カテゴリー「c2.AL車-ダラ運用」の41件の記事

上記以外のAL車、ダラ運用関係

2012年7月15日 (日)

3880系弥富ダラ

M3889週一運行の再開です。今回はこんな写真を選んでみました。この車両は結構『有名』でしたから、若い方でもご存知の方が多いのではないでしょうか。こうやって見ると、すっかり『名鉄』の中に溶け込んでしまっていますね。元々運輸省規格A’型の『よしみ』で名鉄の車両デザインとは親和性が高い車両でもありましたが。

まさか東急車が、こんな感じで名鉄線内を縦横無尽に走り回る姿は、昭和50年までは誰も想像すらしていなかったでしょうね。何せ、名鉄のオファーに一番驚いたのが東急本社(担当者)だったようですから。特に、モ3880形の方は貫通扉がそのままでしたのでそれほど違和感がなかったのですが、ク2880形の方は貫通扉を塞いで『3連窓』に改造されていましたから、旧型車ながら新鮮な感じがしました。

この3880系は2M1Tでしたから、このような『ダラ運用』には持って来いですね。導入(移籍)当初は『特急』(今でいう全車一般車特急)などの高速運用にも充当されていましたが、名鉄のAL車と違って『弱め界磁』が撤去されてしまっていたため、名鉄のような旧型車でも100km/h超で設定された高速ダイヤには耐えられず、いわゆる『1次車』(初期導入車)は寿命(特に駆動系)を擦り減らしてしまったようですね。

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2011年12月11日 (日)

3550系岡崎ダラ

M35513880週一運行を再開致しましょう。例によって、決して目新しい写真ではありませんが、今回はこんな写真を選んでみました。
ここは何処か、若い人ではちょっと想像がつかないのかも知れませんね。絶対に知っている駅で、今もこの建築中の構造物(もちろん、完成後)は、名鉄ファンなら誰でも一度は必ず目にしているはずなんですが。

この当時の名鉄はビッグプロジェクトが目白押しでしたね。写真を撮った年が『栄町開業』、その翌年は『豊田新線開業』に、更にその翌年には『知多新線全通』と、派手なイベントに隠れながらも、この駅を皮切りに『駅の近代化』が始まりました。それまでは、いかにも『地方私鉄の駅』然とした佇まいから、徐々に『大都市圏鉄道』へと脱皮を遂げていきましたね。

よく見ると、橋上駅舎工事中の間は暫くホームの上屋がなくなっていたようですね。今ではさすがに苦情の一つも出るのでしょうが、当時はまだまだその辺も、実に鷹揚な時代でした。そもそも、名鉄の駅は新名古屋などごく一部を除いてはホームの上屋もロクにない駅が多かったものですね。

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2011年10月 1日 (土)

812号太田川ダラ【御礼43000count突破】

M0812何だか『節ネタ』ダイヤ中にも拘らず、早々に43000count突破を迎えました。御礼として『秘蔵写真』をと行きたいのは山々ですが、こんなものしか残っていませんがご覧下さい。

元3500系の812号ですが、当時はこうして2+1の編成でよく用いられていました。今は太田川止まりと言えば常滑線か河和線内ダラとなっていますが、この頃は国府宮~太田川間のダラスジが設定されていました。6000系も登場時はこの筋に入っていました(今では考えられませんが、完全な『限定運用』が組まれていました)。

所で、ここはお分かりでしょうか。あまり『同業者』は見掛けませんが、ほぼ90度に曲がっていますので、位置取りを工夫すれば午前も午後も『順光』を狙える場所ですので、個人的には結構撮りやすい場所と感じました。とは言え、ちょっと気を許すと、こんな感じに前面に影が被ってしまいますが…。

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2011年9月17日 (土)

3880系豊明ダラ

M3883休日になりましたので、運行再開致します。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処かは大方ご存知ですね。ドームが出来てこの辺りは一挙に寂れてしまったようで、名前も戻った今となっては『開かずの入口』と化してしまった『邪魔もの』が占拠していますが…。

その昔は野球開催日限定の回数券はおろか、定期券まで各駅から発売されていましたね。実際どの程度の発売実績があったのか私には不明ですが、移転前までは毎年のように発売されていたようですから、相当数の『キチガイ』(失礼!)が存在したことは間違いないようです。そういう面では十分に『元は取った』のかも知れませんが、傍目には何か勿体ない気も致します。折角ですから『街起こし』(駅起し?)の一環として、何かしら活用できないものかと感じています。

