カテゴリー「e2o.岐阜600V軌道線」の22件の記事

600V岐阜市内線・車両関係

2012年4月28日 (土)

新岐阜駅前の賑わい

0554休日運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、言わずもがなですね。今ではすっかり様相が一変して、町の佇まいすら見る影もない位に変わって(変わり果てて)しまいました…。

撮影したのは確か正月三が日(の何れか)だったと思いましたので、特に多いのですが、それにしてもこの賑わい、やはり軌道線(市内線)があればこそのものですね。背後に写った新岐阜百貨店も、まだこの頃は十分に『集客力』もあり、名岐間の移動は殆ど名鉄が独占していた時代でした。

今までにも550形は何度かご紹介していますが、偶然とはいえ、なぜかこの554号をよく写しています。550形そのものは市内線車両では最大の勢力(10両)を誇っていましたので、形式そのものは決して珍しくありませんね。でも、その分、本来なら個別の車両を撮影する確率はバラけるはずなんですが、こういうこともあるものですね。

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2012年1月 8日 (日)

570形岐阜⇔忠節ダラ

M0573週一運用の再開です。現地では、昨年末にまとまった積雪が早々にあったようですね。敦賀~関ヶ原の辺りは高い山が限られていますから、北陸からの雪雲が流れて来ることも多く、西濃地方から名古屋辺りまでは積雪を伴う雪もそれほど珍しくありませんね。この写真を撮った時もまさにそんな感じで、ご覧のように岐阜市内でも薄らと雪化粧をしていました。
そういえば、大手私鉄では珍しい(唯一?)『耐雪ブレーキ』標準装備なのも、名鉄車両の特徴の一つですね。写真当時は、新車(6000系)でもそこまでしていなかったはずで、特に自動ブレーキ(AL・HL)車などは細心の注意が必要だったのでしょうね。

さて、写真の570形は岐阜市内線の最末期まで残っていましたので、馴染みの深い方も多いと思います。名鉄には珍しく帝国車両製で、都電6000形などと『共通設計』でしたから、さしずめ『路面標準車』となっていましたね。最晩年は平日朝夕のラッシュ(波動)輸送専用車のような感じでしたので、殆ど乗車機会がなかったのですが、この頃は当然の事ながら、忠節支線の主力車として活躍していました。

系統板をよく見ると『岐阜⇔忠節』になっていますね。記憶では忠節支線系統は新岐阜止まりが標準だったはずで、何本かに1本岐阜駅まで顔を出していたのか、通常とは違う臨時運用だったのか、その辺の詳細は私には不明です。とはいえ、折り返しや列車順序の入れ替えの関係など、往々にして『新岐阜』止まりでも岐阜駅まで行ったり、或いはその逆に『岐阜駅』表示でも新岐阜で折り返したりと、その時時で臨機応変な対応を行っていました。

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2011年12月25日 (日)

560形忠節⇔新岐阜ダラ

M0566週一の運行再開です。今回はこんな写真を選んでみました。数年前にこの通りを通った時には、この辺りはそんなに変わっていなかったのですが、私には随分と殺風景に(よく言えば空が広くさっぱりと)なったような感じがしました。原因は言わずもがなですね。

この写真だけで、正確に場所が特定できた方は、多分、岐阜市内線をくまなく追いかけていたのではないでしょうか?時折は鉄道雑誌などにこの周辺で撮った写真が載ることはあっても、近くに『大物』(有名撮影地)が控えていますので、意外と穴場になっていたのではないかと思います。とはいえ、ご覧のとおり、それなりの雰囲気が出る写真を撮るには車道からでないとちょっと厳しい感じですが…。(この写真は友人が運転する車内から撮影しています)

560形は今までそれほど多くご紹介していなかったようですね。元を質せば、北鉄金沢市内線からの『転籍組』ですね。3790系と言い、この560形に兄弟分の530形・550形など、傍系の路線廃止に伴って不要となった車両を親会社が引き取る例は、他の大手私鉄ではまず考えられれない事ですね。これも、多様な路線を持っていた名鉄ならではの『特徴』ですね。

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2011年9月10日 (土)

