カテゴリー「i.イラスト板」の37件の記事

特急などのイラスト入り系統板関係

2011年10月15日 (土)

100系伏見ダラ『開通』板

M0100休日恒例の運行再開と参りたいと思います。今回はこんな写真を選んでみました。相変わらずの『節(拙?)ネタ』ダイヤ中ですので、今までにも何度かご紹介している特段珍しい写真でもありませんが…。

豊田線もすっかり沿線に住宅地が増えて、それなりに『通勤路線』ぽくなっていますが、既存の街からは全て離れた場所を走っていましたので、当時はそれこそ駅前の商店すら殆どない状態でした。この上豊田駅も当時は豊田線唯一の無人駅で、見渡す限り何もない、やっと『開墾』が済んだばかり、と言った感じでした。

この100系も今後の処遇が注目されている形式ですね。取敢えずは1編成のみVVVF改造を受けるようですが、ご承知の通りただの『鋼製車』ですので、30年経過した車体にそれだけの『価値』が残っているのかどうか…。
5700系の『前例』からすると、中間VVVF車のみ抜き出して、先頭(運転台)部分を『ギロチン』したものを移植するのが落ちと思っていましたので、今後の名鉄の出方から目が離せませんね。

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2011年6月12日 (日)

《P車デビュー50周年》【600回記念】7000系トライスター号

M7000_2 今を去る事50年前、とある私鉄に世界初の『2階式運転台』を持つ車両が燦然と舞い降りた。沿線に大手自動車会社の企業城下町が広がるこの鉄道では、ひたひたと近寄る一家に一台『自家用車』時代の到来を脅威に感じていた。来たるべき『自家用車』との決戦に備えて、機先を制する使命を帯びて、まさに『鳴り物入り』で登場したのがこの車両であった…。

某『国営放送』の人気番組、様々な日本の『地上』にある『星』を紹介していたドキュメンタリーのナレーション風にすると、冒頭はこんな感じでしょうか。もう少し続けましょう。

昭和36年6月12日。その日、新岐阜~豊橋間の沿線には真紅に塗られた眩いばかりの新型車を一目見ようと、周辺の住民がこぞって線路脇を埋めた。
電車の中で最も良い眺めを見ているのは運転士だった。その展望をお客さんのものとするために、一人の男が立ち上がった。その案に、副社長がゴーサインを出した。ただし、過酷とも思える条件が出された。「絶対に『ブルーリボン賞』を獲ること。これは業務命令である。もし獲れなければ、ここに居る全員『クビ』だ」。
プロジェクト早々に厳命が下った。しかし、男には確かな勝算があった。日本初、いや、世界初となるに違いない車両が完成できれば、絶対に『ブルーリボン賞』は獲れる。幸いにも、このプロジェクトを脅かそうとするライバル企業の動きは少なく、しかもこの男には、何者にも代え難い強力な『助っ人』も付いていたのである…。

ちょっと悪乗り気味になってきましたので、この辺が潮時でしょうか。さて、ここまでお読みになった方で、きっと『あれ?』と思われた方も多いと思います。世界初の『前面展望車』はイタリアのETR300ではないか、と。
確かにその通りです。が、彼の車両は『2階式運転台』を採用していませんね。ザックリ言えば『こだま型』のボンネット部分に客室を設けたような、そんな構造になっていました。ですから、世界初の『2階式運転台』車両は7000系ということになります。

一ファンの戯言をお許し頂けるならば、今日この日まで7000系を現役で維持して貰いたかったのですが、そんな夢は脆くも崩れて、早や2年が過ぎようとしていますね。今や7000系の流れを汲んだ6000系にまで廃車が及び、かつて名鉄の代名詞だった『2扉クロス』が、もはや死語にさえなりつつあります。7000系が一時代を画した車両であったことは紛れもない事実ですが、その『時代』も徐々に記憶の彼方へと追いやられつつありますね。
(回りまわって、また地上に『星』が登場してくれれば申し分ないのですが。おあとがよろしいようで…)

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2011年5月28日 (土)

7000系青い鳥号

M7000 週末運行が滞って休日にずれてしまいましたが、運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。今とは違って当時は1年の大半が臨時ダイヤだった名鉄ですが、写真当時が最も『ラインパーク』(当時)の催事に力が入っていた頃ではないかと思います。