何だか、本題から別の方向へ飛んでしまいましたが、無理やり戻します。
3880系はご承知の通り、実に特異な経歴の持ち主ですね。登場(移籍)当時は犬山線関係の輸送力優等列車に集中投入されていましたので、車両性能からするとかなり『荒い』使い方をされていたのですが、この頃には本来的な使い方とでもいうべき高加速性を重視したダラ中心の運用で、新名古屋へも頻繁に顔を出していました。最晩年は小牧・広見線の『機織り運用』がメインで、あまり本線には顔を出していなかったようですね。

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2011年8月12日 (金)

800系広見ダラ

M0810週末恒例の運行再開です。ここ数日前からいきなり暑さが増してきましたね。既にお盆休みに入っている方も多いようで、私の通勤ルートでは10日辺りから日に日にラッシュが緩和されて、今日はまるで『休日ダイヤ』のような感じになっていました。(本数はそのままですから、通勤者数はまだまだ多いのでしょうが)

ヨタ話はここまでにして、今回はこんな写真を選んでみました。809号・810号と言えば、最後まで『両運』構造を維持するなど比較的800系の原形を留めていた車両として有名ですが、その実、800系で『最も改造された』車両でもありますね。(東芝府中でチョッパ制御車に改造された803号には劣りますが)

外見、特に『お面』部分はご覧のように幌金具が取り付けられた程度ですが、連結器はAL車唯一(唯二?)密着自連に取り換えられていますね。そしてこの写真では分かりませんが、809号の岐阜方と810号の豊橋方には『M式自動連結器』(通称M連)の試作器が取り付けられて、長期耐久試験を受けていました。最晩年には取り外されていたようですが、写真当時はまだ『現役』時代で、この時も相棒の809号との連結に使用しています。

さて、809号・810号の連結器がなぜ取り替えられたのか、巷には『M連試験』に合わせて云々、などと書かれたものも目にしていますが、それは事実と違いますね。密着自連はその前、恐らく『幌金具』と共に装備されたものと思われます。では一体、この幌金具は何に使ったのか。それはご存知の方も多いと思いますが、P車中間車の回送用ですね。ジャンパ線が他のAL車よりも1本多いのも、多分このためだと思われます。
昭和40年代は結構頻繁にP車(7000系・7500系とも)の組み換えが行われていたために、当時は貴重な両運車だった809号・810号が、国鉄(JR)の『配給車』宜しく、中間車を挟んで鳴海・新川から日車名古屋工場へ、或いは鳴海・新川相互間を行き来していました。

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2011年7月15日 (金)

800系岐阜ダラ

M0808 週末になりましたので、恒例の運行再開と参りましょう。毎度脈絡がなくてすみませんが、今回はこんな写真を選んでみました。ここはどこかはもうお分かりですね。神宮前のホームは元々『方面別』でしたね。これはその時代のものです。

現在は方向別に変わっていますので、基本的に『逆走』は行わない設計ですが、当時は豊橋方からの渡り線が常滑線ホームへも繋がっていたこともあり、下りホームにも上り(常滑・豊橋方面)列車が入ることも僅かながらありました。ですから、下りホームにも拘らず、上り方にも停車位置表示が建植されています。

さて、写真の808号ですが、800系にしては珍しく幌枠の付いた車両ですね。これは、一時期850系の『中間車』として組み込まれていたために取り付けられたもので、その後も廃車まで幌枠を装備したままとなっていました。名鉄の場合、今でも編成を連結する際に幌をつないでいるのは瀬戸線だけですが、昭和40年頃から既に連結時の幌連結が省略されるようになり、早晩幌も撤去されています。が、幌枠は大体の車両に残っていましたね。
そんな経緯から、6500系以降の各車は幌枠どころか、貫通扉まで省略してしまっています。1600系で久々の復活を図ろうとしたものの、結局『企画倒れ』に終わっていますね。

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2011年6月11日 (土)

3650系常滑ダラ【御礼36000count突破】

M3652 相も変らぬ『節電ダイヤ』にも拘らず、ご愛顧を頂いて36000countを突破することが出来ました。御礼としてお約束(?)の3600系をと探したのですが、適当な写真がありませんでしたので、今回は『弟分』の3650系でご勘弁下さい(6000系ではなんですから…)。

