カテゴリー「e2r.岐阜600V鉄道線」の45件の記事

600V揖斐線谷汲線・車両関係

2012年9月30日 (日)

手動扉の750形

M0752_2週一運行の再開です。今回はこんな写真を選んでみました。これだけで何処か判った方は『揖斐線通』ですね。車両とは似つかわしくないほど近代的なホームはここだけでしたから、その点に注目すると答えが出てくるかと思います。ちなみに、今では『遺構』を探すのも一苦労になっています。
この駅ではホームの端から先頭車が撮れなかったためにこんな写真になったのですが、何が幸いするか分かりませんね。(ちょっと大袈裟ですが…)

さて、何でこんな中途半端な写真をご紹介するかと言えば、ちょっと分かり難いかも知れませんが、扉付近をご注目下さい。晩年と変わった点がお分かりでしょうか?
手前の方が大きく映っていますが、ピントは中央扉に合っていますからそちらの方が分かり易いかも知れませんね。扉に取っ手と鍵が付いているのがお分かりでしょうか。そうです。この時代の扉はまだ『手動』のままでした。

この当時でも、瀬戸線に居た700形・750形は既に『自動扉』化していましたから、揖斐・谷汲線に居た車両は、より原型に近かったことになります。到着時は乗客が勝手に扉を開けるのですが、発車の際には車掌が全ての扉を確認し、開いている扉を閉めて、鍵も閉めて回っていました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年9月 9日 (日)

【700回記念】往年の黒野駅、遠景

Photo週一運行を再開致しましょう。今回も前回に引き続いて、こんな写真を選んでみました。丁度、前回の写真の反対側から撮った感じですね。770系がちらっと写っていることからお分かりの通り、前回の写真から7年くらいの時を経ています。

黒野駅は一般には2面3線の駅として認識されていますが、揖斐線の黒野~本揖斐折り返しが入っていた1番線の、その奥にもホームが見えていますね。私が黒野駅へ通うようになった時には使われなくなって結構久しい感じでしたので、恐らく、開業後そう経たない頃から既に使われなくなったように思います。

画面奥に見える750形は『ワンマン』仕様になっていますね。確か、770形導入と同時に大々的なダイヤの見直しと合理化が行われ、その時から基本的に市内線直通は黒野止まりとして、揖斐線末端区間と谷汲線が『系統分割』されたはずで、谷汲線は基本ダイヤが1時間に1本へと減らされています。
この頃から『全線廃止』まで基本的な変化は少ないですね。つまり、770形導入時点で名鉄の『打つ手』がほぼ尽きてしまったことを示していることにもなります。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年9月 2日 (日)

700形黒野ダラ

M0703週一運行の再開です。9月に入っても、まだまだ暑い日が続きますね。という訳で、今回はこんな写真を選んでみました。この写真で、少しでも涼を感じて頂ければ幸いです。

ここは、今までに何度となく出していますのでお分かりですね。黒野駅の3番ホームだけはこのように車両交換を行うためもあって、中型車ながら4両が直列に停車できるようになっていました。
これは定期の車両交換だったのか、雪によるものだったのかは不明ですが、旗の前(写真では撮影側)には2両編成が停車しており、列車は谷汲から直接到着したものですが、場内の『入換信号』に従ってホームへ進入していることになります。

谷汲の『雪』も有名ですが、その手前の黒野でも雪の量は減るものの、結構しっかりと積ることも珍しくありませんでしたので、谷汲線だけに限らず、冬季は揖斐線の維持も結構大変だったことが想像できました。
横に写っている750形(多分755号)は『ラッセル仕様』になっていますね。最晩年には定期列車にもそのまま入っていましたが、当時は確か、そのままの格好で営業列車には入れていなかったと記憶しています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年7月29日 (日)

2320形谷汲ダラ

C2327_2先週は『突発休』となってしましましたので、2週間ぶりの再開です。それにしても暑い日々が続きますね。その昔よりは涼しさもあまり感じなくなったような気がしますが、それでも、谷汲まで来ると『風』が変わりますね。
谷汲駅は今も保存車両とともにそのままありますものの、生気が失せた感じは否めませんね。何も無くなってしまうよりはいいんですが…。

