カテゴリー「d.北アルプス(8000系)」の26件の記事

特急『北アルプス』用8000系関係

2013年4月21日 (日)

【御礼80000count突破】8000系『北アルプス』号

D80001今年最初の運行が4月下旬と随分長い『運休』となりまして、失礼致しました。にも拘らず、変わらぬご愛顧を頂きまして、お陰様で80000count突破を迎えることができました。
御礼方々、運行を再開致します。(とは言え、今後の『運行予定』は未定ですが…) さて、80000countと言えば、やっぱりお約束のコレですね。ここは、今もそう変わっていません(改築後)ので大方お分かりですね。P車用のオーバーハング型『停車位置表示』もまだ真新しいですね。

この8000系はご承知の通り、名鉄では当時唯一の『特急専用車』として新製された車両ですね。新造車としては、これよりもう少し後に登場の1000系まで23年間開くことになりますから、新製当時としては随分『思い切った』車両でした。豪華さに於いてはそれこそ『折り紙つき』。名鉄は勿論のこと、国鉄の『準急車両』としても破格の設備を備えたいました。
しかし、昭和も末期、登場後20年を経過した写真当時の頃には、その設備も『くたびれ』が目立ち始め、名鉄の車両事情による『狭い車内』は、日本人の急速な『体格』向上もあって『致命傷』になりつつありました。当時の国鉄82系も結構キテいましたので、それほど『格差』は感じなかったのが救いでしたが…。

国鉄末期のこの時期は、件の82系延命措置として、もともと『金沢行き』であった『ひだ』の代わりに、再び『北アルプス』が富山まで足を延ばしている頃ですね。国鉄側としては『金沢代替』を期待したようですが、如何せん8100形の調子がイマイチだったため、車両運用に『余裕』がなくなり、結局『富山打切り』で話がまとまったようです。
そんな『恩』を『仇』で返すかのように、JR化後は徹底的に『邪魔者扱い』を受けていますね。『地鉄乗り入れ』は地鉄側の『都合』(駅舎建替え)もありましたから致し方ないとしても、『高山打ち切り』の『北アルプス』号では、やっぱり締まらない感じでしたね。

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2012年4月29日 (日)

8000系北アルプス号【御礼58000count突破】

D8000休日運行2日目を進めて参りましょう。皆様のご愛顧を賜りまして、お陰様で58000count突破を迎えることが出来ました。
お礼としては『お約束』(?)の8000系ですね。暫く登場していませんでしたが、こんな写真を選んでみました。(そんなにいい写真ではありませんが)

ここは何処かお分かりでしょうか?。『北アルプス』号が走る区間(路線)で、名鉄としては規模が大きめの橋上駅、と言えばかなり絞られてきますね。神宮前ではないのは一目で分かりますから、そうなれば自ずと駅名が出てくるかと思います。そもそも、現在もあまり変わってはいませんし…。

犬山検車区と共に駅前の再開発が行われて、犬山駅も『中核駅』としての風格が、写真を撮ったこの頃にようやく整ったところでした。再開発前には確か紡績工場が隣接していたはずで、今の東口はありませんでしたね。駅舎も開通時からの木造駅舎を、それこそ昭和の終わりまで70年以上も使用していたのも、比較的早くから計画があったためでした。
この辺は、名鉄は結構徹底していましたね。どうせ建て替えが予定されている駅には、余計な『投資』を避けて、使える限り『使い倒す』。再開発前には相当に手狭になっていた犬山駅も、その例外ではありませんでした。

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2011年7月20日 (水)

新川工場に佇む8100形【御礼38000count突破】

D8100 節電間引きダイヤ中にも拘らず、皆様方のご愛顧を頂いて38000countを突破することが出来ました。御礼としてはささやかながら、平日の臨時運行を行います。
と来れば、3800系にするか、8000系にするか迷うところですが、個人的には『終戦直後の6000系』よりはこちらの方を選んでみました。8000系にはご承知の通り3次車はいませんものの、この8102号は言うなれば3次車に相当する見方もできますので、この写真にしてみました。