3600系と、この3650系は窓のRに特徴がありますね。特に3650系は原形をよく留めていましたので、戦前の『最高傑作車』として好きな車両でした。元々は両運車でしたから単行で、或いは他の車両に増結して運用していましたが、昭和40年頃から3500系の電装解除車である2650形とコンビを組んでいましたね。

写真では不鮮明ですが、どうやら、後部に連結しているのは3850系のようですね。戦前・戦後の特急車コンビがダラ運用をこなしていることになりますが、この運用法は何だか晩年のP車運用を思い起こさせるものがあります。他社の『元特急車』は大体、扉の増設など大改造を受けて『通勤車』化する例が多いのですが、その辺は『特急車=通勤車』だった名鉄ならではのものですね。

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2011年5月31日 (火)

【御礼35000count突破】モ813号御嵩ダラ

M0813 何だかあっという間に35000countを突破しておりました。お礼としてはささやかですが、平日の臨時運行をさせて頂きます。35000countと言えばお約束(?)の3500系ですね。

若い人を中心に「何でこれが?」と不思議に思われる方も、ひょっとするとあるかも知れませんが、ご承知の方もきっと多いと思います。モ813号は3500系の後の姿ですね。3連で何かと使い勝手の良かった3880系の穴埋めをするために、AL2連に増結する単行を『増備』する必要に迫られて登場したのがこの『810形』ですね。モ811号は元々802号ですから800系で間違いないんですが、これらの『増備車』を現場では800系とは違う意味合いもあったのでしょう、810形と呼んでいるのを聞いたことがあります。

AL車は元々使用機器や主電動機に微妙な『違い』があったのですが、昭和40年頃に大々的に改造工事を施して、殆ど性能を揃えていました。だからこそ、元々違う形式でもそんなに気にすることなく『800系』として扱うことが出来ました。登場当時のまま両運の809号・810号と共に、随時AL2連に増結されて、この写真のように丁度いい輸送力への調整用として便利に使われていました。

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2011年4月 3日 (日)

3650系佐屋ダラ

M3652 毎度ながら何の脈絡もなくてすみません。3650系はそんなには出していなかったようですので、今回はこんな写真を選んでみました。写真からすぐにこの駅がお分かりの方、昭和50年代の名鉄をよく御存じの方ですね。

今は当時の面影を探す方が難しい駅は、名鉄にも色々ありますが、この駅もその一つですね。今は町村合併で清須市の玄関駅にもなって、一段と重要性も増していますが、名鉄にとっては、当時から今に至るまで重要な駅であり続けていますね。

当時の駅舎と改札口はいかにも『田舎の駅』然とした感じで、駅前の道路も車1台通るのがやっと。舗装こそしてありましたものの、穴ぼこだらけだったと記憶しています。改札を出てから左に向かう砂利道を行けば、程なく当時でも結構年季の入った(ちょっと朽ちかけた)新川工場の『黒門』が現れました。何度となく通ったその道も門も、駅と同様に見違えるほど近代的になってしまいましたね。

30年も経たない間の出来事なんですが、車両も駅も随分と変わってしまいましたね。今から30年後は一体どのような感じになっているのでしょうね。鉄道そのものはまだ残っているでしょうが、2000系『ミュースカイ』のさよなら記念列車などが走っているのでしょうね、きっと。

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2011年2月 8日 (火)

7300系+814号豊明ダラ

M08147300 今回はこんな写真を選んでみました(逆光のきつい写真で毎度失礼します)。ここは何処かはお分かりですね。

名鉄でも最大のネックとなっている枇杷島橋梁付近ですが、当時は大型車と言っても800系列位でしたので、ここまで支障が大きくなるとは思えなかったのでしょうか。
時代も時代でしたので線形云々より、取り敢えず路線を建設すること(名古屋駅前乗入れ)を優先せざるを得なかったのでしょうね。

ご承知の通り、元々はここから真直ぐ押切町の方へ向かっていたのですが、グーグルマップなどの衛星(航空)写真では、今は道路となった所はもとより、今は住宅などになった部分も、特に枇杷島街道との交点付近など、何となく路線跡を彷彿とされる並びになっていて辿ることができます。

主客逆転してしまいましたが、このモ814号は元3500系を両運化したものですね。この頃には7300系と組んだ3両編成もよく見かけ、その機動力を如何なく発揮していました。
余談ながら、若い人の間ではどうやら7300系を『7000系の仲間』と認識しているようですが、当時はこんな感じで使われていましたので、私にはどうしても『AL車の一形式』との認識しかありません(やっぱり『似非パノラマカー』ですから…)。

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