カテゴリー「j.緑板特急」の20件の記事

緑色系統板の特急(指定席車)関係

2012年4月14日 (土)

7000系+7700系白帯内海特急【御礼57000count突破】

M70007700休日運行の再開です。この1週間足らずの間に、お陰様で1000count超のアクセスを賜りまして、誠に有難うございます。『お約束』としては5700系の写真なのでしょうが、折角ですから7000系白帯の写真を選んでみました。(5次車でも、そんなにいい写真でもありませんが…)

このアングルなら、ここは何処かお分かりの方も多いと思います。これも、前回ご紹介した写真とほぼ同じ場所から狙ったもので、新堀川土手から神宮前に向かって撮ったものです。こちらの高架化はかなり早い時期に行っていますね。新堀川の土手(橋梁)がかなり高い位置にありましたから、それを介して新しい高架橋を延長する感じで工事が行われていました。
その土手にも踏切があったのですが、今はどうなっているのでしょうか。それほど交通量もなく、道路にはなっていても只の『土手の天辺』といった感じのでこぼこ道だったと記憶していますが、ひょっとすると、今は車両通行止めになっているのかも知れません。

背後の『壁画』のビルも、今では建て替えられたのではなかったでしょうか。常滑線そのものは最近も乗車してはいますものの、この辺の『変化』に関しては疎いですね。当時としては結構斬新な感じがしたのですが、今、こうして写真を見ると、やはり『時代』を隠し切れないですね。特に、屋上の表示にはまんま『昭和』と言った感じですね。今や、名駅前の名物だった『大名古屋ビルヂング』の表示もなくなってしまいましたし…。

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2012年4月 8日 (日)

7700系+7000系白帯内海特急

M77007000休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この写真だけで場所が分かった方、かなりの名鉄通ですね。
高架橋工事がおおよそ完成して、下り線ももう少しで移転する感じですね。高架橋なのに、今でもほぼ変わらず『ツライチ』からこんな感じで撮れる場所、と言えばかなり絞られるはずですので、ご興味があれば探してみて下さい。

撮影年代は車両構成でおおよそお分かりだろうと思います。まだ1000系は構想段階。8800系が登場したての頃です。必然的に、当時の『特急車』は7000系・7700系の独壇場で、この頃になると本線に限らず、定期運用の特急に関しては、一応『白帯車』のみで運用できるようになっていたはずです。

河和線の特急(内海特急)は当時でもまだ6両が基本で、白帯車は4連・2連しかありませんでしたから、定期運用はこんな感じとなっていました。河和・内海行に関しては『展望席』が先頭になりますものの、犬山方面では折角の展望席が塞がれてしまう憾みがありましたね。とはいえ、当時の名鉄に『P6s』はどう見ても『使い勝手が悪い』(輸送力調整の出来ない)編成になってしまいますから、致し方なかったのですが…。
この当時に『P6s』を出していたならば、その後どのような変遷を辿ったか、などと夢想したりもしますが、もし、登場したとしても、結構『短命』に終わったことでしょうね、きっと。

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2012年3月31日 (土)

7700系白帯岐阜特急

M7700休日運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この写真は、見れば大体の撮影年がお分かりの方も多いと思います。この当時の本線特急(朝夕)はこんな感じでしたね。目敏い方は背景の方が気になってしまうのかも知れませんが…。

昭和57年から登場した『白帯車』はご存知の通り『6両固定』がありませんから、本線特急などで6両で使用する場合は7700系を『増結』していましたね。列車によって豊橋方・岐阜方が変わっていたのか私には不明ですが、当時は殆ど岐阜方に連結していたのではないでしょうか。(豊橋方への連結は見たことがありません)

写真を撮った数年後には『併結』特急が登場していますが、この当時にはそんなことは想像すら出来ませんでしたね。『併結』特急では必ず豊橋方に『指定席車』を連結していましたから、全先頭車が『白帯車』化した7700系が、このように岐阜方に付くことはありませんでした。『併結』化後も『全車指定席車』特急は数本残っていましたが、ラッシュ輸送用のP4s『重連』でしたから、この写真は『併結』運転開始前のものと、当時をご存知の方ならお分かり頂けるかと思います。

