カテゴリー「g.通勤型車両」の49件の記事

6000系以降の通勤型車両関係

2012年12月30日 (日)

100系豊田市ダラと3730系碧南ダラ

M01423732今年最後の運行です。締め括りに相応しいかどうかは疑わしい限りですが、今回はこんな写真を選んでみました。
ここは、行先で十分お分かりですね。駅全体の感じは変わったものの、まだこの辺りは往時の面影を残しています。が、そろそろ太田川以上に大々的な工事が始まりそうですね。(もう始まっているのでしょうか?)

写真は、まだ『豊田新線』の開業前。100系の先行落成車が運行を始めたばかりのものです。時折、今も知立まで顔を出しているのでしょうか、最新の状況は私には不明ですが、当時は『足慣らし』として、知立~豊田市間の急行・ダラに使用していました。記憶が間違っていなければ、この時は111Fが『急行運用』に、そしてこの112Fが『ダラ運用』に入っておりました。

111Fと、最近は112Fも“VVVF化”を施したようですね。と言うことは、100系はもう少し『延命』するようですが、ステンレス車では実績のある“VVVF化”換装ですが、純鋼製車の100系をいつまで使うつもりなのか、ちょっと疑問が残る処置ですね。鶴舞線内では、特に夏場の『抵抗制御車』が不評のようですから、乗客に取っては僅かばかりでも『涼しく』なるようですが…。

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2012年9月16日 (日)

登場当時の6500系【御礼65000count突破】

M6501休日運行を再開致しましょうと思いましたら、お陰様で65000count突破と相成りましたので、お礼に『お約束』(?)の6500系を選んでみました。そう言えば6500系は当ブログ初登場ですね。ちょっとうるさい写真ですが、登場時の白色塗り分けが一番分かり易い写真ですので、何卒ご了承下さい。

6500系は、本線系『高速』が運行できる通勤車として登場した系列ですね。6000系は最高速度が100km/hに抑えられていたため、何かとダイヤの制約がキツかったために、7000系など他のSR車と同等の『走り』ができる6000系として登場しましたね。
椅子も、悪評高かった6000系の『1.5人掛け』よりひと回り大きくなって『1.8人掛け』となり、妻面のデコラには『木目調』を採用するなど、多少なりとも車内に『高級感』を出そうとの試みもみられた車両ですね。

また、6500系は非冷房SR車の5000系・5200系を本線系運用から引退させる目的もあって登場していますね。この2年後には5300系として生まれ変わって、こちらは『高速』運用に特化した車両として再登場しています。
また、この6500系は名鉄初の『チョッパ制御』車でもありますね。大手私鉄では最後の導入ですが、その分、当時の最先端技術であったGTO素子を使った初の鉄道車両でもあります。

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2012年3月 4日 (日)

6000系岐阜ダラ

M6000週1運行の再開です。毎度脈絡もなく、今回はこんな写真を選んでみました。
毎度ネタ切れ気味で、珍しいと言うほどのものでもありませんが、今は亡き境川駅で捉えた写真ですので、ご勘弁下さい。

この頃からですね、本格的に6000系がダラ運用に入って来だしたのは。登場して間もない6000系5次車がたまたま来たので、まだ珍しいから撮ったのでしょうね。前も多分2連でしょうから3次車でしょうか。たった2年程の間にも拘わらず、随分と退色しているのが辛うじてお分かり頂けるかと思います。当時の塗料は結構退色が激しく、全く同じ色を塗っているはずなんですが、2年でここまではっきり差が表れています。

フッ素系の抗退色性が強化された塗料が出てきたのは、確か平成に入ってからだったでしょうか。それ以降はここまではっきりと差が表れなくなっていますが、まるで白く粉を吹いた様に白っぽくなるのが、この当時の名鉄車の『特徴』でもありました。そう言えばP車の先頭部分、特に『おでこ』に当たる部分はまともに日が当たるからでしょうね、随分と塗装の傷みが激しかった記憶があります。

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2011年11月 3日 (木)

6000系蒲郡急行【御礼46000count突破】

M6000お陰様で46000count突破を頂きましたので、急遽休日運行させて頂きます。お約束(?)とは言え大した写真は残っておりませんので、今回はこんな写真でご勘弁下さい。