520形揖斐急行

M0523休日運行を進めて参りましょう。今日から関東のJR・私鉄各線も『節電ダイヤ』から通常ダイヤに復帰したようですね。とすれば、このブログも『通常運行』に戻したい所ですが、ネガのデジタル化が遅々として進んでおりませんので、こちらは暫く節電ならぬ『節ネタ』ダイヤでの運行とさせて頂きます。何卒ご了承下さい。

と言う訳もありまして…、今回はこんな写真でご勘弁下さい。これは多分、流し撮りのつもりで撮ったのですが、只のブレブレ写真になってしまいました。場所は、ご当地の方なら大方見当がつくと思います。当時も今もまともな記録を取っておりませんので、飽くまで記憶を頼りに申しますと、確か徹明町~金町電停間だったと思います。徹明町で降りて歩いた記憶がかすかに残っています。

そう言えば、揖斐急行の運行開始当初、この岐阜市内線区間は単行の続行運転をしていましたね。その当時、祖父に連れられて一度乗った記憶が残っていますが、忠節で5分ほど待っていたような感じでした。いつから『重連運転』を始めたのか私には不明ですが、この写真の頃は既に重連運転が当り前になっています。

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2011年9月 9日 (金)

往年の新岐阜駅前界隈

2週末になりましたので、恒例の運行再開と参りましょう。今日で一応、政府の『節電令』は解除されたものの、前政権の『置き土産』で今後も電力需給は予断を許さないようですね。

さて、愚痴はこの辺にして本題へと参りましょう。
この当時の新岐阜駅一帯は正に岐阜の玄関口となっていましたので、人通りと言い、車の通行量と言い、界隈の商業地と言い、活気に満ち溢れていましたね。当時の国鉄は漸く都市間輸送からローカル輸送にも目を向け始めた頃で、京阪神で好評だった117系を東海地区にも導入して、名鉄に勝負を挑み始めてはいたのですが、相撲に例えれば前頭、それも後位と大横綱ほどにも実力の差が開いていた時代でした。

「今もそうだ。何ら変わっていない。」などと若い方は思われるかもしれませんね。しかし、当時の『横綱』は明らかに名鉄でした。
国鉄時代のダイヤはまだまだ都市間連絡の延長でしかなく、この頃からやっと『ラウンド(等間隔)ダイヤ』を採用し始めたに過ぎません。所要時間こそ、今とそう変わらない俊足ぶりを発揮して、当時から特定運賃も設定していましたが、列車の本数も今の半分程度が精々。それに、国鉄は名鉄のいない大垣始発を重視していましたので、岐阜からの乗客は、始発で座れて列車本数も圧倒的に多い名鉄に乗るのが常識でした。

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2011年7月 1日 (金)

510形の車内

M0510 週末恒例の運行再開と参りましょう。首都圏の『節電』が中電にまで飛び火して、名鉄も節電を強いられているようですね。何でも特急『特別車』まで消灯を徹底している由。
辛うじて朝の通勤時間帯は除外しているようですが…。

そう言えば、その昔はいわゆる『昼行燈』が殆ど見られませんでしたね。もちろん、トンネル区間など必要に応じて車内灯は点けていましたが、日中は消すのが当り前でしたね。いつ頃から真昼も構わず点けるようになったのか記憶は曖昧ですが、確かバブル華やかりし頃からではなかったでしょうか。

前振りが長すぎましたが、写真はご覧のとおり510形の車内です。オリジナルは確か、サイドシートだったと思いましたが、岐阜市内線~揖斐線直通の急行車に抜擢された際、520形と共に性能も内装も徹底的に手を入れられていました。路面電車と言えばサイドシートが当り前だった中でも、やはり急行運用に相応しい内装は『クロスシート』との確固たる信念の下に改造されていますね。
まさに『名鉄=転換クロス』を体現した車両でした。

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2011年4月30日 (土)

新岐阜駅前の様子

Photo 何かと立て込んで、休日運行も運休気味ですみません。今回はこんな写真を選んでみました。新岐阜駅前の交差点は今でもちょっと変わった感じになっていますね。当時はそれに市内線も絡んでいましたので、結構複雑な信号になっていました。

道路の真ん中に人が佇んでいる感じになっているのは、ご承知の通り、新岐阜駅前電停で乗降する人が信号待ちをしているのですが、廃止される最後の最後までこんな感じでしたね。安全地帯の設置は、最後まで市当局の許可が得られず、廃止表明後に慌てて新岐阜駅前のみ『実験』の許可がやっと出たものの、完全に時機を逸したものでした。

