カテゴリー「e3.瀬戸線600V時代」の38件の記事

600V時代の瀬戸線・車両関係

2012年12月16日 (日)

瀬戸線時代の703号

M0703休日運行を再開致しましょう。
今回も70000countにちなんで、こんな写真を選んでみました。703号と言えば、揖斐・谷汲線で活躍していたのをご記憶の方も多いかと思いますが、その前にはこの通り、瀬戸線に所属していました。

喜多山の風景は一変してしまいましたね。もう少しすると2面4線の『緩急接続』可能な駅として面目を一新するようですね。写真の背後に写っているビルも解体されて、今は仮駅で営業中のようですね。
『新』喜多山駅は元々この喜多山分工場があった場所にできるようですから、若干瀬戸寄りに移動するようですね。

さて、この703号は揖斐・谷汲線に転属後の写真も何度かご紹介していますね。瀬戸線時代に既に『片運化』されていましたので、2320形が欠かせない存在でした。
転属後も引き続き『相棒』と一緒だったのですが、忠節止まりの列車を市内線直通化する目的で登場した780形と入れ替わりに『引退』していますね。何でも、しっかり(根こそぎ)運転台機器を撤去していたために復活が難しかったようで、運転台の復活が容易だった750形が『単行運転』に使われるようになったためでした。

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2012年11月11日 (日)

3700系土居下準急

Hl3708週一運行の再開です。今回も600V時代の瀬戸線をご紹介致しましょう。そう言えば、瀬戸線も4000系の増備がかなり進んだようですね。この写真の頃の面影も段々となくなって、もう数年すると銀一色の『純通勤路線』と化すのでしょうね。
(今でも完全な『通勤路線』ですが)

当時も一応は『通勤路線』だったのですが、それよりも瀬戸~名古屋の『都市間連絡』の方が重視されていた感じですね。ですから、当時の急行(S52年以前の『特急』)は大曽根を出ると三郷のみに停車して、ひたすら瀬戸を目指す感じで走っていました。
(とは言え、所要時間は現在と変わらない程度でした…)

写真の3700系は当時の瀬戸線では『最新鋭』車両と処遇されていましたが、実は、他車(900形・700形など)はいわゆる『AL制御車』だったのですが、この3700系のみHL制御のままでした。もともと900形はHL制御車で、この3700系に制御器を譲っているのですが、巡りあわせとは面白いものですね。

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2012年11月 4日 (日)

3700系土居下特急と大曽根ダラ

M37083706週一運行を再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、今までにも何度かご紹介していますので、お分かりですね。今は僅かに『遺構』が残っているようですが、この写真に撮った辺りは当時とは逆に、ホームの終端(栄町寄り)付近になっているようですね。

当時の尾張瀬戸駅は『貨物駅』の一角に『旅客駅』がある感じでした。『せともの』関係の輸送はトラック輸送が主流に切り替わっていましたものの、まだまだこの頃はそれなりの取扱量があったようで、瀬戸~大曽根間の貨物列車も定期で設定されています。とは言え、この頃から急速に貨物の輸送量が減少して、スジは設定されていても『運休』となる日も増えていったようですね。

駅舎は現存するとは言っても特に何も使用されていないようですが、当時は2階の食堂もまだ営業中で、昭和初期を感じさせる佇まいでしたっけ。ただ、今ではそれなりに持て囃されている『昭和レトロ』ですが、当時はただ単に『過去の遺物』としか認識されていなかったせいもあって、それから程なくして『閉店』の憂き目に遭っています。今、それなりに整備して『復活』させれば、結構な人気店になることでしょうが、何せ30年以上も営業していなければ、そうおいそれと『復活』は出来ないでしょうね。

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2012年8月26日 (日)

3700系大曽根ダラ

M3706このところ更新が滞りがちですみません。今週は何とか週1運行を再開出来ました。
今回も、前回に引き続いて『瀬戸線HL』特集で参りましょう。
ここは何処か、これだけでお分かりの方は相当な『瀬戸線通』ですね。今までに出している写真の中にもヒントはありますから、過去ログをご覧になれば、多分お分かり頂けるかと思います。右側に僅かに写った貨車がキーポイントですね。

