カテゴリー「e1.岐阜600V美濃町線」の33件の記事

美濃町線・複電圧車両関係

2012年6月17日 (日)

【御礼60000count突破】600形美濃行き接続新関

M0600週一の『間引きダイヤ』にも拘らず、皆様のご愛顧を頂いてお陰様で60000count突破を迎えることが出来ました。『お約束』(?)の6000系よりはもう一つのこちらを御礼に選んでみました。
この辺は『邪魔』な美濃町線がなくなって、左右の道路を道路拡張して一体化して見違えるような感じになっているのではなかったかと思いましたが、ちょっと記憶が曖昧です…。

当時は新岐阜~新関間が15分に1本のラウンドダイヤ、新関~美濃間は30分に1本だったと記憶しています。朝夕は880形でないと運び切れないお客さんも、日中は600形で十分だったのでしょうね。見た限りでは、600形と880形は半々程度の使用率だったと記憶しています。

写真は新関付近だったと思いましたが、軌道が専用化していますので雰囲気がちょっと違うものの、美濃町線が『軌道法』準拠の路線である理由がよくお分かりかと思います。ちょっと分かりにくいですが、系統板の右肩には『美濃行き接続』と書かれていますね。新関で590形の美濃行きに接続するスジと接続のないスジがあるための、名鉄では『おなじみ』の表記ですね。

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2012年5月27日 (日)

880形記念列車と590形【御礼59000count突破】

M0880592休日運行がどうも『週一運行』になってしまいましてすみません。そんな中にも拘らず、お陰様で59000coun突破と相成りましたので、取り敢えず今回はこんな写真を選んでみました。
『お約束』としては590形なんでしょうが、あいにく『在庫』にはこんな写真しか残っていませんで…。

今までにも何度かご紹介した880系デビュー当日の写真です。この駅は確か神光寺だったと思います。当時はまだ名鉄に『フリーきっぷ』は無く、普通に乗車券を買って出掛けていくより他なかったのですが、この写真は『便宜下車』を認めて貰い、対向車の待ち合わせ中に慌てて撮って、また同じ列車で美濃へと向かっています。

この当時の590形は既に美濃町線専用車になっていましたから、880形登場前までは、徹明町へ直通するスジが590形、新岐阜乗り入れは600形と『棲み分け』が決まっていたのですが、880形の投入によってそれが徐々に変化を見せていきましたね。
そういえば、590形は昭和32年製造ですから、名鉄にもカルダン車が投入された後ですね。名古屋市電などにもカルダン仕様の路面電車が登場していたのですが、制御器に多少『進化』は見られるものの、駆動関係は『釣り掛け式』のままでした。

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2012年5月 5日 (土)

870形日野橋ダラ

M08703GW中にも拘らず、結局土日運行と変わらなくてすみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処かお分かりでしょうか。
一見すると複線の『右側通行』をしているようにも見えますね。今までにも何度かご紹介したのでお気づきの方も多いと思いますが、徹明町の美濃町線停留所を丁度出たところです。

当時は日野橋で美濃行きと接続を取るダイヤが採用されており、徹明町~日野橋間を折り返し運転していました。美濃町線の『岐阜市内均一区間』は日野橋まででしたから、ちょうど、市内電車の運行と言ったところでしょうか。後に徹明町系統の折り返しは野一色に変更されていますが、日野橋まで運転してもあまり乗客がいなかったためと聞いています。
本音を言えば競輪場前で折り返したかったのでしょうが、さすがに競輪場前接続では乗客の安全が確保できなかったのでしょうね。

そう言えば、この徹明町~競輪場前間は当時でもそれほど乗客が多くなかったのですが、廃止すると岐阜工場が孤立してしまうため、最後まで維持していましたね。最晩年は30分に1本とおよそ『市内電車』とは思えないダイヤでした。
岐阜の繁華街と言えば柳ケ瀬や徹明町辺りの商店街が有名だったのですが、当時でさえ、新岐阜の駅前や名古屋へ出掛けるのが主流だったこともありますが、やはり、自家用車よりも時間の掛かる電車が敬遠されていたことが大きいようです。

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2012年4月22日 (日)

880形新岐阜ダラ

M0880休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はもう一つの600V線を選んでみました。ここは何処か、見る人が見ればお分かりですね。上芥見~白銀間の結構有名な撮影地でしたから、ご記憶の方も多いかと思います。