8000系は新川工場を根城に活動していましたが、特に冬季ダイヤ(飛騨古川折返し)期間中は必要数が減少することもあって、こうして新川工場の片隅に留置されていることが多かったですね。本線側に最も近いこの側線は、いわば8000系の『指定席』のような感じでしたね。当時からどうやら8102号(8101号も?)は調子がイマイチだったようですね。最盛期以外はこうして新川工場の片隅で佇んでいることが多かったように感じました。

現在の新川検車場は、この当時の『遺構』がまだ残っているのか私には不明ですが、ざっと見た限りでは留置線も殆ど引き直しているような感じですね。この頃の留置線と言えば、PCマクラギなんぞ夢のまた夢。写真にもあるように保線もロクにしていないような、そんな感じのものでした。(何も新川に限った事でもありませんが…)

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2011年7月16日 (土)

新名古屋の北アルプス号

D8000 休日運行を続けましょう。ちょっとネタ切れ気味ですみません。今回はこんな写真でご勘弁下さい。新名古屋駅もかなり様子が変わった駅の一つですが、基本構造は変えていませんので、今もこの当時の面影を探ることは可能ですね。

さて、この頃の『北アルプス』号はまだ本物の『北アルプス』時代。と書くと、若い方の中には疑問に思う人もあるかもしれませんね。晩年はご承知の通り高山止まり。高山では、相当ハードな行程を組まない限り中央アルプスの山々にしか行けませんので、厳密に言えば『看板に偽りあり』となっていました。

元々はこれもご存じの通り、本物の『北アルプス』連峰の表玄関である立山駅まで直通していたからこその『北アルプス』号ですね。とは言え、往年の列車名だった『たかやま』号は既に国鉄(JR)が大阪~高山間の急行に流用してしまっていましたので、仕方なく『北アルプス』号のまま、高山止まりに甘んじていましたね。ダイヤも然ることながら、こんな面でも結構冷遇されていた、などと言うのは少々大人気ないかもしれませんが…。

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2010年12月11日 (土)

【御礼20000count突破】8000系北アルプス号

D8000 皆様方のご愛顧を頂いたお陰様で20000count突破を迎えました。お礼と言ってはささやかですが、今回はこんな写真を選んでみました。

今までにも6両基本編成時代の『北アルプス』号をご紹介してきましたが、これはご覧の通り庄内川橋梁で撮影したものです。この前後のカーブは今なお名鉄の運行上のネックとなっている所ですね。歴史的経緯からこうならざるを得なかったのですが、これだけ住宅が密集してしまっては今更線路の付け替えも出来ませんので、ほぼ半永久的にこのままの状態に縛られてしまうのでしょう。

高度経済成長期には遠大な計画として、枇杷島分岐点~神宮前間の複々線化が計画され、分岐点~新名古屋間を地下化してこの急カーブの解消も狙ったそうですが、それでもなお『時既に遅し』でした。着工すらされないまま今日を迎えています。金山~名古屋間なら道路にはみ出すなど何とか方法はありそうですが、駅構内も含めてそこから先が出来ないと意味ないですし…。

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2010年11月14日 (日)

6連時代の北アルプス号

D80002 8000系特集の締めにはこんな写真を選んでみました。先にも書きました通り、当時はまだ立山まで三線直通の、言うなれば本当の『北アルプス』号時代。編成は最低(基本)でも6両以上を連結していました。

最盛期(多客期)には8両編成もありましたが、この『北アルプス』号の仕業では見ずじまいになっています。その後、富山までの運転となった後は基本が4両編成に短縮されて、晩年は3両編成でしたから、その倍の長さになりますね。逆に、晩年の短縮バージョンの『北アルプス』号を写真などで見ると、何だか別のモノを見るような、寂しいような、そんな気分になっていました。

そう言えば、8500系の登場時は総勢5両の陣容に『時代』を感じましたっけ。写真の当時、夏期ダイヤ期間中は常時9両が運用に就いていました。内訳は高山編成(高山折返し・日帰り)3両に、立山編成6両(立山1泊・3両×2編成)で、飛騨古川~猪谷間では『北アルプス』号同士の交換が見られましたね。

ですから、予備車(通常時3両)なしならば最大で9両(高山編成6両)まで増結は可能でしたが、名鉄各駅のホームが未対応(8両まで)でしたので、実際に9両編成で営業運転したことはありません。同様に、立山編成は富山地鉄側で3両以内の制限がありましたから、多客期でも4両以上に増結されたことはありません。