瀬戸線でHL車で使用した『系統板』(行先板)が先ごろ話題になりましたが、この板も登場はしていませんね。
そもそもHL車と言っても、今の若い人には精々最晩年の3780系位しか知らないでしょうから、この3700系の写真はさしずめ『太古の昔』になってしまいそうですが、私に取って『思い出の瀬戸線HL車』と言えば、この車両になってしまいます。栄町開業後は瀬戸線から遠ざかってしまったこともありますので…。

当時は土居下(仮)駅折り返しの関係で、ダラに限らず頻繁に『大曽根止まり』が運転されており、これもその1枚です。
堀川・大津町の『お濠区間』廃止前まではそれほどなかったように記憶していますが、名城線の全通後は大曽根乗換の乗客も増えていましたから、いわゆる『段落ち』もあっての設定でしょうね。
栄町開業後は当然のことながら、全て『栄町行き』となりましたので、大曽根止まりは消滅しています。

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2012年5月13日 (日)

土居下(仮)駅の3700系瀬戸急行

C2708休日運行も『運休』がちですみません。今回はこんな写真を選んでみました。ここは、今までにも何度かご紹介していますのでお分かりですね。
土居下(仮)駅は、瀬戸線の『お濠区間』が廃止されたS51年2月から栄町開業のS53年8月まで約2年半のみ存在していましたね。飽くまで『仮駅』ですから、本当に『安普請』な感じでした。

名鉄としては当初、清水駅までで『暫定営業』するつもりだったのですが、瀬戸線で県庁・市役所への通勤者や用務客も結構あったことから、急遽、(旧)土居下駅になるべく近くまで『暫定営業』区間を伸ばして、代行バス利用をせずとも県庁・市役所へ行けるようにしたものです。
休日の日中しか見たことはありませんが、確かに少なからず代行バスには乗らずにそのまま歩いて何処かへ向かう人も多く、私が見た限りでは、代行バスの利用者は土居下での降車客の半数にも満たない(1/4~1/3くらい)感じでした。

写真は3700系ですね。600V時代でも最晩年の写真ですので、既に『赤一色』化されていますね。当時の600V車両の中にいると『大型車』に見えまね。継ぎ目のない鋼製車体も唯一であり、瀬戸線の中では十分に光って見えました。面白いもので、本線に戻されてからも同車を何度も目にしていますが、完全に他のHL車の中に埋没してしまいましたね。強いて言えば、本線系の車両よりも状態が良かった(無理をしていなかった?)ために、3700系の中では『長生き』でした。

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2012年2月26日 (日)

750形喜多山ダラ【御礼54000count突破】

M0759一週飛ばしてしまい、失礼致しました。にも拘らず54000count突破を頂き、有難うございます。ネタも切れ気味ですので、今回はこんな写真を選んでみました。
ここは、今までにも何度かご紹介していますが、若い方にはもう馴染みが薄くなってしまっているでしょうね。(私からすると、つい最近までこのままの姿だった気がしているんですが…)

既に閉鎖・取り壊しになって久しいですね。高架化工事はかなり進捗しているのでしょうか。尾張旭検車場が出来る前まではこの喜多山検車場が瀬戸線の重要な基地となっていました。当時は『新川工場喜多山分工場』というのが正式名称で、組織上は新川工場に属しており、大規模な改造・改修工事や全検・重検の際には新川工場から係員が応援に来ていたようです。

さて、写真のモ759号は750系の最終増備車ですね。他の750系よりも車体長が一回り大きくなり、歯数比も高速仕様になっていました。同時増備の760号は一足早く廃車されて、1両だけ異端車として平成まで生き延びていますが、ひょっとしたら、揖斐・谷汲線へ転属の際に、他の750系と性能を揃える改造を行っていたのかも知れません。

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2011年8月 7日 (日)

3700系土居下準急

M3700引き続き休日運行を続けましょう。
とは申しても、あまりいい写真が残っていませんので、今回はこんなブレブレの写真でご勘弁下さい。(その当時の雰囲気は、それなりにお伝えできるかと…^^;)

前回の続きではないですが、この写真もよく見ると不思議な編成を組んでいますね。これは、時折検査の関係で臨時に『片割れ』同士を編成したもので、車両不足を解消する目的がありました。900形と3700系はHL車同士ですから、こんなことも可能でした。って言うのは全くのデタラメですから、決して信じないで下さい。