この辺りが、言うなれば最も『美濃電』時代の雰囲気を残していたのではないでしょうか。(さすがに道路は舗装されていませんが)
道路の片隅にある軌道、その昔(明治時代)の『路面電車』はそれが『標準』だったようですね。確かに郊外路線で単線を敷設する場合、わざわざ真中に敷設するよりも理に適っているように思います。国道沿いの区間もそうでしたが、路面軌道区間が舗装されていないのが何とも言えませんね。そんな路線が21世紀まで、曲がりなりにも残っていたのは奇跡に近いことでした。

写真は美濃町線の主力だった880形ですね。屋根上をご覧になれば、晩年の『冷房改造』後との違いがお分かり頂けると思います。当時はまだ770形の登場前ですから、600V区間の冷房化率は0%でした。よってカルダン車もこの880形が唯一で、暑苦しい『釣り掛け音』を響かせているのが普通の時代でした…。

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2012年4月 7日 (土)

美濃町線の600形【御礼56000count突破】

M0600休日運行再開です。何だか運休中にも拘わらず、ご愛顧を頂きまして56000count突破と相成りました。お礼としてこんな写真を選んでみました。

600形は言わずと知れた美濃町線の『ヌシ』でしたね。880形が登場した後は、ちょっと影が薄くなりかけましたものの、それでも600V全線廃止まで1両ながら残っていましたので、やはり『ヌシ』だったのではないかと思います。『鉄軌直通』の構想はよかったのですが、ちょっと『登場』が早すぎたのかも知れませんね。

さて、この600形は旧型車の車体更新、というよりは、廃車パーツの『寄せ集め』といった感じでした。写真で良くお分かりの通り、特に台車はその近代的な車体とは似つかわしくない代物を履いていましたね。よく、屋根上の『抵抗器』を『冷房機』(室外機)と間違えられていましたが、これは狭い床下スペースからはじき出された結果でした。
そういえば、不思議なパーツとして、扉横に2段設置された『サボ受け』でした。全く使用された形跡がなかったのですが、なぜか(それも2枚分)そのまま撤去もされずに残っていましたっけ。

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2011年12月 4日 (日)

880形就役記念列車【御礼49000count突破】

M0880x2248000countの前で足踏みしているなと思っていたら、ちょっと目を離した隙に何だかあっという間に49000countまで通り越しておりました。
お礼と言いましても、今までとそう変わったものではありませんが、今回はこんな写真を選んでしました。

ここはどこか、大方ご存知ですね。今でもなお『駅』として残って(?)いますから、訪ねられた方も多いのではないでしょうか。
とはいえ、管理されている方曰く「何かと『モノ入り』で、駅舎の維持は結構大変」とのこと。何にしてもそうですが、後々まで維持・管理するのは並々ならぬご苦労があるようです。
せめて足繁く通って、なにがしかの『貢献』ができればいいのですが、地元でない身の上ではなかなかそうも行かず、遠くから声援するくらいが私には関の山なのが何とも歯がゆい限りです。

さて、本題に戻ってこの写真は今までも何度かご紹介した通り、880形のデビュー記念の時の写真です。当時はまだ『2DAYフリー』などもない時代。今よりも運賃(賃率)はかなり安かったとはいえ、貧乏学生に美濃までの乗車券は結構値の張るものでした。
名鉄もここぞとばかり『一儲け』を考えたのでしょうね、左側の名鉄が自ら装飾した記念列車は、新岐阜での『発車式』後は美濃に留置したまま動かさずにあり、撮影するためにはここまで来ないといけないように仕向けられていました。

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2011年11月 6日 (日)

880形野一色ダラ

M0880休日になりましたので運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここも今は完全に『側線』化されて、この頃の面影を探すのも難しくなって来ていますね。そう言えば、後ろに聳える『PARCO』も今や更地と化して、以前に私が見た限りでは完全に『持て余し』ているような感じでしたが、新たなビル建設の計画があるのかどうか…。
この写真の頃ならば絶対に『有り得ない光景』を目にするに連れ、落日ぶりをいやがうえにも思い知らされるこの頃ですね。

