カテゴリー「c3.AL車-優等・その他」の32件の記事

同上、急行・準急運用その他関係

2011年7月30日 (土)

2500形須ヶ口準急

C2502 休日ダイヤを進めましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この頃はまたイメージが変わりつつありますが、昭和50年代の名鉄を一文字で表せば、やはり『赤』になるでしょうね。しかし、まだ昭和50年代のはじめにはこんな感じで旧塗装の車両が、その数を徐々に減らしながらもまだ結構いましたね。

この頃の2500系は、終焉(廃車)まで共にした830系と組んでいました。本来の相手は言わずもがなの3500形なんですが、3500形が2扉改造を受けた後も、なぜか2500形だけは3扉のまま、結局最後まで殆ど手を入れられることなくその生涯を閉じています。
とは言っても、本来の『計画』が実行されていたならば、この時代には既に存在しなかったのですから、致し方ない面もありますね。

所で、今ここはどんな感じになっているのでしょうね。この写真で言うと、車両の隣に写っている側線の辺りが常滑・河和方面の副本線でしょうか。数年後には3階建の超立体駅に生まれ変わる予定ですから、この当時の遺構を探すのは一層難しくなりそうですね。

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2011年7月10日 (日)

犬山検車のモ811号

M0811 引き続き犬山検車の写真をご紹介してまいりましょう。ご承知のように、犬山検車区(検査場)は昭和60年に開設していますから、当時は大方のAL車がまだ現役バリバリであり、当然、この犬山検車にも出入りしていました。真新しい検車区と古豪の組み合わせはアンバランスな感じを否めませんでしたが、実に『名鉄らしい』組み合わせでもありますね。

さて、写真はまるで『保存車』のような感じで留置してあるモ811号ですが、勿論、現役バリバリ。偶々そんな感じで1両きり、最も正門側に近い留置線で次の出番を待っていました。この811号は元802号を両運化復活の上に改番していますね。

800系は809号・810号でご承知のように、元々は全車が両運車でしたので、復活後にわざわざ改番する必要はないはずだったのですが、両運車を分かりやすくしたかったからでしょうか、その辺が今一つ不可解ですね。前にも書きましたように、登場当時の現場では810形として区別していたようですが、それにしても、3500系からの『編入車』(両運改造車)に811号以降を付番した方がすっきりしたと思うのですが。
そこがまた『名鉄らしい』所でもありますが…。

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2011年6月24日 (金)

太田川での連結作業

C2826 週末恒例の運行再開です。今回はちょっと趣向を変えて、こんな写真を選んでみました。太田川駅の立体化(重層化)工事はどの辺まで進んだのでしょうか、沿線から遠く離れた私にはリアルタイムの状況は分かりませんが、完成すればかなりの威容を誇る駅になりそうですね。

この当時は構内踏切から、やっと跨線橋へ切り替えた直後ではなかったかと思います。今やミュースカイが猛烈なスピード(120㎞/h?)で通過するようになりましたので、もし構内踏切のままだったなら、とんでもなく『アブナイ駅』になっていた所ですね。当時は、以前にも申しましたように、太田川を通過する特急は皆無ではありませんが、河和線へ曲がる関係もあって、構内はノロノロ(30㎞/h位?)で通過していました。

そしてこの当時の『太田川名物』と言えば、この連結・解放作業ですね。今も名鉄の駅としては多数の留置線を持つ駅ですが、当時はまだ『太田川検車場』が現役の時代。入庫・出庫を兼ねて頻繁に連結・解放を行っていました。そう言えば、その殆どはAL車でしたね。平日はともかく、休日の、特に日中は常滑・河和線にHL車はあまり入りませんでした。
太田川以南へ向かうダラ・準急などは、どうしても乗客が『段落ち』するための措置でもあったと思います。

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2011年2月 4日 (金)

新川工場の801号

M0801 今回はこんな写真を選んでみました。新川工場で一息入れているモ801号です。当時の1500V車両では最古参、そして名岐鉄道時代からの生き証人でもありますね。新川工場自体、名岐直通を睨んで造られた拠点ですから、同じ目的で登場した800系は最も似つかわしい車両ではないかと思います。

側面をよく見ると、運転台側と連結側で乗降扉が違うのがお分かり頂けると思います。運転台側は多分木製ですね。登場時の写真も同様の扉を使っているように見えますが、腰板部分や窓の桟の有無が違いますので、後に改造されたものか、この扉も入れ替えられたもののようです。

よくあるパターンとしては、廃車した車両でまだ使える部分との取り換えですが、これもひょっとするとそうなのかも知れません。連結側の扉は多分、特別整備時に取り換えられた鋼製の扉ですね。800系に限らず、AL車の細部は1両毎に違うと言っても過言でない程、結構違っていましたね。

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2011年1月22日 (土)

3600系豊明準急

M3602 今回は元『座席指定』車つながりでこの写真を選んでみました。とは言いましても、その当時から座席指定料金を徴収していた訳ではありませんが。

3600系は蒲郡線など、まだ支線に600V区間が点在していた1950年代に複電圧改造を受けて直通特急などに使用されていました。それは戦時中でも、3400系と共にクロスシートのまま残されていたからでしょうね。3850系登場後は、同様の『赤クリームとチョコレート』の特急色に塗り替えられてその任に当たっています。

原型は前面に特徴のある優美なスタイルが『売り』だったのですが、AL車の中でいち早く『延命存置車』として処遇されたがために、優先的に高運化工事を受けることになり、却ってその姿を捨ててしまっています。とは言え、前にもご紹介しましたように、ニス塗りの車内は中々の雰囲気が保たれており、登場時から設置された転換クロスシートも、ただ古いだけでなく『骨董品』が如くの気品が感じられました。

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2011年1月20日 (木)

800系高速『検査中』?