いわゆる『噂』の域を出ませんが、岐阜県・岐阜市共に名鉄の軌道線に対して『冷たい』対応を続けたのは、美濃電を(旧)名古屋鉄道が吸収合併に持ち込んだのが原因などと言われています。それを100%信用することはできないのでしょうが、名鉄が廃止表明した後の岐阜市のチグハグな対応ぶり(40年近く『廃止決議』を残したまま『廃止反対決議』を出すなど)を見ても『然も有りなん』などと思ってしまいます…。

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2011年4月 8日 (金)

570形新岐阜⇔伊奈波ダラ

M0573 震災直後に比べれば、電力事情もかなり改善してきているようですね。『計画停電』も取敢えずは終了だそうですので、当ブログも運行再開してみました。とは言え、当面は週末限定の運行を続けて行きたいと思いますので、その点ご了承下さい。

早いもので、振り返れば岐阜市内線廃止から満6年が経ってしまいましたね。と言う訳で、今回はこんな写真を選んでみました。570形は岐阜市内線と命運を共にした車両ですが、最晩年は朝夕ラッシュ時のみの運行で、昼間や休日は忠節の側線などでよく寝ていましたね。

この当時はもちろん、市内線の主力として縦横に活躍しており、時にはこのような運用もこなしていました。これは正月に撮影したもので、伊奈波神社への参拝客輸送に駆り出されたものですね。570形はいわゆる『広幅車』でしたから、通常は長良本線には入らないのですが、このような多客期には伊奈波通電停折り返しとして運用されていました。

そう言えば、都電6000形と同型というのでも有名ですね。登場当時のものと見られる写真には、570形もトロリーポールを装着した様子が写っています。写真当時はご覧の通りZパンタが装着されており、前照灯は都電のように前面中央部ではなく、登場時から頭部(おでこ)に付いていますので、その他諸々と合わせてパッと見は随分と印象が違って見えますね。

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2011年3月12日 (土)

新岐阜駅構内(?)の560形

M0561 先ず以て、三陸大震災・大津波で被災された方に、心よりお見舞い申し上げます。
個人的な被害は軽微でしたが、そんな訳でブログ更新が滞りましたこと、何卒ご了承下さい。

今回は趣向を変えて、こんな写真を選んでみました。表題をご覧になって、疑問に思われた方もきっと多いでしょうね。『新岐阜駅構内』は『新岐阜駅前』の間違いではないのかと。

この写真をご覧になって、新岐阜駅のどの辺りかすぐに分かった方、多分40代以上の方ではないでしょうか。今は見る影もなく変わって巨大なビルが建ち、なぜか西武系列(?)のテナントが入っていますね。その昔はこの場所でも検車作業が行われていた、と聞いた記憶があります。

その昔は『新岐阜駅前』から分岐して旧岐阜工場へ向かう側線があり、そこから更に分岐して、各務原線の新岐阜駅へ接続する側線がありました。この写真を撮影した頃は到に市ノ坪へ移転していますので、この新岐阜駅裏(?)へ繋がる側線として残っていました。当時はまだ線路は各務原線と繋がっていましたが、それは各務原線ホーム延伸の際に切られています。

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2011年1月12日 (水)

忠節橋の570形

M0570 今回はこんな写真を選んでみました。ここも言うなれば有名な撮影地ですね。忠節橋そのものは今もそのままありますが、名鉄ファンにしてみれば肝心なものがなくなってしまいましたね。

忠節橋は何でも結構『曰くつき』の物件なんだそうですね。何でも終戦後に架けた全国初の鉄鋼橋だそうで、GHQの特別許可で大規模な鉄鋼構造物を始めて造ったものだそうですね。それまでの忠節支線は現在の忠節橋の南袂までで途切れていました。ですから、戦前から橋で繋がっていた長良本線とは違って橋を渡ったのは戦後の事でした。

ですから、この忠節支線は岐阜市内線では『大型車』とされた570形が運行できましたね。長良本線の方は、特に伊奈波通以北の車両限界の関係で、その昔は『単車』しか通れず、その後に北鉄から移籍した『狭幅車』550形・560形(530形)限定の運用が組まれていました。

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