カテゴリー「l.その他(上記以外)」の34件の記事

駅関係・新形式など or 乗入れ車関係

2012年9月23日 (日)

往年の出札窓口

Photo週一運行の再開です。今回は今までと趣向を変えて、こんな写真を選んでみました。ここは何処か、これだけで分かった方はかなりの『名鉄通』ですね。写真を撮ったおおよその年代は殆ど書いてあるような感じですね。ヒントとしては、この窓口が使われなくなるまで、この状態から殆ど変わらなかった点と、窓口が使われなくなったのは、今から10年以内という点の2つでお考え下さい。(『使われなくなった』理由がポイントですね)

窓口の『装備』そのものは当時の出札窓口標準のものですね。名鉄の場合は駅員も1人何役も対応するのが『標準』でしたから、始終窓口に座っている例はそう多くありませんでしたね。
当時はまだまだ『硬券』が幅を利かせていた時代ですね。写真奥に写っている棚にも硬券が詰まっているように見えますが、これは多分ストックか、他駅の補充管理用か何かのようですね。

それにしても、まだまだオンライン発券が珍しい時代に、全日空の航空券がこんな地方の駅でも購入可能だったとは、かなりのサービスレベルですね。筆頭株主の座は東急に奪われた名鉄ですが、名古屋地方の総代理店の座は一貫して維持していましたので可能だったのでしょうね。漸く『航空便』利用が一般化してきた時代とはいえ、まだまだ飛行機は『贅沢』な乗り物でしたので、実際どの程度の『発券実績』があったのかは甚だ疑問ですが…。

さて、駅名はお分かりでしょうか?
ヒントでおおよその見当が付いた方も多いと思います。『使われなくなった』理由はこの駅が路線共々廃止になってしまったからですね。廃止は平成17年3月、と言えば半数以上の方が。更に、今でも駅舎が残る、と言えばもう殆どお分かりですね。そう、黒野駅です。
当時は喫茶店も駅舎の一角に入って、それなりに乗降客もあったのですが、駅が廃止されて以降は、周辺の街並みまで一挙に寂れてしまった感じですね。

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2012年4月15日 (日)

架線が残る西中金駅

Photo休日運行2日目を進めて参りましょう。毎度、脈絡がなくてすみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここはつい最近(と言ってもかれこれ10年近く前になりますが)かなり注目されていた場所でもありますから、写真をご覧になっただけでも、十分お分かりですね。

当時はまだ朝夕に『電車運行』も残っていたはずで、写真に写った架線も生きていたはずです(日中は送電を止めていたかもしれませんが)。架線を撤去したのはいつ頃なのか、私には不明ですが、撤去後の姿を見たとき、思わず『廃線』かと見まがう程に変わってしまうものか、と悄然としたのを思い出します。

名鉄の『終端駅』はどこもあまり派手さはありませんが、この西中金駅だけは一際寂しい感じでしたね。この時よりも前に訪ねたときは、確かもう少し線路も架線も駅から足助方面へ延びており、いつの間にか『消える』ように無くなっていたと思いましたが、この時には一応『車止め』も設置されて、架線の終端も短縮されていました。似つかわしくない真新しいコンクリート柱からして、この写真を撮った頃からさほど変わらない時期に『終端処理』されたようですね。この架線柱は10年も使わないうちに『用済み』になってしまったのではないでしょうか。

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2011年11月27日 (日)

検車区があった頃の太田川

M34002週1仕業の運行再開です。昨日は新装なる太田川駅の内覧会が開催されたようですね。河和線からの合流ホームが上階に分かれるなど、何だか大規模な駅に生まれ変わるようですね。すっかりこの頃の面影がなくなってしまう寂しさはありますものの、それも時代の流れですね。

さて、この頃の太田川は頻繁に車両の増解結が行われており、その留置線としてもこの太田川検車区は使われていました。この時は3400系が入庫して何やらパンかグラフの周りをいろいろと検査していました。見ている限りは架線は『生き』ている様子でしたので、ちょっとドキドキして作業を見守っていたのを思い出しました。

