カテゴリー「b2.SR車5500系」の27件の記事

日本初の大衆冷房車5500系関係

2012年3月18日 (日)

【御礼55000count突破】5500系常滑ダラ

M5500更新が滞りがちにもかかわらず、お陰様で55000count突破を迎えることが出来ました。お礼としては『お約束』(?)の5500系ですね。ちょっとうるさい写真ですが、何卒ご了承下さい。

5500系は元々の計画では7000系よりも『長生き』するはずだったのですが、かの『東海豪雨』の影響で急遽、廃車計画を入れ替えて前倒しされてしまいました。写真の当時は、8800系の機器捻出用に7000系の中間車が廃車された頃で、5500系はもちろん、7000系列もその『例外』を除いては、7300系も含めて全車が健在でした。

このころになると6000系も結構幅を利かせて、6500系も登場するなど『通勤車』が増えてきましたので、5500系も優等運用主体から、徐々にダラの運用が増えてきていました。特に6500系は性能をケチった6000系の反省から、7000系などとほぼ同じ性能で110km/h運転も可能など、SR車の後継として登場していましたので、5500系も肩身が狭くなってきていました。
『本格的』な後継車の5300(5700)系はもう少し後のことでした。

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2011年9月 4日 (日)

5500系豊橋急行

M5500休日運行2日目です。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、駅名板も小さいながら写っていますのでお分かりですね。駅の様子も今とそれほど変わっていないように思います。

当時は6000系が年毎に勢力を伸ばしていた時代。この頃になると結構頻繁に本線系の高速・急行へも充当されていたと記憶していますが、この列車のように主力はまだまだP車も含めたSR車で、夏場を除けば非冷房の5000系・5200系も普通に入っていました。

この列車は分かりにくいながら、パンタが3基見える所からどうやら6連のようですね。多分、5500系の4連+2連が使われていたものと思います。当時の5200系2連は1編成きり。しかもご覧のとおり5500系も車体更新後となれば、当然、5200系の窓も改造を受けています。稀に7700系の2連が付いていることもありましたが、当時はまだまだ『特急運用』主体で、そんな『勿体ない使い方』は殆どしていませんでした。

さて、駅ホームの屋根はまだこの方式が残っているのか私には不明ですが、見た限りでは既に過去牒入りしている感じですね。当時は手っ取り早く、そして何より『安く』工事が出来た『テント式』のホーム屋根が名鉄内に(名市営のバス停も?)大流行で、大方の駅はこの方式でホーム屋根の延伸を行っていました。

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2011年7月22日 (金)

5500系豊橋高速と5200系岐阜急行

M55005200 週末になりましたので、恒例の運行再開と参りましょう。何だか台風が夏を連れ去って、7月というのに『秋』の気配を感じるような、変な気候ですね。殆ど人為的な『節電列島』に取っては実に有難い気候ではありますが。

さて、前置きはこの辺にして本題に参りましょう。この駅は今までに何度もご紹介していますので、若い方でももうお分かりですね。5500系・5200系が並んでいる辺りは現在も殆ど場所は変わらず、そのまま本線上(下り線)になっていますね。その左に2本線増されていますが。

写真で駐車場になっている所が今の上り線に当たります。西高蔵陸橋は架橋当時から複々線対応になっており、金山橋~神宮前間は僅かに日車の『領地』にかかっている以外、複々線用地がすでに戦時中(開通時)から確保されていました。

ですから、この当時にはその気があれば複々線化工事は可能だったのですが、戦後の都市計画で金山総合駅の計画が持ち上がり、その際の駅移転工事に合わせて施工する計画となっていましたので、そのまま遊休地として放って置くのも何だからと、名鉄らしく利用できる箇所はしっかり利用しています。
とは言え、駅から離れた所は草ボウボウの空地となっていましたね(それなりに手入れはしていたようですが)。

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2011年7月 8日 (金)

犬山検車の3730系と5500系

M37425500 週末の通常運行再開です。今回はこんな写真を選んでみました。犬山検車は現役バリバリですから、ここはどの辺りか、若い方でもお分かりですね。厳密には『検車区場内』になるのか、本線(広見線)上なのか微妙なところですが。

若い方と言えば、表題に引っ掛かる人も中には居るかも知れませんね。現在は『犬山検査場』が正式名称のようですが、当時は『犬山検車区』と呼ばれ、のちに『犬山検車場』と名を変えて現在の『犬山検査場』に至る変遷を辿っています。通称の『犬検』は設置当時から変わりませんね。

さて、この犬山検車区はそれまでの『検車区』とは違って、老朽化してなおかつ手狭になった新川工場を代替する使命を帯びていましたから、当時の最新設備が充実していました。設置後も暫く、改造・重整備や8000系などキハの受持ちは新川工場のままだったのですが、月番検査などの定期的な検査は犬山へ移管されています。ですから、当初から車両の出入りが多く設定されており、この様に入出場を並行して行えるように設計したのでしょうね。
複線の設備を持て余し気味の広見線も、この区間だけは十分にその機能を生かしていますね。

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2011年7月 3日 (日)

雪まみれの5500系

M5500 連日蒸し暑い日が続きますね。前日に続いて、今回もこの写真で多少なりとも涼を感じて頂ければ、と思います。当時の5500系は既に特急運用は引退していましたものの、それでも当時の車両の中では上等の部類に入る『冷房SR車』には違いなく、本線系の高速・急行など優等運用を中心に活躍していました。

この車両も、確か本線系の急行運用を終えて、一旦茶所へ引き上げる様子ですね。私も到着を待ち構えて写真を撮ろうとしたのですが、止まるや否や写真に写っている駅員氏が素早く種別板を『回送』に変え、系統板を取ってしまいました(実に職務に忠実な方でした)。
ご覧のように系統板辺りが『雪の吹き溜まり』になっていますので、その跡がくっきりと分かりますね。

