カテゴリー「c1.OR車(3400系含む)」の27件の記事

OR車(3400・3850・3900系)関係

2012年2月13日 (月)

2904Fの回送

C2904休日運行が1日ずれてしまいましたが、週1運行を再開いたします。段々とスキャン済みのネタが切れかけて来ましたんで、いいネタがなくて済みません。決していい写真ではありませんが、今回はこんな写真を選んでみました。

2904Fは名鉄の数ある『異端車』の中でも特別な存在でしたね。登場時は5000系で使用する機器の試験車として、AL車では唯一『MM’』のユニット制御器を採用しています。だからこそ、両端の先頭車が『Tc』になったのでした。それにしても、Tc車にパンタがあって、M車にはパンタがない不思議な編成でしたね。この辺はなぜそうなったのか、私には分かりませんが。

さて、写真は回送ですね。この頃からでしょうか、新名古屋を回送列車が普通に通過するようになったのは。以前にも早朝・深夜には見られましたものの、鳴海~新川の車両移動は大体同区間のダラか準急で運行されていたのですが、回送列車にすると税制上有利になるようで、今もあまり乗客が見込めない列車は『回送』にして、節税にいそしんでいるようです。

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2011年11月27日 (日)

検車区があった頃の太田川

M34002週1仕業の運行再開です。昨日は新装なる太田川駅の内覧会が開催されたようですね。河和線からの合流ホームが上階に分かれるなど、何だか大規模な駅に生まれ変わるようですね。すっかりこの頃の面影がなくなってしまう寂しさはありますものの、それも時代の流れですね。

さて、この頃の太田川は頻繁に車両の増解結が行われており、その留置線としてもこの太田川検車区は使われていました。この時は3400系が入庫して何やらパンかグラフの周りをいろいろと検査していました。見ている限りは架線は『生き』ている様子でしたので、ちょっとドキドキして作業を見守っていたのを思い出しました。

今はメンテナンスフリー化も進んで、作業も随分と楽にはなったのでしょうが、当時は手間のかかるAL車・HL車がそれこそゴマンとあった時代。当時でさえ結構『年季』の入った車両が多かったのですから、その『お世話』は結構大変だったのだろうと思います。車両を長持ちさせるのは、それに見合った技術があったからに他なりませんが、それはいわば『卵が先か鶏が先か』と同じように、名鉄には必要だからこそ、保守技術が蓄積されたとも言えそうですね。

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2011年8月 5日 (金)

3900系森上急行【御礼39000count突破】

M3901週末になりましたので、恒例の運行再開と思ってみましたら、お陰様で39000countを突破しておりました。お礼としてはやはり、お約束(?)のこの写真を選んでみました。
所で、この駅はお分かりでしょうか。写真にある角度の『眺め』は今もそんなに変わっていませんね。

ご承知の通り3900系は名鉄最後のAL車ですね。3850系のABFM制御器は当時最新の多段式制御器で、普通ならこの3900系にも(改良型が)採用されてよさそうなんですが、中々『扱い難い』一品だったようで、800系からの伝統があり、運転士諸氏にも馴染みがあるカム軸制御器が採用されました。3500形(2650形)から取り外された制御器を流用したとも言われていますね。(中間車まで含めると1両分足りませんが)

当初2両編成で登場した3900系は『いらこ』号など座席指定制列車へ優先的に使用されていたようですね。2年後に3400系と共に4両固定化されて、名鉄としては異例の『固定クロス』車だったのですが、家族連れなどには『転換クロス』よりも良かったのでしょうか(その辺は私には不明ですが…)。

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2011年7月31日 (日)

3850系豊明ダラ(?)