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2011年10月30日 (日)

7000系白帯豊橋特急

M7000_2ナンダカンダと週1回の更新となってしまい、すみません。お詫びにしては決していい写真ではありませんが、7000系も暫く出していませんでしたので、今回はこんな写真を選んでみました。

今からすれば「なんて勿体ない事を」と思われる方も多いでしょうが、当時はP車全盛期。6000系が徐々に勢力を増して来てはいましたが、名鉄車両のおよそ1/4がP車でしたから、当時は完全に食傷気味となり、この頃のP車は専ら『流し撮り』の練習台にしており、それもいい加減に流していたためにこんな感じで、殆どまともな写真が残っていません。(浜P/Mさんに叱られそうですが…)

当時の『白帯車』はご覧のとおり(と言ってもブレブレで確認しにくいですが)、種別表示部はごく初期にだけ見られた『板式』3点止めのもので、本当に『特』と『回』以外の表示しかありませんでした。早朝・深夜(特急以外からの折り返し運用)を除いて、本線特急は特急専用車(白帯車)のみで運行されており、それまで絶対に『専用車』は無理と思われていた名鉄だっただけに、実に思い切った施策を取ったものだと感心していましたっけ。

欲を言えば、従来車(7000系)の小改造でお茶を濁した感じでは…、などと思っていましたが、この『専用車』登場と完全な特急の『独立運用』を行ったからこそ、写真を撮った6年後に登場した本格的な『特急専用車』1000系へと繋がって行ったのですから、57年3月に行った特急政策の変更は『名鉄特急の新時代』を拓いたと言っても過言でない程の、実に重要な改正となっていますね。

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2011年4月24日 (日)

7000系犬山特急

M7000 休日運行を続けましょう。今回はこんな写真を選んでみました。これは7047Fでしょうか、毎度ながら不鮮明な失敗の流し撮り写真で失礼します。

この駅はお分かりですね。犬山検車区・東口の整備と共に大改造が終わった直後だったと思います。様変わりした犬山駅を、傍から見れば、もの珍しそうにウロついていた事でしょうね。白帯車改造もかなりの本数が出回った頃なのでしょうね、このとき目にした犬山特急も白帯車が多く使われていたと記憶しています。

昭和50年代は『近代化』が課題だった名鉄も、漸くこの頃になると『地方鉄道』から『都市近郊鉄道』への脱皮が完了しつつある頃でした。とは言え、まだまだ旧型車も残っており、今までとは逆に、それらの車両と近代的な駅や設備が段々とミスマッチを起こすようになってきた頃でもありましたね。

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2011年3月26日 (土)

6000系常滑競艇号

M6000 本当は4月1日ネタにしようと考えていたのですが、こんな感じでは当日に出来るか分かりませんので、前倒しで『エープリルフール』をしたいと思います。

この『常滑競艇号』はご存知の方も多いと思います。中部国際空港開業まで名鉄の重要な『収入源』になっていた特急ですね。晩年は8500系や1600系など『特急専用車』が充当されていましたので、さすがに系統板の掲出はしていませんでしたが、車内放送では必ず「前2両は『常滑競艇号』です」などとアナウンスしていましたね。

その昔は特急車も7000系などでしたから、当然それらが任に当たっていました。で、ごくたまに、特に『競艇客』が多いときには6000系も駆り出されて『常滑競艇号』として運行されており、この写真はその際のものです。っていうのは真っ赤な嘘ですから信じないでください(信じる方もいないとは思いますが)。

もう時効でしょうからネタバラシをすれば、偶々常滑駅で『常滑競艇号』の系統板を見つけ、駅長さん(多分)に系統板の写真だけでも、とお願いしたところ、折角だから違っていても車両に付けた姿をどうぞ、と粋な計らいを頂いたものです。
当時の名鉄、特に現場の方々は結構フレンドリーに接して下さり、願ってもみないことを結構積極的にして下さいました。

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2010年11月 9日 (火)