この『青い鳥』号は前にも(各)新岐阜で撮影した写真をご紹介しましたが、沿線各地から犬山遊園めがけて飛来してきていました。当時のダイヤはうろ覚えですが、確か大半の臨時列車が『青い鳥』号だった記憶があります。同じ名称ばかりでは些かつまらなかったのですが、今思えばそれとて贅沢な悩みですね。

写真では不鮮明ながら、シートはどうやら『青モケ』(青緑色のモケット)車のようですね。定期特急には原則として『赤モケ』(朱色のモケット)車が入っていたのですが、臨時ともなれば『青モケ』車も白カバーを掛けられ、即席特急車に早変わりさせられて大量動員していました。この辺は、ローカル運用にすら惜しげもなく『特急車』を充当(?)し、更には通勤の輸送力列車にまで躊躇なく投入(?)していた、名鉄ならではの他社には真似できない対応ぶりですね。

余談ながら、この『青い鳥』号に使われた系統板はご覧のように『はみ出し』ていますが、鳥の部分は『後付け』で貼り合わせてありました。通常、催事に合わせた名称は往路のみが多く、同名称の場合は行先が入っていたのですが、この系統板は『裏返し』に出来なかったのでしょうね、復路もそのまま使用していた(確か裏面は真っ白)関係で、行先表示のないものとなっていました。

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2011年5月 7日 (土)

100系豊田市ダラ『開通』板

M0100 休日運行を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。豊田新線開業時の記念列車は今までにもご紹介していますが、これは言わば『一般運用』に回った3編成に対して取り付けられたイラスト板です。

記念列車でなくとも駅に列車が到着する度、地元の人々が集まってこのような『お祭り騒ぎ』になっていました。開業当時の上豊田駅は無人駅でしたので、特に集まり易かったこともあるのでしょうね。50年来の地元の悲願であった鉄道開業に、大いに盛り上がっていた感じでした。

そう言えば、100系も何やら大々的に『更新工事』を行うような噂を耳にしましたが、外観はそのまま、中身をそっくり取り替える由。もともと、今でさえ外観は同じでも、一般的な抵抗制御車に始まって界磁添加励磁制御車、更にはVVVF車まであるのも実に面白いですね。形式番号の付番方法も『個性』があるというか、出たとこ勝負で付番したというか…、実にユニークなのも特徴ですね。

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2011年4月 2日 (土)

5200系フルーツ号

M5200 ついでと言っては何ですが、もう一つ参りましょう。これはイラスト板なのかどうか迷うところですが、一応、イラストっぽい文字ということでご了承ください。緑色の文字も、他にはありませんでしたし…。

この『フルーツ』号も結構老舗の特急ですね。P板の方は葡萄やら梨やらのイラストが描かれたものでしたが、一般板は黄色地に色文字を配した全く別の感じのものが用意されていました。一応『黄板』の仲間でありますものの、ご覧のとおり、普通の『黄板』より若干レモン色に近い感じのものでした。

この写真は、まだ5200系が『座席指定』運用に入っていた時代のものです。と、書いてあるのをご覧になって不自然に感じた方、その感覚は実に正確です。まず系統板に『座席指定』と書いてありません。5200系はどう見ても『特別整備』後の姿ですね。この写真も現場の方々のご厚意で撮影できたものです。

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2011年4月 1日 (金)

《Aprilfool》3730系『特急』マンモちゃん号

M3744 月も変わって電力事情もやや好転しているようですね。今回は特別にこんな写真をご紹介しましょう。三河線の特急は通常ダイヤにはありませんが、春秋の臨時ダイヤには必ずと言っていい程に設定されていましたね。

さて、この写真、HL車がその生涯でたった一度だけ、座席指定『特急』に使われた貴重な証拠写真です。いかな臨時特急といえども、この当時は既に7000系以降の車両しか使用されていなかったのですが、この時はどうしても車両の遣り繰りが付かず、三河線内のみHL車が代用で入りました。っていうのはエープリル・フールですから、決して信じないで下さい。(信じる方もいないとは思いますが)