新岐阜駅も変わりましたね。名前もホームも駅舎・駅ビルも、そして駅前の様子まで。何から何まで変わって(変わり果てて?)しまいましたね。何だか人や車の流れまで変わってしまったように思えるのは、果たして穿ち過ぎでしょうか。この写真の頃の新岐阜vs国鉄岐阜の乗降客数の比率は10:1などと言われていましたが、現在の名鉄岐阜vsJR岐阜の比率は正反対とまでは言わないまでも、ざっと見た限り1:3位の差(もっとでしょうか?)が付いているように感じました…。

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2011年4月10日 (日)

5555記念号の車内

M5555 毎度脈絡がなくて失礼します。今回はこんな写真を選んでみました。これは何の装飾かはお分かりですね。当時の名鉄は何か行事がある度に、こんな『手作り』感満点の装飾が登場しています。

これは前にもご紹介した『5555記念』号車内の様子で、モ5555号の車内のみにこのような装飾を施して、当日のこの車内でのみ『記念乗車証』を配付していました。ですから、ご覧のように隣の車内には装飾すらありません。この辺は結構しっかり割り切って対応していました。(同じ列車に乗車していても、他の3両では一切配布していません)

では、この5555号だけは混み込みだったかと言えば、意外とそうでもなく、車内は座席が7~8割埋まる程度ではなかったかと記憶しています。確かに、一見してそれとわかる鉄道(名鉄)ファンや親子連れが多かったのは事実で、写真に写っている一般人(サラリーマン?)と思しき人は、その喧騒を嫌ってわざわざ隣の車両へ移って行った様子でした。

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2011年3月10日 (木)

5500系桃太郎号

M5500 そう言えば、イラスト板も久しく出していませんでしたね。今回は5500系つながりで、こんな写真を選んでみました。この5500系は中央の前照灯もまだ『ノーマル』の状態ですね。

当時は最後の『特急運用』に入っていた頃です。今も結構頑張っているようですが、この頃の春秋の行楽シーズンにはラインパーク(現在のモンキーパーク)催事にも力が入っていて、このように催事に合わせた『臨時特急』も大増発して行楽客輸送をこなしていました。

名鉄ダイヤの特徴といえば、正月に限らず、いわゆる『多客臨時ダイヤ』にも平日ダイヤがあった点ですね。夏休みなど、学校が休みの時期には他社でも平日の『多客臨時ダイヤ』は珍しくありませんが、それ以外の、いうなれば本当の平日にも設定されていた点が特筆されますね。

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2011年3月 9日 (水)

5509号岐阜高速

M5509 今回はこんな写真を選んでみました。何だか金山橋特集のような感じになっていますが、別に他意はありません。それにしても金山橋は実に撮り易い駅でしたね。

このモ5509号はご承知の通り5500系唯一の高運車ですね。登場間もない頃に火災に遭って、復旧する際に高運化した車両ですね。SR車ではモ5202号と共に異彩を放っていました。写真当時はまだ貫通幌がついていますので『特別整備』は未施工ながら、よく見ると中央の前照灯は既にシールドビーム化されています。

AL車などもいわゆる『豚鼻式』で盛んにシールドビーム化されていた頃ですね。5200系・5500系の場合、左右のライトは登場時からシールドビームを採用していましたので、何でも、6000系と同様の『行先表示機』を取り付ける案もあったようですが、改造コストの関係から無難な『シールドビーム化』に落ち着いたと聞いた事があります。

5505Fの『水没事件』で処遇が一転した5500系ですが、もしあの『東海豪雨』がなくて7000系より生き延び、上記の『行先表示機』を取り付けていたならば、などと今更どうしようもない事とは分かっていても、どうしても夢想してしまいます。

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2011年2月 5日 (土)

5500系岐阜ダラ

M5500 今回はこんな写真を選んでみました。当時の5500系はまだまだ本線系の高速・急行に活躍していましたが、この頃になると、特に朝夕のラッシュ時には6000系が入るようになってきましたので、こんなダラ仕業にも徐々に入るようになっていました。

ここはどこかはお分かりですね。当時はいい撮影地だったのですが、この数年後に出入り口が増設されて、あいにく今はこんな感じでは撮影できなくなってしまいました。駅名も『昔の名前』に戻されて、すっかり『都心のローカル駅』に逆戻りしてしまいました。

昔から結構有名な撮影地だったのですが、ここで撮るのは確か1~2回しかなかったと思います。当時でも野球開催日以外はダラしか止まらなかったこともありますが、金山橋の方がゆっくり撮れたこともあって、個人的には殺風景な感じも好きになれなかったから、との理由もあります…。

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2010年12月28日 (火)

5500系蒲郡急行と7500系岐阜急行

M55007500 金山橋は実に撮り易い駅でしたね。何せ、名鉄の大半の列車が通り、そしてそこそこの停車時間もありましたから結構ゆっくり撮ることが出来ました。

当時としては、この写真もそんなに珍しいものではないんですが、5500系はおろか、7500系も過去帳入りして久しいですね。そう言えば7500系は『鳴り物入り』で登場したものの、最後は何かと厄介者扱いされた可哀そうな車両でしたね。

そう言えば、金山橋は滅多に4番線を使うことがありませんでした。下り(岐阜方)は休日昼間でさえ1番線・2番線の交互入線を行って捌く必要がありました。上り(豊橋方)は新名古屋の発車時点で『整流』されていたからでしょうね、交互発車は必要なかったのと、その昔、駅舎側に構内踏切があったようですから、その名残りで通常は4番線を使わなくなったように思われます。

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