7000系白帯と8000系北アルプス

M70008000 思いっきり逆光の写真ですので番外編にしてみました(お見苦しい写真で失礼します ^^;;;)。
前回の『三河湾』号の後追いをと思って振り向けば、そこには『北アルプス』号が迫っていました。(と言えば、おおよその撮影時刻がお分かりかと思います)
逆光ならそれなりに撮ればいいのですが、やはり慌てたのでしょうね。千載一遇の機会だったのですが、モノにすることは出来ませんでした…。

そう言えば、先に7000系白帯車を『名鉄初の特急専用車』と書きましたが、この8000系を忘れていました。8000系は特殊用途(高山線乗入れ用)車ではありますが、れっきとした『特急専用車』でしたね。(それだけ、名鉄ファンにとっては別格の存在だった、と言うことでご勘弁下さい)

白帯車はご承知のように、後には高速・急行などにも定期運用で使われるようになったのに対して、8000系だけは誕生時から引退するまで、料金不要の列車には使われたことがありませんでした。8800系が登場するまでは名鉄唯一の『出入り台』(客室間仕切り)を持った車両でもありましたね。

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2010年11月 8日 (月)

7000系白帯三河湾号

M7000s 緑板特集の締めはこの写真にしましょう。これも正月ダイヤ中の写真ですから、白帯車が5編成きりの時代です。

本来なら、白帯車は全編成が本線特急専用の運用が組まれているはずですが、前にP6の豊橋特急の写真をご紹介した通り、正月ダイヤの場合も4連では不足だったのでしょうね。で、余った(?)白帯車を有効活用するために『三河湾』号へ回したのでしょうか。

白帯車のブックには予め特急で使うことの多いものが仕込んでありましたが、特急の場合は飽くまで全て『愛称名』となっていますから、当然『蒲郡』ではなく『三河湾』号となっていました。ですから、新岐阜行き特急も『岐阜』(号)表記のままとなっていましたね。

そう言えば、晩年は白帯車運用の代名詞にもなっていた『三河湾』号でしたが、必ずP板を付けていましたね。いつ頃から取り付けるようになったのか私には不明ですが、あれは行先表示(蒲郡など)が必要だったからだそうで、結局、ブックへの『愛称』表記は企画倒れに終わっています…。

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2010年11月 7日 (日)

7000系+7700系白帯豊橋特急

M7700s7000s ボケボケの写真ですみません。7700系が白帯化改造された具体的な日付は記憶にありませんが、この写真が初めて撮ったものです。記憶が確かであればS58年2月頃の平日夕方だったと思います。

普通に豊橋特急が4連で来たものと思っていたのが、何やら後ろに見たこともない変わった車両がひっついているのを発見して、慌てて撮ったものです。先にも書きました通り、平日夕方の特急は4連では輸送力(座席数)が不足するため6連で運行していましたが、7700系の2連が白帯化されて、本線特急もようやく終日白帯編成が入るようになりました。

翌年辺りからは、それまではP6で運行されていた河和・内海~犬山系統の特急も、このP4s+7Rs編成に変わっていきましたね。ただこの時に思ったのは、せっかくの展望席が7700系で塞がれることになる不安(不満)でしたが、今からすれば実に贅沢な『悩み』ですね。

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2010年11月 5日 (金)

7000系白帯岡崎特急

M7000s 『うなぎ』を期待したら『アナゴ』ばかり続く…と、浜P/Mさんが焦れるといけませんので、再び7000系をご紹介しましょう。

立体化工事はどこまで進捗しているのか、沿線から遠く離れた私には不明ですが、その前にバリアフリー工事やら、行先表示器の更新やら、何やら知立駅はこの所矢継ぎ早に変化が続いているようですね。撮影当時は行先表示もふた昔前の『行燈式』ですね。名鉄独自の非常に安直(安価)な代物なんですが、如何せん種別表示が4つまでしかなく、左端の上から順に『高速』~『普通』が並んでいました。では『特急』はと言えば、行先表示の右端に『特急(座席指定)』と縦書きの黄色味がかった札があり、それが点灯していました。本来は『黄板』に合わせた表示なんですが、この表示は『緑板』に変更後もそのままでしたね。

さて、写真の岡崎特急は今までもありました通り、飯田線の保守間合いの関係で岡崎打ち切りとなっていた特急ですね。この辺の基本的なスジは、保守間合いが解消されるまで大きな変化もなくそのままでしたね。

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