M0803 前回の写真をもっと近くから撮った写真がありましたので、今回はこれを選んでみました。やはりただの留置ではないようですね。こんな系統板があったのかとびっくりして撮ったものです。

何かトラブルでもあって緊急避難的に『入場』(留置)したのか、それとも、他の検車区が一杯で大江でも出張して一般の検査を行っていたのかは不明ですが、何やら高速で(?)検査しているようですね。写真には写っていませんが、確か、築港支線の列車を待っている時に、検査員らしき人影がこの車両の周りを歩いていたような記憶があります。

800系は当時でも車齢50年に届こうかと言う1500V区間の『最長老』でしたから、この頃にもなるとあちこち『ガタ』が来ていたのでしょうか。飽くまで私感ながら、乗った感じは他のAL車と大して『違い』は感じなかったのですが…。(尤も、素人にも『違い』が分かるようでは手遅れでしょうが)

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2011年1月19日 (水)

大江に留置中の3800系

M3800 今回はちょっと変わった写真を選んでみました。毎度ながら、画像がいまいちですみません。窓ガラスが汚れていてちょっと不鮮明ですが、これは、築港支線の列車内から撮ったものです。

この時は3800系と後方(大江駅ホーム側)に800系の2編成が留置されていました。現在はもう少し留置線が伸ばされて、昼間帯などには使わない車両を留置するのが常態化していますが、当時の大江駅の留置線にはそんなに車両が置かれていた記憶がありません。ですから、この写真を撮ったのだろうと思います。

写真の左には、複線時代に現役だったであろう線路がまるで廃線跡のように伸びていますね。後年にはこの土地を生かしてHSSTの実験線が建設されましたが、今は更地化してしまっています。そう言えば、今の築港線は大江駅で改集札を行っていますね。東武大師線でその形態を初めて見たときは随分と思い切った方法だと感じましたが、一駅のみの『盲腸線』には有効な方法ですね。

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2011年1月 3日 (月)

ク2502号須ヶ口準急

C2502_2 正月ネタが切れてしまいましたので、これも正月に撮った写真、と言うことで何卒ご勘弁下さい(正月早々すみません^^;;;)。

名鉄の写真を撮り始めた頃は、丁度『真っ赤な名鉄』に向けて塗り替えを進行させている最中でしたので、少ないながらも旧塗装の車両を撮ることが出来ました。これはその昔の名岐鉄道(旧名古屋鉄道)以来の伝統色ダークグリーンですね。ご覧のように『緑色』と言うよりは限りなく黒に近いイメージの色でした。戦前まで列車は目立たない色を塗装するのがいわば『常識』になっていましたので、他社もマルーンや国鉄(省線)ではブドウ色など、真っ黒ではないという程度の彩色を選んでいましたね。

戦後は様々な色が塗られるようになって、名鉄でもご承知の通り様々な塗装が採用されましたが、尚も『ダークグリーン』が残っていたのは、高度経済成長期に車両の待遇によって色を変えていた名残りでした。この『ダークグリーン』を塗られた(つまり、新塗装化しない)車両は例外なく『廃車』の運命を辿るはずだったのですが、石油ショック勃発で辛くも生き残った車両たちでした。

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2010年12月26日 (日)

3800系刈谷経由吉良吉田急行【御礼22000count突破】

M52002833 お尋ねもありましたので、今回は22000countの御礼も兼ねてこんな写真を選んでみました。(また3800系になってしまいましたが、他意はありません)

当時はまだ八百津線すらLE化の前でしたから、三河線の末端区間にも本線からの直通列車が残っていました。とは言っても昼間ではなく平日の朝夕ラッシュ時限定の運用だったと思います。(朝夕ラッシュもこの当時には、本線から『西中金』直通は既になかったと記憶しています)

急行は多分、知立までではないかと思います。また、三河線の碧南~吉良吉田間は2両までしか入れなかったと思いましたので、多分、碧南辺りで2両切り離しになったのではないでしょうか。わざわざ『刈谷経由』と断り書きがある通り、吉良吉田へは当時でも新安城経由が普通でしたから、車両運用上の都合で残されていたのかも知れません。
余談ながら、当時の西尾線急行は殆ど『蒲急』(蒲郡まで直通)でしたから、吉良吉田の系統板自体が珍しいものでした。

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2010年12月24日 (金)

昔日の神宮前駅

Photo_2 クリスマスプレゼントとしては何ですが、今回はこんな写真を選んでみました。まだ『方面別』ホーム時代の神宮前駅ですね。現在の神宮前南方は常滑線ホームに合わせて嵩上げされていますから、丁度、左に写った5200系の高さが現在のホームの高さと同じではないかと思います。

方向別に配線を直したのは昭和59年の事でしたから、それからでも既に四半世紀。大体30歳以下の方は現在の形態に変わった以降の記憶しかないことになりますね。私とて、神宮前の記憶が残っているのは昭和50年頃からですから、現在の『方向別』の方が長くなっていますが、印象としてはまだこちらの方が強いですね。

常滑線が本線を跨ぐ部分は今もなおそのままの幅なんですが、当時は別に狭いとは感じなかったものの、今見ると随分と狭い範囲で複線が通っていたものだ、などと思ってしまいます。(下り線を中心方へずらしている事もあるのでしょうね)

余談ながら、写真にあるP車用のオーバーハング型停車位置表示は今も残っているのでしょうか?P車が全廃された今となっては完全な無用の長物ですから、残っていたとしても時間の問題でしょうね。余談ついでに、名鉄駅を表していたパノラマカーのピクトグラム(絵文字)も今後の処遇が気になりますね。P車の走らない路線でも、『P車=名鉄』とばかり堂々と掲げていましたが…。

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