まだまだ6000系が珍しかった時代の写真です。この時も、金山橋で『駅撮り』をしていた際に6000系がやって来て、撮ろうと構えたその次の瞬間、半分写り込んでいる御仁が割り込んで来て、こんな感じになってしまいました。当時はそんな『ギスギス』した感じのない、実にのんびりした時代だったのですが、中にはこんな御仁もいました。(別に晒す訳ではありませんが)

ヨタ話はこの辺にして、当時の6000系はまだまだ『注目の新車』としての輝きがあったのですが、これから怒涛のごとく増備されるに連れて『SR車』から格下げ(?)されて、専ら『6R』と呼ばれるようになっていきますね。でも『R』はそもそも『ロマンスカー』の略ですから、登場時は曲がりなりにも『クロス(ロマンス?)シート』だったものの、その後の改造でロングシート化されていますから、これでも『名前に偽りあり』ですね。

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2011年10月15日 (土)

100系伏見ダラ『開通』板

M0100休日恒例の運行再開と参りたいと思います。今回はこんな写真を選んでみました。相変わらずの『節(拙?)ネタ』ダイヤ中ですので、今までにも何度かご紹介している特段珍しい写真でもありませんが…。

豊田線もすっかり沿線に住宅地が増えて、それなりに『通勤路線』ぽくなっていますが、既存の街からは全て離れた場所を走っていましたので、当時はそれこそ駅前の商店すら殆どない状態でした。この上豊田駅も当時は豊田線唯一の無人駅で、見渡す限り何もない、やっと『開墾』が済んだばかり、と言った感じでした。

この100系も今後の処遇が注目されている形式ですね。取敢えずは1編成のみVVVF改造を受けるようですが、ご承知の通りただの『鋼製車』ですので、30年経過した車体にそれだけの『価値』が残っているのかどうか…。
5700系の『前例』からすると、中間VVVF車のみ抜き出して、先頭(運転台)部分を『ギロチン』したものを移植するのが落ちと思っていましたので、今後の名鉄の出方から目が離せませんね。

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2011年9月24日 (土)

6000系蒲郡急行

M6000殆どの鉄道は『通常ダイヤ』に戻ったようですが、休日も今以て『間引きダイヤ』ですみません。すっかり秋めいた感じで、まさに「暑さ寒さも彼岸まで」ですね。さて、今回はこんな写真を選んでみました。ちょっと荒れた画像で失礼します。

まだ6000系が珍しい時代の写真です。今との『違い』が分かりますでしょうか?
細々見れば色々あるのでしょうが、一番目に付くのが行先表示幕の色ではないでしょうか。2次車まではご覧のように『白地』だったのが、3次車から『青地』に変更されています。今では車両によってジャンパ線も省略されていますね。

そういえば、6000系のジャンパ線ほど『蛇足』な物もなかったのではないかと思います。ご承知の通り、6000系は1次車から全編成に『M連』が装備されており、異常時(故障・事故など)を除いては他系列(7700系などSR車)とも『混結』はしませんでしたから、ジャンパ線は殆ど使用していないはずですね。
一応、制御器はSR車と互換性がありましたので、連結すれば総括制御は可能でしたが、歯数比が違いましたので、営業列車では『連結不可』となっています。異常時対応とすれば、取敢えず直通ブレーキ管があれば何とかなりますし、名鉄にしては珍しく『過剰装備』ではないかと思います。(それほど高いものでもありませんが…)

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2011年8月26日 (金)

6000系常滑ダラ

M6000週末恒例の運行再開と参りましょう。何だか暑いようなそうでないような、中途半端な日が続きますね。一日中カラッと晴れた空が見たいような、そうでないような…。『節電列島』の影響で心中も何だか中途半端な感じですが。

さて、今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処かはお分かりの方も多いと思います。ネガにはS57年と書いてありましたから、名前が変わった直後のものですね。駅構内の設備は『ワンマン化』などもあって結構変わっているものの、雰囲気はこの当時とそんなに変わっていないように思います。

