カテゴリー「k.黄板特急」の52件の記事

黄色系統板の特急(座席指定)関係

2011年7月 6日 (水)

7000系(3次車)三河湾号【御礼37000count突破】

M70003 節電の影響か更新を怠っている所為か(こちらの理由が大きいでしょうね)、停滞気味だったアクセスカウントが何だかちょっと見ぬ間に37000countを突破しておりました。
御礼と言ってはささやかですが、平日臨時ダイヤを運行致しましょう。と、来れば『お約束』の3700系、なんて謂うのも無粋ですから今回はこんな写真を選んでみました。

これは、クーラーの形状などから7000系3次車と思います。恐らく、今も節電の影響で知立駅のこの辺りはかなり暗いのだろうと思いますが、当時は元々『節電モード』(?)でしたから、殆ど真暗の状態。僅かな明かりで無理やりピントを適当に合わせたせいもあって、こんなピンぼけ写真になってしまいました。
(元から私の写真はピントの甘いものが多いんですが…)

さてこの写真、先頭車のオデコ(フロント・アイの上)の辺りをよくご覧下さい。撮影時は勿論のこと、出来上がった写真を見ても当時は全く気付かなかったのですが、今こうやってみると何だか『怪しげ』なものが付いていますね。そうです。これが知る人ぞ知る『虫よけ』のために一時的に試行していたものですね。
結局、他車には普及しなかった所を見ると、折角のアイデアだったのですが、この『虫よけ』の効果はあまりなかったようですね。

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2011年4月 2日 (土)

5200系フルーツ号

M5200 ついでと言っては何ですが、もう一つ参りましょう。これはイラスト板なのかどうか迷うところですが、一応、イラストっぽい文字ということでご了承ください。緑色の文字も、他にはありませんでしたし…。

この『フルーツ』号も結構老舗の特急ですね。P板の方は葡萄やら梨やらのイラストが描かれたものでしたが、一般板は黄色地に色文字を配した全く別の感じのものが用意されていました。一応『黄板』の仲間でありますものの、ご覧のとおり、普通の『黄板』より若干レモン色に近い感じのものでした。

この写真は、まだ5200系が『座席指定』運用に入っていた時代のものです。と、書いてあるのをご覧になって不自然に感じた方、その感覚は実に正確です。まず系統板に『座席指定』と書いてありません。5200系はどう見ても『特別整備』後の姿ですね。この写真も現場の方々のご厚意で撮影できたものです。

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2011年3月 5日 (土)

5200系豊川高速と7000系岐阜特急

M52007000 毎度脈絡のない選択ですが、今回はこんな写真を選んでみました。ここは今までに何度もご紹介していますから、お分かりですね。今は跡形もなくなった駅としては、最も大きな駅ですね。

5200系は『最後のSR車』として今以て活躍中ですね。と言うと、若い人は「随分前に廃車済みなのに!???」などと、何の事だか分からないかも知れませんね。でも、しぶとく残っていますね、幽霊とは反対に『足』だけとなっていますが。

戯言はこの辺にして、この5200系の『豊川高速』は多分、飯田線の保守間合いの関係で設定された列車だろうと思います。そして系統板はこの当時主流だった簡略表記ですね。その昔は本当に『豊川』駅に発着した列車もありましたが、それは3900系が最後ですね。この時点では到に乗り入れは終了しています(一応念のため)。

さて、7000系の方ですが、何と言うことのない只の『岐阜特急』だと思っていたのですが、よく見ると『M連』未装備の4連車のようですね。この記事を書くために眺めていたら、たまたまそんな車両を撮っていることに気付きました…。(未装備車を狙っていた訳ではなく、まだ何もかもが珍しい頃に撮ったものです)

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2011年2月10日 (木)

7700系日本ライン・明治村号【御礼26000count突破】

M7700 26000countの御礼として適当な写真がありませんで…。再掲写真で失礼します。この写真も珍しい部類に入ると思いますので、ご勘弁下さい。

その昔、まだまだ『日本ライン』が名鉄の金看板であった頃のものです。『明治村』の方は今以て金看板であり続けていますね。当時から自家用車で出かける人の方が多かったようですが、犬山に路線バスを集約する前には、こうして小牧線直通の特急が走っていました。

当時はまだ本線特急が1時間に1本きりだった時代ですね。それでも8時台から10時台に関しては『日本ライン・明治村』号が補完して、新名古屋までは時間当たり2本の特急を運行していたことになります。

前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。この系統板の何が珍しいのか、写真をよくご覧頂くと、不鮮明ながら『日本ライン』号の行先が『伏見口』になっているのがお分かり頂けると思います。
この前後の年は新可児止まりだった特急を、なぜ中途半端な所まで『延長』したのでしょうか?それは伏見口(現在の明智)駅に編成を留置していたからで、この時期だけ客扱いをしていたのでした。

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2011年1月26日 (水)

【御礼25000count突破】7000系三河湾号

M7000 お陰様でこのブログも25000countを迎えました。御礼の写真はと探しましたが、再掲の写真でご勘弁下さい。(このブログではかなり珍しいものと思いますので…)

今までにも色々な三河湾号をご紹介していますので、表題をご覧になって「何が珍しいのか?」と首を傾げられた方も多いと思います。撮った当時は私もそれほど珍しいとは思っていませんでしたが、系統板をよく見ると『新安城経由吉良吉田』となっています。後年の吉良吉田止まりの『三河湾』号は単に『吉良吉田』表記だけでしたから、ごく短い時期だけのものと思われます。

