレール開業時に、運転士の研修をしたことでも知られています。当初の『計画図』では、このモノレールも『前面展望式』として描かれていますが、これは当時の技術では実現できなかったようで、前面にのみ、その面影が残っています。とは言え、名鉄伝統(?)の『超開放式』運転台でしたから、殆ど『前面展望』式となっていましたね。

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2011年8月21日 (日)

5200系岐阜急行

M5200休日運行を進めて参りましょう。このところ瀬戸線ばかりが続いていましたので、今回は趣向を変えてこんな写真を選んでみました。
登場から50年余り、台車・機器類を引き継いだ5300系もいよいよ終焉が近づいて、この『最後のSR車』5200系の命脈もいよいよ尽きようとしていますね。

5000系から受け継いだFS307Aは、その『軽量構造』からか早々に淘汰の対象となったのに対して、5200系(5150形)の履いていたFS315はやはり優秀な台車だったようですね。5500系製作に向けての台車試験で、当時の技術ではこのFS315を凌駕する台車がなかったとの逸話も伊達ではないですね。

5300系になってからはあまり『下回り』を気にしていなかったのと、乗車機会そのものが少なかったこともあって、乗り心地の差が分からなかった(5200系独特の乗り心地を感じなかった)のですが、5200系の時代では、高速域からのブレーキ時にその特色がよく現れていた記憶があります。コイルばね特有の『ビビり』振動がなく、まるで滑るように止まる安定した『走り』と独特のブレーキ音(?)が今も思い出されます。

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2011年7月22日 (金)

5500系豊橋高速と5200系岐阜急行

M55005200 週末になりましたので、恒例の運行再開と参りましょう。何だか台風が夏を連れ去って、7月というのに『秋』の気配を感じるような、変な気候ですね。殆ど人為的な『節電列島』に取っては実に有難い気候ではありますが。

さて、前置きはこの辺にして本題に参りましょう。この駅は今までに何度もご紹介していますので、若い方でももうお分かりですね。5500系・5200系が並んでいる辺りは現在も殆ど場所は変わらず、そのまま本線上(下り線)になっていますね。その左に2本線増されていますが。

写真で駐車場になっている所が今の上り線に当たります。西高蔵陸橋は架橋当時から複々線対応になっており、金山橋~神宮前間は僅かに日車の『領地』にかかっている以外、複々線用地がすでに戦時中(開通時)から確保されていました。

ですから、この当時にはその気があれば複々線化工事は可能だったのですが、戦後の都市計画で金山総合駅の計画が持ち上がり、その際の駅移転工事に合わせて施工する計画となっていましたので、そのまま遊休地として放って置くのも何だからと、名鉄らしく利用できる箇所はしっかり利用しています。
とは言え、駅から離れた所は草ボウボウの空地となっていましたね(それなりに手入れはしていたようですが)。

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2011年4月 2日 (土)

5200系フルーツ号

M5200 ついでと言っては何ですが、もう一つ参りましょう。これはイラスト板なのかどうか迷うところですが、一応、イラストっぽい文字ということでご了承ください。緑色の文字も、他にはありませんでしたし…。

この『フルーツ』号も結構老舗の特急ですね。P板の方は葡萄やら梨やらのイラストが描かれたものでしたが、一般板は黄色地に色文字を配した全く別の感じのものが用意されていました。一応『黄板』の仲間でありますものの、ご覧のとおり、普通の『黄板』より若干レモン色に近い感じのものでした。

この写真は、まだ5200系が『座席指定』運用に入っていた時代のものです。と、書いてあるのをご覧になって不自然に感じた方、その感覚は実に正確です。まず系統板に『座席指定』と書いてありません。5200系はどう見ても『特別整備』後の姿ですね。この写真も現場の方々のご厚意で撮影できたものです。

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2011年3月27日 (日)

5000系常滑焼まつり号

M5000 常滑つながりで今回はこんな写真を選んでみました。見た通り厳密には『イラスト板』ではないんですが、広義のイラスト板(名称が言わばイラスト)ということでご了承下さい。

この『常滑焼まつり』号は昔からある老舗の列車ですね。晩年は確か焼き物のイラストも入っていたと思いましたが、この当時は文字だけのシンプルなものでした。S52年のダイヤ改正前までは、いわゆる『白板特急』(一般特急)の『常滑特急』名称変更(追加?)として設定されていましたね。

で、この写真、その当時のものであればいいんですが、正直に申せばS52年ダイヤ改正後(『高速』登場後)のものです。この当時も同様に、まつり期間中の常滑高速にはこの系統板を付けていました。この写真も駅員さんのご厚意によって撮影できたもので、ホームから降りての撮影も見守って(前方注視をして)頂きながらのものです。
(実にいい時代でした…)

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2011年3月 5日 (土)

5200系豊川高速と7000系岐阜特急

M52007000 毎度脈絡のない選択ですが、今回はこんな写真を選んでみました。ここは今までに何度もご紹介していますから、お分かりですね。今は跡形もなくなった駅としては、最も大きな駅ですね。

5200系は『最後のSR車』として今以て活躍中ですね。と言うと、若い人は「随分前に廃車済みなのに!???」などと、何の事だか分からないかも知れませんね。でも、しぶとく残っていますね、幽霊とは反対に『足』だけとなっていますが。

戯言はこの辺にして、この5200系の『豊川高速』は多分、飯田線の保守間合いの関係で設定された列車だろうと思います。そして系統板はこの当時主流だった簡略表記ですね。その昔は本当に『豊川』駅に発着した列車もありましたが、それは3900系が最後ですね。この時点では到に乗り入れは終了しています(一応念のため)。

さて、7000系の方ですが、何と言うことのない只の『岐阜特急』だと思っていたのですが、よく見ると『M連』未装備の4連車のようですね。この記事を書くために眺めていたら、たまたまそんな車両を撮っていることに気付きました…。(未装備車を狙っていた訳ではなく、まだ何もかもが珍しい頃に撮ったものです)

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2011年1月 6日 (木)

5200系弥富ダラと3900系御嵩(?)急行

M520039002 遠景だけではなんですから、もう少し寄った所で撮った写真もご紹介しましょう。(同じような写真が続きますが…)

ご覧の通り、河和線から来た5200系は弥富ダラ、常滑線から来た3900系は確か御嵩急行だったと思います。前にも書きました通り平日の事ですので、平日限定のダイヤだったのか、緩急結合でこうしたダイヤが組まれたのか不明です。ポイントは連動させているでしょうから、安全性には問題ないのでしょうが、実に思い切ったダイヤですね。

ちなみに5200系は唯一の高運車5202号ですね。7700系以外のSR車では5509号と共に事故復旧時に高運化されていますが、AL車などでは車体更新工事とは必ずしも関係なく高運化していたのに対し、SR車は結局この2両きりでした。AL車の方が事故時の危険性が高かった(車体が弱かった)からなのか、SR車は改造費が高かったからなのか分かりませんが、経営的な判断からすれば、寿命の長い方から改造するはずなんですが…。

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