当時はまだ御嵩から本線(常滑)直通が出ていた時代。御嵩直通の4連は上下列車ともこの2番線に入線していましたね。この写真の頃には既に広見線内は急行(高速)運転がなくなって、1時間に1本の『日本ライン』号を除いてダラばかりが走る路線になっています。今は朝夕のミュースカイが『日本ライン』に取って代わり、御嵩行きも新可児で系統分割が行われていますが、基本的なダイヤ構成はそのまま引き継がれていますね。

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2011年8月20日 (土)

【御礼40000count突破】6600系栄町ダラ

M6600この頃は更新も滞りがちであるにも拘らず、お陰様で皆様方のご愛顧を頂いて40000count突破を迎えることが出来ました。お礼の『お約束』としては4000系なんでしょうが、未だ実物すら見ないままですので、今回は『昭和の4000系』ともいえるこんな写真でご了承下さい。

これはご覧のとおり、栄町開業後のものです。当時はまだ『4両固定』にはなっておらず、この列車も写真では分かりにくいのですが、記憶が正しければ2両編成だったと思います。当時も運用途中での増解結はしていなかったはずで、ダラ(普通)を中心(ダラのみ?)に2両編成の運用も結構あったと記憶しています。

そういえば、当時言われていたのは将来的に6両化する計画だったはずですが、結局、愛知万博の際にも実現しないままですね。今後も輸送需要が急増することはないでしょうから、このまま『4両固定』で車両の置き換えも進むのでしょうね。個人的には、朝夕ラッシュ5両編成で、昼間には2~3両に分割できるような車両計画を考えていたのですが、運用面で完全固定編成が最もラクなのは周知の事実ですから、机上の空論で終わることでしょうね。

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2011年8月 6日 (土)

2300形瀬戸急行と6600系

C23026600休日運行を続けましょう。ネタ切れ気味で再掲写真になりますが、何卒ご容赦下さい。ここは既に更地になって結構経ちますね。
建屋内のピット部分だけは手付かずのまま残されていましたが、今は高架化工事でそれも撤去されたのか、私には不明です。

写真をご覧になれば、600V時代の最晩年のものとお分かり頂けるかと思います。まだ廃車は出ていないものの、当時は手垢ひとつない(?)まっさらな新車だった6600系の処遇が口の端に上る時代なんですね。冷静に考えれば、6600系も既に『30年選手』なのですから不思議でも何でもない話ですが…。

さて、写真をご覧になって不思議に思われた方もあるかと思います。写っているク2302号は、相方のモ902号と共に600V終焉まで白帯を巻いた車両でした。が、この『編成』の奥に写っている車両には白帯がありません。当時はそんなことに気付かず、ただ漫然と撮っていただけですので記録はありませんが、これは多分、検査の関係で『編成』がバラされていたために起こった一時的な『現象』ではないかと思います。(確実に最後まで902号も白帯を巻いていました)

余談ながら、瀬戸線の『逆さ富士』では、運用中に『瀬戸』表記は滅多に出していませんので、これもまた車庫ならではのものと言えます。(誰が変えたのか、訪問時には既にセットされていました)

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2011年7月24日 (日)

6000系3次車豊明準急

M6000_2再び夏が戻ってきた感じですね。
さすがに、立秋前に『秋』が来ることはないと頭では理解していても、7月早々から(6月から?)暑い日々が続いていますので、何だか感覚が1ヶ月ずれてしまっています…。

さて、今回はこんな写真を選んでみました。今の6000系3次車(2連)は1編成を除いて『蒲郡(御嵩)ワンマン』改造されていますね。当時はまだ登場1年足らずの時期で、初めての『6000系2連』でしたので珍しさがまだあったのでしょう。ご承知のように、この後は2連がウジャウジャ出てきますので、それこそ、こんな光景は日常茶飯事になるのですが…。

当時の豊明駅は今と違って、どこにでもある2面4線の至って『普通の駅』で、今以上に何もない所にポツンと駅だけがある、そんな感じでした。とは言え、名鉄の運用に取っては結構重要な駅で、昔からこんな感じでダラ・準急の折り返しを行っていましたね。
豊明市街地は前後駅の辺りが昔からそれなりに栄えていたと記憶していますが、なぜこんな『町はずれ』の駅が市の『代表駅』(?)なのか、当時は不思議に感じていたものでした。

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