900形のタネ車である、知多鉄道の910系は元々HL車だったのですが、この制御器は3700系列へ『供出』していますね。で、瀬戸線で再び電装する際には、確か600形(初代)の機器を使用(流用)したはずですので、曲がりなりにも『AL車』となっていました。ですから、700形・750形と総括制御は可能(実際には見ていません)でしたが、HL車である3700系とは連結不可でした。従ってこの『編成』も、昨日ご紹介した写真と同様、一時的に留置しているものと思われます。

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2011年8月 6日 (土)

2300形瀬戸急行と6600系

C23026600休日運行を続けましょう。ネタ切れ気味で再掲写真になりますが、何卒ご容赦下さい。ここは既に更地になって結構経ちますね。
建屋内のピット部分だけは手付かずのまま残されていましたが、今は高架化工事でそれも撤去されたのか、私には不明です。

写真をご覧になれば、600V時代の最晩年のものとお分かり頂けるかと思います。まだ廃車は出ていないものの、当時は手垢ひとつない(?)まっさらな新車だった6600系の処遇が口の端に上る時代なんですね。冷静に考えれば、6600系も既に『30年選手』なのですから不思議でも何でもない話ですが…。

さて、写真をご覧になって不思議に思われた方もあるかと思います。写っているク2302号は、相方のモ902号と共に600V終焉まで白帯を巻いた車両でした。が、この『編成』の奥に写っている車両には白帯がありません。当時はそんなことに気付かず、ただ漫然と撮っていただけですので記録はありませんが、これは多分、検査の関係で『編成』がバラされていたために起こった一時的な『現象』ではないかと思います。(確実に最後まで902号も白帯を巻いていました)

余談ながら、瀬戸線の『逆さ富士』では、運用中に『瀬戸』表記は滅多に出していませんので、これもまた車庫ならではのものと言えます。(誰が変えたのか、訪問時には既にセットされていました)

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2011年7月23日 (土)

2300形瀬戸⇔土居下ダラ

C2301 休日ダイヤを進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、お分かりでしょうか。今も基本構造は変わっていなかったと思いますが、僅かに写る構内踏切は跨線橋に代わるなど、結構見た目は変わっていますので分かりにくいかも知れませんね。

この2300形は瀬戸線の『特急車』として君臨していた車両ですね。特急運転開始当初はこの2300形3本のみが900形(1~3号)と組んで、ご覧のように前面には『逆さ富士』、そして『名鉄特急の象徴』ともいうべきミュージックホーンを装備して、真っ赤に塗られて登場しています。写真はその当時のもの、であればいいのですが、正直に白状すればそれから10年ほど後の姿です。この頃から名鉄車両の『あまねく赤一色化』が始まり、2300形でも白帯を消され始めていました。

2300形は元愛電の特急車電7形の後の姿ですね。兄弟の2320形は揖斐・谷汲線にも結構残っており、瀬戸線昇圧後も2両(2323号・2326号)は転籍していったのですが、この2300形と残りの2320形はあっさり廃車されてしまいましたね。特に2300形はクロスシートでしたので、何だか勿体ない思いでその『処分』内容を聞いた記憶があります。(多分、車体など結構傷んでいたのでしょうね)

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2011年1月23日 (日)

大曽根駅のデキ200形とDD13型

Dk201dd13 今回はちょっと趣向を変えて、こんな写真を選んでみました。600V時代の大曽根駅では国鉄(当時)と貨物の受け渡しをしていました。

国鉄側の貨物受渡し線は非電化でしたので、ご覧のようにDD13型が牽引して大曽根駅まで貨車を持ってきていました。この時は国鉄⇒名鉄のみの貨車引渡しでしたが、同時に『受渡し』をすることもあるのか、別々のスジが設定されていたのかは私には不明です。(恐らく別スジではないかと…)

以前にデキ202号機が単独で大曽根駅まで回送されてきた写真をご紹介しましたが、その際に渡された貨車が、この写真でDD13型が牽引しているものでした。全部は写っていませんが貨車は5両程度と短かった記憶があります。
その後に、デキ201号機が連結している貨車を引き渡すとばかり思っていましたら、ご覧の通り完全に寝たまま動こうとはせず、そうこうしているうちにDD13型もどこかへ引っ込んでしまいました。

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