この写真も、今までご紹介したように駅員(助役?)さんのご厚意で撮影できたものです。この列車で翌日使うための系統板を『回送』しており、乗車中に見つけて、終点に到着した折に「系統板だけでも…」とお願いしたところ、折角だからと種別板まで『特急』に変えて頂いて撮影することが出来ました。写真をよく見ると、右端には復路用の系統板も写っていますね。

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2011年3月27日 (日)

5000系常滑焼まつり号

M5000 常滑つながりで今回はこんな写真を選んでみました。見た通り厳密には『イラスト板』ではないんですが、広義のイラスト板(名称が言わばイラスト)ということでご了承下さい。

この『常滑焼まつり』号は昔からある老舗の列車ですね。晩年は確か焼き物のイラストも入っていたと思いましたが、この当時は文字だけのシンプルなものでした。S52年のダイヤ改正前までは、いわゆる『白板特急』(一般特急)の『常滑特急』名称変更(追加?)として設定されていましたね。

で、この写真、その当時のものであればいいんですが、正直に申せばS52年ダイヤ改正後(『高速』登場後)のものです。この当時も同様に、まつり期間中の常滑高速にはこの系統板を付けていました。この写真も駅員さんのご厚意によって撮影できたもので、ホームから降りての撮影も見守って(前方注視をして)頂きながらのものです。
(実にいい時代でした…)

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2011年3月21日 (月)

3780系七夕まつり号【御礼29000count突破】

Hl3780 『計画停電』が中止になったこともあるのでしょうか、29000count突破の御礼としては何ですが、今回はこんな写真を選んでみました。毎度ながら『難あり』の写真ですみません。

この駅は、若い人だとよく分からないでしょうね。私なんぞは今の駅の方がなじみが薄いですから、どうしても『大曽根駅』というと今でもこのイメージから抜け出せません。(高架後の大曽根駅には、数えるほどしか行ったことがないせいもあります)

さて、この『七夕まつり』号は大曽根商店街で毎年8月上旬に行われていた七夕まつりに合わせて運行されていました。今風でいえばPR板に近い感じだったのですが、この当時は結構こんな感じのイラスト板を付けた列車が走っていました。

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2011年3月10日 (木)

5500系桃太郎号

M5500 そう言えば、イラスト板も久しく出していませんでしたね。今回は5500系つながりで、こんな写真を選んでみました。この5500系は中央の前照灯もまだ『ノーマル』の状態ですね。

当時は最後の『特急運用』に入っていた頃です。今も結構頑張っているようですが、この頃の春秋の行楽シーズンにはラインパーク(現在のモンキーパーク)催事にも力が入っていて、このように催事に合わせた『臨時特急』も大増発して行楽客輸送をこなしていました。

名鉄ダイヤの特徴といえば、正月に限らず、いわゆる『多客臨時ダイヤ』にも平日ダイヤがあった点ですね。夏休みなど、学校が休みの時期には他社でも平日の『多客臨時ダイヤ』は珍しくありませんが、それ以外の、いうなれば本当の平日にも設定されていた点が特筆されますね。

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2011年1月10日 (月)

7000系フルーツ号【御礼23000count突破】

M7000_2 23000count突破の御礼としてはささやかですが、イラスト板も久しく出していませんでしたから、今回はこんな写真を選んでみました。今思えば、この頃がイラスト板の全盛期でしたね。

この『フルーツ』号は確か定期列車の名称変更の形ではなかったかと思います。その昔は『山之上フルーツ』号などの名称でも運転されていたはずで、名鉄の主な観光地として『名鉄パック』も設定されて結構大々的に宣伝されていた記憶があります。

名鉄沿線には全国に聞こえた観光地がなかったために、色々と沿線の観光地を売り出し、或いは開発していますね。その中で『明治村』・『日本ライン』などはその後、結構『全国区』になっていますが、長年名鉄の金看板であった『ライン下り』は今や系列を離れ、一方で名鉄の肝煎りで一大観光地を形成していた三河湾地域では、蒲郡線の存続すら危うい状況と、かなり厳しいですね。

そう言えば『パノラマパック』などの企画乗車券も、ひと頃に比べて激減していますね。僅かに残った企画券も、今は専ら『1dayフリー乗車券』と食事コースなどをセットにしたものですから、合理化とは言え、一般のお客さんには必ずしも『お得』とは言えない感じになってしまっています。

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