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2010年11月13日 (土)

8200形の概観

D8205 8000系の側面はあまり出していませんでしたので、今回はこんな写真をご紹介しましょう。とは言いましても、そんなにいい写真ではありませんが。

これは8200形の方ですね。18m車が『標準』だった当時は勿論のこと、20m車が珍しくない今でもなお、名鉄史上最大長を誇った車両ですね。8200形はご承知の通り、富山地鉄の立山駅乗入れに際して、駆動エンジン2基の車両が不足したために制作されたので、発電エンジンと合わせて3基のエンジンを積んだ『重装備車』でした。

8000形などに比べて車体長が1m伸びたことで、庄内川橋梁付近の急カーブで車両限界を抵触しないように車体幅が2cm削られました。とは言え、全体のたった0.7%ほどですから、前の記事で並べてご紹介したように、パッと見には殆ど分かりません。
余談ながら、名鉄がこれ以上に長い車両を造らない(造れない)のも、このカーブのせいですね。

最後まで残った8200形の5両は、8500系にバトンタッチ後も暫くは解体を免れて、ひたすら某鉄道への譲渡の日を待っていたのですが、車両寿命がそろそろ尽きかけている20年選手でもあり、また『重装備』ゆえの車体重量が問題となって、結局、全車が築港で藻屑と消えていますね。

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2010年11月12日 (金)

8000系犬山うかい号

D8000_2 『犬山うかい号』は一度ご紹介していますが、再度ご紹介したいと思います。『北アルプス』号の運用を終えた直後、堀田で折り返してこの運用に就いていたはずです。

列車そのものは通年(毎日)運転で、通常は“犬山169D号”として運行されていましたね。鵜飼シーズンの5月~10月位までの期間に限って、8000系の社線内特急運用では唯一のヘッドマーク『犬山うかい号』を掲げて運行されていました。ですから、同じ列車(スジ)でも、シーズン以外はヘッドマークなしのまま運行されています。

この8000系、名鉄の規格(地方鉄道定規)に合わせて車体幅が国鉄(JR)車両に比べて狭かったため、車内は結構狭っ苦しい感じでしたね。シートも大人2人が座るとかなりキツイ感じでした…。

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2010年11月11日 (木)

8000形と8200形

D8000 D8200 今回はちょっと趣向を変えて、この2枚をご紹介しましょう。どちらが8000形・8200形か一目で見分けられた方、かなりの通ですね。(写真にカーソルを合わせれば答えが出ます)

まるで『使用前』『使用後』のような2枚ですが、8000形の反対側の車両では8200形と同様の汚れ具合でしたから、清掃の有無ではなくて、おそらく運用時の連結位置と排気口の位置が関係していると思われます。確か8000形の排気口は運転室の後方寄り、8200形はそれより前方にありましたので、ちょっとした位置の差で8200形とそれに向かい合って連結している8000形などは、この様な汚れ具合になるのではないかと思います。

『兄弟』ですから似ているのは当然のこと、それでも登場年に5年ほどの差がありますので、細々とした部分は違っていますね。車体幅も僅かな差ですが、こうやって並べるとやはり8000形の方が若干ふっくらして見えますね。

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2010年11月10日 (水)

金山橋駅の北アルプス号【御礼18000count突破】

D800018000count突破の御礼としては、やはり8000系ですね。往年の金山橋駅で捉えたものを今回は選んでみました。

ご覧の通りこれは帰りの『北アルプス』号ですね。当時は1泊旅行に丁度いいダイヤとして設定されていましたので、朝は9時半頃に出発して、夕方17時前に名古屋へ戻るダイヤで、夏場ではこのようにまだ明るいうちに帰って来ていました。ここから8000系はもう一働き、社線内特急に早変わりしていますね。

まだこの時には立山まで直通していた時代ですが、米原経由の『しらさぎ』号なら4時間ほど、しかも本数は1時間に1本ありましたから、さすがに5時間掛けて立山から乗り通す客はそんなに多くなかったようで、この翌年の夏ダイヤを以って立山乗入れは中止しています。
名鉄のクイーンとして君臨し続けた『北アルプス』号ですが、この頃から徐々に翳りが見えてきましたね。

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