C2852 休日運行2日目を続けましょう。今回はこんな写真を選んでみました。写真を撮っていると時折、こんな感じでわざわざ入ってくる人もいますね。別に晒す訳ではありませんが…。(見た所還暦前後の方でしょうから、恐らく鬼籍に入っている事でしょうね)

さて、この写真をご覧になって「一体どこ行きなのか?」と思われた方も多いと思います。この駅からは絶対に豊明行は出ない、と言っても過言ではないですね。でもあったんです、と引張るのはほどほどにして、実は太田川検車区へ引揚げる車両で、系統板を外した状態のものでした。しかし、何かの都合で系統板代わりに車体へ手書きした行先がそのまま残っていて、こんな写真になったのでした。

そう言えば、3850系はAL車の中では最も写真が少ない形式でした。特段に避けていた記憶はなかったのですが、全車が原形を留めない程に車体更新を受けていたこともあって、個人的にはあまり面白味を感じなかった車両なのは事実でした。逆に、殆ど1両毎に違った感じでしたので、趣味的な面白味を感じる方も多いのでしょうが…。

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2011年6月26日 (日)

須ヶ口の3400系と7500系

M34007500 休日運行を続けましょう。須ヶ口つながりでこんな写真を選んでみました。この写真で変わらないのは背後に写る工場位でしょうか。

この写真は前にも同じようなものをご紹介していますね。3400系はまるで対向列車のように写っていますが、須ヶ口の側線に留置されているものです。ですから色々な組み合わせで撮ることが出来ました。(とはいえ、この写真はブレブレですね。すみませんm(__)m)

須ヶ口駅は、一般的には津島線の分岐駅として紹介されることが多いのですが、歴史的経緯からすれば、それは『あべこべ』ですね。元々は津島線の方が先に建設されており、この須ヶ口から省線(国鉄⇒JR)清州駅へ向かう『清州線』が分岐していました。それが後に名岐連絡の使命を課されて新清洲から国府宮を経て新一宮へ。そして木曾川橋梁の完成を待って新岐阜へと繋がっています。
ですから、正確には『津島線から名岐線・名古屋本線が分岐した駅』となります。もちろん、現在の線名は運行形態に合わせて変更されていますので、線路の『戸籍上』も津島線の始点は須ヶ口に変更されてしまっていますが…。

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2011年5月22日 (日)

3400系犬山ダラ【御礼34000count突破】

M3400週末限定の 『間引きダイヤ』にも拘らず、皆様方のご愛顧を頂きまして34000countを突破することが出来ました。御礼としてはささやかですが、お約束(?)の3400系を選んでみました。
この鉄橋は今も殆ど変わっていませんが、上を走る車両は殆ど変ってしまいましたね。

当時は6000系が毎年増備を重ねており、AL車も一部が引退を始めていましたものの、まだまだ多数のAL車が幅を利かせて、本線を縦横に走り回っていました。AL車4連の、通称『OR車』は支線スジの高速・急行を中心に運用されていたのですが、6000系の増備が進むに連れて優等スジから徐々に追い出され、この頃になるとダラ運用がメインになって来ていましたね。とは言え、名鉄のダラは4両では『輸送力過剰』になるスジも多く、連結もできない3400系がいるために、随分と使い勝手が悪くなってきていたようです。

登場以来、一貫して『単独運用』が続いてきた3400系ですが、このような事情から連結可能化工事をこの1年後に受けることになりますが、今思えば、もう少し早く受けていてもおかしくないものでした。背に腹は代えられない事情があったにせよ、P車の重連は比較的早く始めたにも拘らず、3400系は土壇場になるまで手を付けなかった事情には、名鉄(社員)の3400系に対する何か特別な『思い入れ』があったのでしょうか。

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2011年5月 1日 (日)

3900系岐阜ダラ

M3901 休日運行を続けましょう。今回はこんな写真を選んでみました。当時としては特に変わったものではないのですが、強いて言えば、急行運用が主体だったOR車も、この頃になると写真のようなダラ運用がメインになりつつありました。

この3900系は最終AL車ですね。そして3900系の最終編成である2904Fと言えば、5000系を開発するために走行機器のテストを兼ねて製造されましたね。3901F~3903Fは、3850系で採用したABFM多段式制御から、AL車『標準品』の平凡な制御器に変更されていますが、これは3500系の電装解除(2650形化)の際に浮いた機器を流用したとも言われています。余談ながら、3850系の制御器(性能)は運転士間で相当評判が悪かったようですね。