晩年は750形の単行が往き来していた谷汲線ですが、当時はまだ単行は殆どなく、700形も750形もこの2320形を連結した2両編成が基本でした。ただ、相方は決まっているような決まっていないような感じだったと記憶しています。検査などは1両単位で入ることもありましたから、その関係もあったのかも知れません。

2320形はご承知の通り、旧愛電の『電7型』3200形の電装解除したものですね。そしてその電装品は、これまたご承知のように、3700系に転用されています。晩年は完全なローカル運用だったのですが、その『面構え』には往年の風格がまだ残っていますね。2320形になって以降、それぞれ若干改造されたりもしましたので、それこそこの2327号のような差異は1両毎にありました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月10日 (日)

黒野に佇む520形

M0522週一運行を再開致しましょう。前回に引き続いて、今回はこんな写真を選んでみました。
770形登場で『余剰廃車』となった520形ですが、これはその直後のものです。黒野にいる状態ですから、まだ車籍等はそのままだったかも知れません。

そう言えば、520形は全車がそのままの形で売却していますので、解体処理を免れていますね。精々が、岐阜工場で塗り直しをして、写真にある『広告看板』を外す程度のものだったと記憶しています。中には『下駄を脱いだ』車両もあったようですが、台車は予備品として名鉄が持っていたのか、売却先が処分したのかが私には不明です。(名鉄が持っていたとすれば、仮台車としてでしょうが…)

この520形と510形の相違点とすれば、正面のR部分にまで突き出た台枠ですね。登場時から暫くは排障器を付けていた名残と記憶していますが、木造車の宿命として、万一の衝突時に車両同士が食い込まないように、丈夫な台枠を前面にまで出していたこともあるようですね。終戦前後のどさくさで『丸窓』が撤去されてしまったために、510形の陰に隠れて何となく存在感に欠ける車両でしたが、木造車にも拘らず、六十余年一貫して第一線で活躍したことは、十分特筆に値する車両だったと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月 3日 (日)

770形岐阜急行

M0770何だカンダと言いつつ、休日運行がすっかり『週一』に戻ってしまいましてすみません。毎度脈絡はありませんが、今回はこんな写真を選んでみました。
770形は当ブログ初登場ですね。言うなれば880形の『揖斐線版』ですが、10年近い『時代差』がありますので、冷房は当然の装備となっていますね。尤も、880形のときは財政状況が逼迫していたのが『原因』ですが…。

この頃からでしょうか、日本がこぞって『アワ踊り』を始めるのは。名鉄がどの程度その『余禄』に与ったのかどうかは不明ですが、車両を見る限りではこの頃から積極的に『車両』への投資を行っていますから、結構『金回り』はよかったのでしょうね、きっと。
これより数年前には、漸く名鉄の『特殊性』が認められて、大手横並びの『運賃値上げ』から単独での値上げが認可されていますね。それも『収益改善』には結構有効だったようで、経済の好転と併せて、名鉄の懐も結構あったまったのではないかと思われます。

770形にはパンタが2台装備されていますね。もちろん母線は引き通されていますので、個別にパンタは必要ないのですが、これは『霜取り』も兼ねてのものですね。名鉄らしいと言えば、この頃の主流は『インバータ制御』になりつつあったのですが、そこまでの投資はできなかったようで、制御器は実に一般的な『抵抗制御』を採用していました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年4月21日 (土)

2320形谷汲ダラ

C2326休日になりましたので、運行再開致しましょう。今回はこんな写真を選んでみました。ここは何処か、大方お分かりだろうと思います。最晩年はここでの離合を目当てに大勢のギャラリーで賑わいましたね。谷汲線で唯一の交換駅と言えば、言わずと知れた北野畑ですね。当時はまだ30分に1本が運転されており、ここ北野畑での交換も珍しくありませんでした。

写真は旧愛電が豊川乗り入れ時に登場させた電7形の晩年の姿、2320形ですね。ちなみに、この時に乗り入れたのは現在のJR豊川駅です。愛電の旅客車両としては最後まで残った同形ですが、登場時はまさか宿敵名岐の車両に牽かれて、こんな鄙びたローカル線を走ることになろうとは、想像だにしていなかったでしょうね。