今はメンテナンスフリー化も進んで、作業も随分と楽にはなったのでしょうが、当時は手間のかかるAL車・HL車がそれこそゴマンとあった時代。当時でさえ結構『年季』の入った車両が多かったのですから、その『お世話』は結構大変だったのだろうと思います。車両を長持ちさせるのは、それに見合った技術があったからに他なりませんが、それはいわば『卵が先か鶏が先か』と同じように、名鉄には必要だからこそ、保守技術が蓄積されたとも言えそうですね。

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2011年9月19日 (月)

舞木入場中の2000系【御礼42000count突破】

M2008相変わらずの間引きダイヤ中にも拘らず、お陰様で42000count突破と相成りました。お礼として何が適当なのか迷いましたが、たまにはこんな写真を選んでみました。
自分で設定しておいて何ですが、ネタが新しすぎると、カテゴリー分けが対応できないですね。さすがに『SR車(上記以外)』に入れるのも気が引けますし…。

舞木定期検査場の見学をした際に、たまたま2000系も入っていたものです。場内では完全に『上下分離』がなされて、ご覧のとおり床下は一部取り外されているようです。面白いなと思ったのが、まるで付け足りのように仮止めされているM連でした。その上についているはずの密着自動連結器がなくとも、走行関係の機器類をテストする関係でM連だけそのままなのでしょうか、ちょっと不思議に感じたものでした。

そういえば、2000系をはじめとする特急車や、3500系以降のVVVF車はその車両群を代表する『公式』の呼称を持っていませんね。まだ3000系列は通称で『3R』と聞いたことがあるものの、ファンの間ですら、2000系列は『2R』などの通称を聞いたことがありません。
車両現場では、ブレーキ装置から由来する『ECB車』(3R車に相当)との呼称を聞いたことがありますが、高性能車を『SR車』と言った感覚の呼称はもう時代遅れなのでしょうか。それだけ、車両性能の『均質化』が進んだとも言えますが…。

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2011年6月19日 (日)

在りし日の八百津駅

Photo 休日ダイヤも運休がちですみません。今週は日曜限定運行となってしまいましたが、何卒ご了承下さい。ここはどこかと問うまでもないですね(デカデカと看板も出ていますし)。

今では更地になってしまったと聞きましたが、当時はまだLE-Carの登場前で、本線直通も僅かながら残っていた時代。改札口からHL車の赤い車体と閉まりかけた扉が僅かに覗いているのがお分かり頂けるかと思います。名鉄の終着駅、特にローカル線の駅舎は粗末なものも結構あったのですが、この八百津駅はご覧の通り、当時としてはかなり立派な部類に入る駅舎がありました。

晩年はLE化と共に駅も無人化されてしまいましたね。写真を撮った当時としても、既に折角の駅舎を持て余していたような感じでしたが、広い駅前広場とともに、名鉄が『観光地』の玄関口として、いかに力を入れて整備していたのかがよく分かりますね。

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2011年2月 3日 (木)

在りし日の境川駅

Photo 今回は趣向を変えてこんな写真を選んでみました。今までも何度か境川駅の写真はご紹介していますが、移転看板と共に撮った駅名板です。

この駅は元を質せば美濃電時代に開業していますが、駅のこのホームは当時のままなのか、名岐線全通に合わせて改築されたのか私には不明です。美濃電『笠松線』時代は飽くまで路面電車の延長線上に車両(後の520形などが走っていました)・設備がなっていたでしょうから、多分、合併後の名岐鉄道時代に大型車両(800系など)乗り入れに合わせて整備されたのではないかと思われます。

発着する殆どの列車が単行だった当時としては十分な規模だったのでしょうが、この時代には完全に手狭となって、退避設備の整備と共に岐南駅へと発展的解消を遂げていますね。結構前から計画は進んでいたのでしょう、他の駅はそれなりに手を入れていたにも拘らず、この駅だけは殆ど手付かずのまま残されていました。

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2011年1月28日 (金)