名鉄の場合、往々にして系統板毎に違う表記法だったりしますから、ひょっとすると、この系統板固有のものだったのかも知れません。通常、吉良吉田方面は新安城経由で、蒲郡行きなどはわざわざ『新安城経由』とは書いていませんね。
当時はまだ『三河湾』号=『蒲郡特急』の時代ですから、わざわざ経由地も表記して吉良吉田止まりであることを強調したかったのかも知れません。当時には急行ながら『刈谷経由吉良吉田』行きもあり、三河線にも特急が走っていたものの、それはごく少数でしかも臨時スジ(重ねて碧南止まり)でしたから、誤乗防止にしてはちょっとやり過ぎのようにも感じますね。

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2011年1月 9日 (日)

7000系岐阜特急

M7000 今回はこんな写真を選んでみました。ノーマルの岐阜特急で当時としては何の変哲もないものですが…。

晩年はご承知の通り、一度きり一般特急の運用に入ったことはあるものの、座席指定(特別車)特急には絶対に入りませんでしたので、若い方には『特急型』とのイメージが薄いのでしょうね。いつかはその日が来るとは分かっていたものの、名鉄の公式リリースで7000系を『旧型車』と称した一文を目にした時には、何とも表現し得ない気持ちになりましたっけ。

写真はご覧の通りP6ですから、豊橋発の『本線特急』でまず間違いないと思います。当時から豊橋乗入れは毎時6本までと制限がありましたので、特急・高速・急行各2本ずつの設定が早朝・深夜を除いて一日中続いていましたね。国鉄時代に毎時8本まで増発したいと交渉が進んでいたように聞いた事がありますが、JR発足でご破算になって現在に至っています。

歴史に『もし』は禁句ですが、国鉄時代に2本増発が実現していたら、その分で高速4本体制を敷いたでしょうから、ひょっとしたら『併結特急』も登場していなかったのかも知れませんね。となると、現在はどの様なダイヤになっているのか、或いは、JRとの競合はどの様な展開を見せていたのか、興味は尽きませんね。

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2011年1月 2日 (日)

7500系伊良湖号

M7500 新春とはちょっと関係ない写真になってしまいましたが、今回はこれを選んでみました。何やら日本海側は豪雪の様子ですが、雪の写真を選んだのは偶々です。

それにしても、この『伊良湖号』と雪のシチュエーションは似合いませんね。これも前にご紹介したように通年運行の『定期列車』でしたので、真冬でも『伊良湖』号のまま運行されていたからで、豊橋で接続した伊良湖岬行きの特急バスも通年で運行されていました。(どれ程の乗客があったのか甚だ疑問ですが、一応、冬なお暖かい地が『売り』でした…)

正月ダイヤ中の事ですから『座席指定』でも乗客は多かったのでしょうね。勿論、その殆ど人の行先は『伊良湖』ではなく、豊川稲荷でしょう。そうと名鉄も分かっていつつ、いくら何でも豊橋特急は無くす訳にいきませんので、飽くまで定期スジはそのまま残して、国府~豊川稲荷間折返しの『高速』(と言ってもHLか精々AL車)に接続する形を取っていましたね。つまり、定期列車の方が『いなり』号の救済列車と化すほどに、豊川稲荷の『ご利益』があらたかだった時代でした。

余談ながら、当時の国府駅は特急はおろか、高速すら全列車通過の時代。正月臨時ダイヤ期間中の1ヶ月半ほどに限って全列車が停車していましたので、普段からの国府駅利用者(通勤・通学客など)には痛し痒しの『正月ダイヤ』だったようですね。

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2011年1月 1日 (土)

7000系いなり号

M7000 謹 賀 新 年

新年はお約束の正月臨時特急でブログ初めとしましょう。『いなり』号は今までもご紹介していますね。名鉄の正月特急の代名詞と言っても決して過言ではありません。

当時はまだまだ電車で初詣で、と言う人も結構いた時代ですから、名鉄側の希望としては全列車を6連で揃えたい所だったのでしょうが、そこまで車両に余裕はありませんでしたから、需給関係を見極めつつ車両運用を決めていたのでしょうね。

そう言えば、稲荷特急の座席指定区間はその年によって結構変わっていますね。とは言っても国府から先を『解放』するか否かの2種類なんですが、開放する場合でも種別・豊川線内の停車駅が微妙に違っていたり、線内折返し列車の設定の仕方などを含めれば、殆ど毎年違うと言っても過言ではありませんでした。

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2010年9月23日 (木)

7700系三河湾号

M7700 お彼岸特集第2弾、7700系も久々ですから今回はこの写真を選んでみました。

三河湾号は普通7000系4連の指定スジだったはずで、7700系を使う事はあんまり多くないはず(少なくとも、私は数える位しか見ていません)なんですが、このスジはそうだったのかは不明です。7000系4連が検査などに入った関係かも知れませんね。

7000シリーズがなくなって早や半年。私にとって7000系・7700系は飽くまで『特急車』ですから、まだ5700系・5300系が残っているとは言いましても、彼らではどうしても『埋めきれない』何かが、もの寂しい感じが拭い切れません。

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2010年9月22日 (水)

7000系8次車岡崎特急

M7047明日はお彼岸ですね。P車は暫くご無沙汰でしたので、荒れた画像ですみませんが今回はこの写真で参りましょう。7000系8次車の岡崎特急です。

これは確かモンキーパーク催事の臨時特急の返し運用だったと思います。豊橋までは本数制限で入れないために岡崎止まりになっているのではないかと思います。桜の季節には、確か『夜ざくら』号となるスジではないでしょうか。

この当時の特急と言えばまさに7000系の独壇場で、特にこの8次車は当時の『最新特急車』でしたから、必然的に特急運用が中心でしたね。

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