さて、このク2326号はもともと瀬戸線からの転属車ですね。瀬戸線でも700形に牽かれていましたので、ここ揖斐・谷汲線でもそのまま活躍しています。ちなみに、愛電車両の殆どが制御車(付随車)として残っていたのは、制御方式の関係ですね。愛電車両の殆どがHL制御でしたので、AL制御を採用していた名岐車両を電動車として生かし、愛電車両は制御車に改造(電装解除)されていました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年1月 1日 (日)

520形谷汲急行

M0525謹 賀 新 年
旧年中は当ブログをご愛顧賜りまして、誠に有難うございました。
本年も何卒宜しくお願い致します。

さて、新年第1号はこの写真から始めたいと思います。
現在の『谷汲山』はどんな感じなのかよく分かりませんが、当時はご覧のように、正月臨時ダイヤでは新岐阜~谷汲間に急行が設定されて、参詣客輸送に当たっていました。通常ダイヤでは『揖斐急行』のスジが丸々『谷汲急行』に変わっていましたので、この期間だけは黒野~本揖斐間が折り返しで接続する運用でした。

もっとも、この頃の『谷汲山』は自家用車で行くとなると、当時としては結構激しい渋滞が待ち構えており、駐車場も今より限られていましたので、目の前に見えていても中々辿り着けない感じでした。増してや、このように雪が降ると、いわゆる『山道』が続いていた旧道ではチェーンがないと難しく、確実に着く電車での参詣客が増えていたようです。ただ、谷汲駅からだとかなり歩くことになりますので、それが『玉にきず』でした…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年12月18日 (日)

【御礼50000count突破】510形揖斐⇔新岐阜急行

M513皆様方のご愛顧を頂きましたお陰様で、当ブログも50000count突破の節目を迎えることができました。と来れば『お約束』(?)の5000系なんでしょうが、新旧ともに適当な写真がありませんので、今回は510形でご勘弁下さい。

ここはどこか、名鉄好きの方ならお分かりですね。今も一応は、往時の面影を残したまま『保存』(?)されているようですが、赤錆びた線路に『主』のいない駅舎・ホームと車庫がぽつねんと残されている様子は、却ってうら淋しさを感じさせるだけで見るに堪えないものでした…。
何か計画があるのかどうか、名鉄が一体何を考えているのか、皆目私には見当もつきませんが、もし、何等かの形で『保存』を考えているようならば、早急にアクションを起こさなければ『朽ち果て』てしまう危険性が増すばかりですね。(私が見た時点でも半分そうなりかけていましたが…)

30年以上前に撮ったこの写真当時でさえ、駅舎やホーム上屋といい、写真にもある黒野分工場の建屋といい、結構『来て』いる建物ばかりで、よく言えば、それらと510形をはじめとする美濃電・旧名古屋鉄道の『生き残り』である車両群とが、まるでレトロなジオラマのような感じで展開していましたね。この雰囲気が、ファンにとっては堪らなかったのですが、冷静になって考えると、昭和一杯はおろか、平成に入っても暫くはそう変わりない風景が展開されていた訳で、全く以て『大手私鉄』らしからぬ雰囲気を漂わせていましたね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年10月 7日 (金)

岐阜工場の703号【御礼44000count突破】

M0703間引きダイヤ中にも拘らず、皆様方のご愛顧を頂いて44000count突破を迎えることが出来ました。御礼に相応しいものを、と散々探しましたが、こんな写真でご勘弁下さい。

ここは何処か、大方ご存知ですね。703号が入場中の模様ですが、この『入場』はまさしく『初入場』のものです。散々『使い古し』た古豪を捕まえて、「一体何が『初』なのか?」と訝しむ方も多いでしょうね。でも、今までの記事をご覧いただいていればおおよそ察しがついていると思います。そうです。岐阜工場に初入場した際の写真です。

この703号は600V時代に瀬戸線で活躍した車両ですね。瀬戸線在籍当時から『赤一色』化されていましたので、このまま揖斐・谷汲線へ持って行ってもよさそうですが、詳細は聞き逃したのか全く記憶にありませんので不明ですが、それなりに『受け入れ準備(整備)』をしないと入線できなかったそうで、取敢えず、岐阜工場の一角に待機させられて『順番待ち』をしていました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