カテゴリー「m.傍系関係」の27件の記事

豊鉄など名鉄子会社(当時含む)関係

2012年11月25日 (日)

続 昔日の赤岩口車庫

3201b週1運行の再開です。今回も往年の豊鉄をご紹介しましょう。とは言え、こんな写真しか残っていませんが、一応、豊鉄の古老である3700形が写っていますんで…。
後に整備を受けてレトロ塗装も施されて、随分ときれいになっていますが、当時はご覧の通り十分に『年季』の入った感じで、この当時から『長老』でした。まさか21世紀まで残ろうとは、当時ですら思いもよらない状況でした。

3700系は当時でも『休み休み』と言った感じで、こうして赤岩口で休んでいたり、競輪場前にある側線で休んでいたり、と言った具合で、なかなか営業運転に就いている姿を見ることができませんでした。最晩年は相当『大切』にされたようですが、当時は単なる『ポンコツ』扱いでしたね。とは言え、それなりに大切にしていたからこそ、世間が『レトロ』に目を向けるまで現役でいられたのでしょうが。

ちなみに手前は3300形で、奥は車番の通り3200形です。そう言えば、当時では珍しかった豊鉄名物の『車体広告』も、今は一般化してしまいましたね。当時は車体にペンキで『手書き』していたそうで、車庫の係員さんが書いていたようです。これも、車両塗装用『ペンキ』の節約をするために編み出した『苦肉の策』だったようですね。

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2012年11月18日 (日)

高師車庫の豊鉄1720系

1721週一運行の再開です。今回はちょっと趣向を変えてこんな写真を選んでみました。
この高師車庫の建物は失火で全焼してしまっていますね。ご覧の通り、当時でさえ年季の入った木造の建屋で、恐らく、開業当時そのままの建物だったのではないかと思います。碍子を2つ並べた横の配線は多分、一般(電灯線)の配線でしょう。戦前の建物では一般的な配線方法でした。
(ちょっと見ると、まるで列車無線用の漏洩同軸ケーブルのように見えますが)

写真は名鉄3800系の車体を使用した1720系ですね。廃車した3800系の走行機器は全て7300系へ『流用』していますから、車体(上回り)のみの譲渡となっており、豊鉄では、確か旧国の『下回り』を組み合わせて使用していたはずです。
後に7300系も豊鉄へ譲渡していますから、上下バラバラに、それも随分と時期が離れて譲渡された感じですね。

頭(前照灯)がちょっと切れてしまっていますが、豊鉄の鉄道車両は全て『角形2等式』の前照灯へ交換されていますね。
当時の名鉄ではまだまだ従前の1灯式が幅を利かせていた時代ですが、豊鉄は早々に2灯式シールドビームへの交換を終えています。この辺は、小所帯で『小回り』の利くところですね。

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2012年8月 5日 (日)

豊鉄3300形

3301週一運行を再開致しましょう。今回はちょっと趣向を変えて、こんな写真を選んでみました。ここは何処かと言っても、豊鉄の車庫は軌道線・鉄道線1箇所ずつですからお分かりですね。
赤岩口車庫の様子は、当時と今ではそれほど変わっていませんが、車両は全車冷房車となり、更には低床式連接車まで所有するなど、実に近代的な姿に変わっていますね。

さて、写真の3300形は元北鉄の2300形ですね。名鉄の560形と瓜二つでしたから、てっきり同形式だと思っていましたが、外観は同じでも中身はいわゆる『バージョンアップ版』だったようです。
この点は名鉄の面白いところですね。通常であれば、親会社の方が『いい車両』を持っていくのでしょうが、子会社の豊鉄の方に『状態のいい』車両を集めていました。

この車両よりも大先輩である3100形が、動態保存車ながら今も現役であるのに対し、車両性能としては遥かに良かった3300形の廃車理由は、どうやら『冷房改造』ができなかったからだそうで、北鉄仕様の狭幅が災いしたようです。かと言って、岐阜に持って行っても長良本線(徹明町以遠)廃止後では岐阜市内線でも『狭幅車』は必要なくなっており、その性能に見合った活躍ができなかった車両でした。

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2010年11月22日 (月)

往年の豊鉄駅前電停

3104 もう一つ豊鉄ネタで参りましょう。路面電車の延伸と言えば、起点の『駅前』電停も僅かながら延伸していますね。また、豊橋駅は周辺も含めてこの当時の面影など何処にもない程に変わっていますね。

当時は豊橋駅前の大きな交差点を渡って、駅前大通りを暫く行った所に『駅前』電停がありましたので、乗換えには結構時間が掛かっていました。元々は豊橋駅前から右折して路線が伸びていましたので、現在の駅前乗入れ(延伸)は一度廃止した区間の復活とも言えますね。

そう言えばこの当時、豊鉄車両は鉄道線も市内線も同じ塗装を身に纏っていましたね。もともとこの塗装は名鉄の『クロスシート車』を表していた塗り分けなのですが、そう言えば当時の豊鉄は全てロングシート車でしたね。どうして豊鉄でこの塗装が採用されたのか、これは飽くまで聞いた話ですが、名鉄でこの塗り分けを考案した人が豊鉄の経営者に着任したことが『原因』なのだそうで…。(真偽の程は不明です)