また、3900系の特徴として、この写真にもありますように制御(Tc)車のパンタ装備が挙げられますね。登場当初は2連でしたが、翌年に4連化されていますので、そのつもりで当初から装備したと言われていますが、そうするとTc車から中間M車まで母線を引き通さなければなりませんので、一手間も二手間も余計に掛かります。3400系(当時は3連)で実績があったとはいえ、なぜ、わざわざ複雑な構成にしたのか不可解ですね。(これも『名鉄七不思議』の一つです)

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2011年4月22日 (金)

7000系岐阜高速と3900系豊明ダラ

M70003902 週末となりましたので、恒例の運行再開です。今回はこんな写真を選んでみました。当時としては何の変哲もない写真だったんですが、今となっては全てが過去牒入りしてしまっていますね。

当時の名鉄は『座席指定』か否かの違いが殆どありませんでしたね。この当時はまだ車両の区分をし始めた頃で、定期『特急』には座席モケットを張り替えた通称『赤モケ車』を使っていたものの、臨時特急は冷房SR車なら『何でもあり』の状態でしたね。

『高速』登場のきっかけも、この名鉄特有(?)の車両運用が、とある革新系政治家に攻撃されたところからきています。曰く、特急が2種類あって、しかも殆ど同じ車両が使われているにも拘らず、一方を『座席指定特急』と称して料金を取るのはケシカラン、との事でした。ツツカレた以上、運輸省(中部運輸局)も『行政指導』をする事となって、他には見られない『高速』という種別が登場し、それなりに『特急車』を整備するようになっていきます。

とは言え、当時は『特急専用車』など夢のまたゆめ、果たして名鉄に登場する『その日』が来るのかさえ想像できなかったのですが、この写真を撮った10年後には本格的な『特急専用車』1000系が登場したのですから、その間の遷り変わりようは実に急激なものでした(善きにつけ悪しきにつけ…)。

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2011年1月24日 (月)

新川工場の3400系【御礼24000count突破】

M3400 皆様方のご愛顧を頂いて、お陰様で24000countを突破することが出来ました。お礼として2400形の写真をと思いましたものの、あまりいい写真が残っていませんで…、こんな写真で失礼します。

3400系は言わずと知れた『いもむし』ですね。最末期には登場時の塗装に戻されていましたから、その語源はよくお分かりになっていると思います。この時代はご承知のように赤色塗装でしたが、語呂が悪かったからか『赤いもむし』とは言わなかった(聞かなった)ですね。『なまず』の方は『青なまず』・『赤なまず』と色を付けて呼んでいたのですが。(どこかで3400系を『赤マムシ』と呼んでいたような記憶はあります)

そう言えば3400系は、全国的には珍しい制御車(付随車)の前パン装備でしたね。名鉄では3900系も『制御車前パン』ですが、両系とも2両編成から後に4両編成となっていますね。2400形のパンタは元々予備として装備されていましたが、登場時から将来の増結を見越していたのか、その辺は私には不明です。

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2011年1月21日 (金)

3900系岐阜ダラ

M3901 3900系もあまり出ていませんでしたので、今回はこれを選んでみました。最終のAL車として登場した3900系ですが、機器的には3850系とは違って至ってノーマルなものを使っていましたね。名鉄では異例の固定クロスシートは『家族向け』の仕様として登場しています。

OR車は2両固定のAL車とは違って、その昔は急行主体の運用が組まれて『元特急車』としての面目を保っていたのですが、6000系の増備が進むに連れて急行スジを奪われ、この様にダラ主体の運用に変わって行きましたね。それは晩年の7000系の使い方を見るようで、その辺は当時も今も車両の起用法は変わらないことになります。

そう言えば、名鉄初の『座席指定』列車は昭和36年に登場した事になっていますが、それは『座席指定』料金を初めて適用した列車であり、それよりも前に無料ながら全席を『座席指定』制とした列車は存在し、まだ2両編成時代の3900系も使用された記録があります。

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