名市営3000形伏見ダラ

3805 今回はこんな写真を選んでみました。日の丸の小旗と飾り付けでお分かりですね、豊田新線開業当日のものです。

鶴舞線も上小田井まで全通して、かれこれ20年近くになりますね。月日の経つのは早いものですが、この当時は、犬山線との『両乗入れ』になるのが約10年後(昭和63年)と言われており、遠い未来の事のように感じていましたっけ。実際の乗り入れ開始はそれから更に5年後の事でしたね。

今の所、鶴舞線には優等運用からの乗り入れはありませんが、この3000形の登場時の新聞記事には『特急豊田市』の幕(当時はまだ一般特急が『高速』に変わる前)を掲げた写真が載っていました。何だか夢のような話だな、と思って眺めていたものです。(実際に『特急豊田市』は幻に終わっていますが…)

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2011年1月 5日 (水)

昔日の太田川駅

M52003900 太田川の貨物ホームのもう少しマシな写真がありましたので、今回はこれを選んでみました。とは言いましても、片隅に申し訳程度のものですが…。

常滑線で貨物列車が『車扱い貨物』の廃止まで走っていたのは有名ですね。当時でも、常滑焼の出荷などで細々ながら続いていました。が、太田川駅でも貨物を扱っていたとは、お恥ずかしいながら殆ど意識していませんでした。この写真も撮った時には全く意識せずに撮っています。普通、貨物は平日に取扱いますから、殆ど休日しか撮影しないためにその『現場』に遭遇することは稀な事でした。

このときは確か、太田川駅の近くにある県の施設に学校から研修に行った帰りだったと思います。ですから、偶々荷扱いしている所を撮れたのでしょうね。ちなみにこの写真の狙いですが、ご覧のように、常滑・河和両線から同時進入するのが面白くて撮ったものでした…。

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2010年12月24日 (金)

昔日の神宮前駅

Photo_2 クリスマスプレゼントとしては何ですが、今回はこんな写真を選んでみました。まだ『方面別』ホーム時代の神宮前駅ですね。現在の神宮前南方は常滑線ホームに合わせて嵩上げされていますから、丁度、左に写った5200系の高さが現在のホームの高さと同じではないかと思います。

方向別に配線を直したのは昭和59年の事でしたから、それからでも既に四半世紀。大体30歳以下の方は現在の形態に変わった以降の記憶しかないことになりますね。私とて、神宮前の記憶が残っているのは昭和50年頃からですから、現在の『方向別』の方が長くなっていますが、印象としてはまだこちらの方が強いですね。

常滑線が本線を跨ぐ部分は今もなおそのままの幅なんですが、当時は別に狭いとは感じなかったものの、今見ると随分と狭い範囲で複線が通っていたものだ、などと思ってしまいます。(下り線を中心方へずらしている事もあるのでしょうね)

余談ながら、写真にあるP車用のオーバーハング型停車位置表示は今も残っているのでしょうか?P車が全廃された今となっては完全な無用の長物ですから、残っていたとしても時間の問題でしょうね。余談ついでに、名鉄駅を表していたパノラマカーのピクトグラム(絵文字)も今後の処遇が気になりますね。P車の走らない路線でも、『P車=名鉄』とばかり堂々と掲げていましたが…。

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2010年11月19日 (金)

往年の大江駅構内

C2791 大江駅つながりで今回はこんな写真を選んでみました。大江駅も結構なんだカンダと移り変わりが激しい駅の一つですね。

まずはこの数年後に常滑方面の待避線が整備され、そして中部HSSTの実験線がこの築港支線の複線用地を利用して建設され、その後に橋上駅化と築港支線専用ホームができて、更に現在は実験線が撤去されています。写真にある側線も結構変わっているのではないでしょうか。当時は6両編成の留置は出来なかったと思います。今は確か3本位6両以上の留置が可能ではなかったでしょうか。

余談ながら、築港支線はこの写真当時でも既に単線化されていましたが、僅かながらその名残も、ご覧の通り残っていました。名古屋臨海鉄道線が開業するまでは、東名古屋港周辺では築港支線が唯一の貨物線でしたから結構賑わっていたようですが、この当時は殆ど貨物取扱はなかったのではないでしょうか。

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