さて、写真は『野一色』止まりですね。ちょっと写真では見にくいかも知れませんが、方向幕の上部には緑色で『美濃ゆき接続』と書かれてあります。880形を増備する前は、新岐阜乗入れができる『複電圧車』が不足していたため、確か交互に『美濃』行きと『野一色』止まりが出ていたと記憶しています。野一色で徹明町始発の『美濃』行きに接続を取っていた訳ですが、これより少し前には日野橋で接続を取っていたはずです。

880形はご承知の通り、美濃町線近代化の『総仕上げ』として一挙10両(5編成)が投入されたのですが、当時は複電圧仕様の『冷房機』がなかったために、いわば『名鉄標準』だった冷房を搭載しない新車でした。当時は今ほど暑くはなかったとはいえ、やはりこれが『致命傷』になってしまったように思います(後年に600V区間のみ冷房化されていますが)。

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2011年5月 5日 (木)

880形岐阜ダラ

M0880 休日運行も『間引きダイヤ』ですみません。880形はそんなに出していなかったようですので、今回はこんな写真を選んでみました。今までにもご紹介していますが、これは880形が登場した時のものです。

美濃町線の『ヌシ』と言うと、どこに重きを置くかで恐らく3通り以上の『答え』が返ってくるのではないでしょうか。ある人はその歴史的経緯から510形を挙げるでしょうし、またある人は『鉄軌直通』の立役者である600形を推すでしょう。或いは、ほぼ美濃町線専用車として、その生涯を終焉まで共にした590形を挙げる人もあるかもしれませんね。
そして、美濃町線で最大両数を誇って『近代化』を強力に推し進め、最後まで主力として活躍した存在として880形があり、私個人としてはこの形式を推したいと思います。

こうやって見ると、美濃町線は多士済済でしたね。これらに加えて、実にユニークな経緯を辿った870形や、短命に終わったものの『名鉄版LRV』として登場した800形と、各車とも実に個性豊かな車両達が、この美濃町線に集まっていました。先日の記事で、岐阜の行政が『美濃電』乗っ取りを根に持って、名鉄に『冷たい仕打ち』をしていた『噂』に触れましたが、ひょっとして名鉄社内でも、廃線に至るまでその『後ろめたさ』があったのか、などと下衆の勘繰りをしたくなってしまいます。(飽くまでも根拠のない私見に過ぎませんが…)

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2010年12月20日 (月)

870形徹明町ダラ

M0870 もう一枚、同じ日に撮った写真をご紹介しましょう。再び美濃町線の写真を選んでみました。確か北一色付近だったと思います。

870形は当時、徹明町~新関・美濃間の運行でしたね。この当時の徹明町~競輪場間はまだ15分に1本あったころではないでしょうか?晩年には30分に1本にまで減っていますが、そこまで来ると『市内線』としての機能は殆ど失われてしまいました…。

そう言えば、北一色は停留所ではなく『駅』扱いでしたね。一応、道路脇には駅舎もあり乗務区も併設(?)されていました。軌道線の駅舎としては徹明町が有名で、あちらは立派なビルに建て替えられていましたが、北一色はいかにも年季の入った木造の建物でした。晩年には取り壊されてしまっていたのではないでしょうか?

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2010年12月18日 (土)

600形徹明町ダラ

M0603 下回りの切れた写真で失礼します。今回はこんな写真を選んでみました。ご覧の通り望遠で狙ったのですが、対向する自動車からでしたのでちょっとずれてしまいました…。(ネタ切れ気味ですみません)

撮影場所は確か北一色付近だったと思います。言わずと知れた600形は新岐阜乗入れ用の複電圧車だったのですが、880形の登場で新岐阜直通車にも余裕が出たのでしょうね、この写真の頃にはこんな仕業も見られました。
初めて見たときは、市内専用の590形が工場入場中などの代用かとも思ったのですが、この時期には幾度か目にしていますので、多分、定期で600形の『市内運用』があったようです。

それにしても、見れば見るほど馬面ですね。余談ながら、全国的にみると『転換クロス』の軌道線車両は異例中の異例ですが、登場(昭和45年)当時は全車両の『2扉クロス』化計画を最も積極的に推進している時でしたから、例え軌道線直通車といえども『新車』がロング車では絶対に『社長決裁』が下りなかったのでしょうね、きっと。

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