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2010年11月21日 (日)

運動公園前の豊鉄3100形

3104 今回は趣向を変えて、豊鉄の市内線をご紹介しましょう。この3100形は今では1両きり、専ら『おでん車』『ビール電車』などイベント用に使われていますね。

当時は市内線の主力として縦横に走っており、在籍数も当時では最も多かったのではないかと思います。その後、冷房改造を受けていますが、写真はもちろん改造前。そもそも豊鉄に『冷房車』は、鉄道線も含めて存在していませんでした。
名鉄でも、やっと1500V区間で70%位(特急を除くと50%程度?)まで上がったかどうか、と言うレベル(市内線はおろか、600V区間は未だ0%)でした。

この運動公園前電停は、当時十ン年ぶりに『路面電車』路線として延伸・開業した電停として話題になっていました。今でこそ路面電車の復権が叫ばれて、富山では新規・延伸などが相次ぎましたが、当時はまだまだ自治体レベルでは『邪魔者』扱いが一般的で、豊橋市の『先見性』が光りますね。

この数年後には、自ら行う地方博の『観客輸送には邪魔』との名目で市内線撤退を勧告し、あっさり廃線を承諾した自治体が近県に存在していますから、延伸距離は僅か0.6Kmと短いながらも『快挙』と言うべきものでした。

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2010年5月31日 (月)

社武生駅と130形『さよなら』列車【御礼9300count突破】

1302 9300count御礼と言ってはささやかですが、再び南越線の『さよなら』列車をご紹介して、福鉄の最後を締め括りたいと思います。

福武線の武生新駅は武生駅から結構離れた場所にありますが、社武生駅は国鉄(JR)の言うなれば駅裏に位置していました。一応、改札は別になっていたような気がしますが、その昔の大雄山線小田原駅のような感じで、余りしっかりと出入りをチェックしていなかったような感じだったと記憶しています。

訪問日は前にも書きました通り廃止前日でしたが、それなりに対応がなされていた感じで、こうして、いつもなら入れないような場所からも撮影が可能でした。そう言えばこの時、駅長さんから、裏に訪問(廃止)記念を署名された名刺を頂きましたっけ。

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2010年5月30日 (日)

福鉄200形武生急行

200 福鉄でも鉄道線用車が路面を走る光景は、元名鉄車が大量移籍したあとではかなり減ってきているようですね。当時は鉄道線用車で占められていた時代ですから、日常の光景でした。(名鉄でも20m車まで走っていた『犬山橋』も健在でしたし)

写真は足羽川の辺りであったと思います。当時ですらご他聞に漏れず、軌道線は行く手を車に遮られて思うように走れませんでした。逆に今の方が行政の関与が強くなっていますから、スムーズに通行できるのかも知れませんが。

そう言えば、今は日中には急行が設定されていないようですね。確かに、速達性を求めるならばJRの方が圧倒的に早いのでしょうから、中間の小駅の旅客をこまめに拾っていく方が理に適っているのかも知れませんが、何だかちょっと寂しいですね。

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2010年5月29日 (土)

神明駅の20形?

20 福鉄訪問の際は言わば駆け足で通り過ぎてしまった感じですので、福武線の途中駅には降りないままになっています。

写真は確か神明駅に停車した際に面白い電車だな、と思って慌てて窓から撮ったものです。今となっては形式が何だったのかはっきり思い出せませんが、確か2桁ではなかったかと思います。

この車両も、前面だけは立派な『お面』が付いていますね。福鉄の旧型車は大抵この様な感じで前面だけしっかりと改造された車両が多かったですね。豪雪地帯のことですので、走行中など前面部分の雪が何かと問題になるのでしょうか。(飽くまで想像に過ぎませんが)

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2010年5月28日 (金)

田原町駅の福鉄140形

140 今回は福鉄140形をご紹介しましょう。前面はがらりと変わってしまっていますから、これが名鉄から来た車両かどうか分からなくなっていますね。

ご存知のとおり、140形の片割れは元900形ですね。もう一方は長電からの譲渡車だったと思いましたが、こちらもかなり前面は変わっているのではないでしょうか。側面には種車の面影が残っていましたので、漸く分かるといった感じでした。

それにしてもこの当時の福鉄は結構自社で改造を行っていましたね。中小私鉄としては異例の技術力を持っていたのではないでしょうか。

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2010年5月27日 (木)

福鉄西武生工場のデキ2【御礼9200count突破】

2_3 9200count突破にも拘らず、引き続いて福井鉄道で参ります。

今回は再び西武生工場に戻って、留置してあったデキ2をご紹介しましょう。この車両は最近まで活躍していたようですが、コンディション不良で廃車になってしまったようですね。

それにしても、少なくともこの当時の福井鉄道のデキは整備が行き届いていたようですね。名鉄の場合は洗車はおろか塗装もろくに塗り直されず、まさに『為すがまま』の状態でこき使われていたような感じですが、福井鉄道で目にしたデキは何れも小奇麗に整備されており、ちょっと羨ましく感じていました。

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