カテゴリー「n.旧国鉄・JR」の29件の記事

旧国鉄関係(JRはそのうち)

2012年7月 1日 (日)

クモハ54形と80系

5480週一運行の再開です。今回もちょっと趣向を変えてこんな写真を選んでみました。旧国は何分『門外漢』なんですが、飯田線の旧国たちはそれでも魅力的でした。当時は名前も何も分からずに撮っていますので、貴重かどうかの判断も付かないままで  したが、今見ても『味』を感じさせる車両たちですね。

隣に写っている80系も、言うなれば『旧国』の範疇に入るのでしょうが、雑多な『旧国』を置き換えるために、東海道線系統から転属してきたものですね。半鋼製車体が殆どの旧国に比べれば、全金製の80系は十分に『近代的』に見えました。面白味は、確かに薄まっていしまったきらいはありますが…。(80系に完全置き換え後の写真がないことからも、それが分かります)

さて、80系の隣の『旧国』はどうやらクモハ54形のようですね。今ではネットで検索を掛ければそれなりに資料が出てきますので、何とか分かった次第です。確か『半流』と呼ばれていた形式ではないでしょうか。この辺は『門外漢』の悲しさで詳細は不明ながらも、何とも言えない『雰囲気』を持った車両ですね。基本は国鉄嫌いだった私も、飯田線を走っていた『旧国』だけは惹かれるものがありました。

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2012年3月24日 (土)

新幹線0系の車内

0休日運行の再開です。前回に外観をご紹介しましたので、今回はこんな写真を選んでみました。
これが、世界に冠たる『SINKANSEN』の車内です。当時はこんな感じの実に『チープ』な車内でした…。(今の車両とは比べ物にならないですね)

前回の記事でも書きました通り、当時はまだ『転換クロス』車も多数残っており、漸く『ひかり』の指定席が『簡易リクライニング』改造を終えようかという頃だったと記憶しています。183系からだったでしょうか、悪名高い『簡易リク』ですが、新幹線のは確かストッパーがついていたと記憶しています。

この写真の『転換クロス』とどちらに人気があったかは人に拠るのでしょうが、3人掛けは回転しないため、必ず半数が進行方向と反対側に『固定』されているので、そこの席は確実に不評でしたね。特にB席は『バックのB』と友人が呼んで、今でいう『負け席』(はずれ席)の代表格でしたね。また、写真にもある車端部の席は壁との間隔が今よりもかなり狭く、壁の圧迫感とともに相当窮屈でした…。

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2012年3月20日 (火)

国鉄 新幹線0系

0今日も休日(祭日)ですので、運行再開と参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。
ここは何処かちょっとうろ覚えですが、確か小田原だったと思います。今でも大きくは変わっていないはずですから、見る人が見れば、しっかり分かるのだろうと思いますが…。

先日の『引退興行』(?)で100系も300系も引退しましたが、写真の当時はもちろん、影も形もありません。(100系の影くらいはあったのかも知れませんね)
200系は登場後ですが、それでもなお『新幹線』と言えばこの0系が代名詞でしたね。『ひかり』編成には『簡易リクライニング』の車両が多数を占めていたと思いましたが、まだ『こだま』編成には『転換クロス』も多数残っていたはずです。3列シートが回転できなかった事を知らない世代も増えましたね。
天下の『東海道新幹線』でさえ、シートは実に貧弱なものでした。

今思えば、この4半世紀の間の変化は実に劇的ですね。
同じ『新幹線』とは呼べない程に、当時と今とではあらゆる面で違いますね。技術や旅客設備の進化は目を瞠るばかりですが、それでも、当時の良かった面といえば、原則として『ひかり』には食堂車が、利用客の少ない『こだま』でさえ、しっかりビュッフェが営業していたことですね。

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2012年1月29日 (日)

往年の国鉄名古屋駅

58週一運行の再開です。今回も前回に引き続いて国鉄時代の名古屋駅で撮った写真を選んでみました。毎度なんの変哲もない写真ですが、当時の雰囲気を味わって頂ければ幸いです。

それにしても、今こうしてみると『空が広い』ですね。西口の方は新幹線開業後もそんなに『開発』が進まず、この写真の時代はさすがに終戦直後建てたようなバラックは姿を消していたものの、それでも昭和30年代の雰囲気を色濃く残す町並みが続いており、これが、名古屋を称して『白い街』と言わしめた元凶ではないか、などともいわれていましたっけ。それが、バブルの頃からでしょうか、雨後の竹の子の如くビルが建ち並ぶようになって、今では随分と『空』が狭くなってしまいましたね。新幹線の車窓から見た『名古屋』の印象が良くなったのは確かなようですが。

国鉄時代の名古屋駅は、ご覧のとおり、なんとなく『のんびり』した雰囲気が漂っていますね。当時の近距離輸送はまさに名鉄・近鉄の独壇場で、名古屋人が『名駅』(国鉄名古屋駅)に用事があるときは遠出をするとき、と相場が決まっていました。今では近距離客も普通にJRを選択する時代ですから、完全にイメージが変わってしまいましたね。

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2012年1月22日 (日)

国鉄381系と73系

4週一仕業を再開致します。今回は名鉄ネタから離れてこんな写真を選んでみました。
当時は『しなの』が381系化されてそれほど経っていない時期で、まだ少数(1往復程度?)ながらも、キハ181系のスジが残っていた時代ではないかと思います。

我々の世代では特急車の『JNR』マークは非常に馴染み深いもので、先頭車の側面には必ず付いていましたが、JR化後に外された直後は何だか殺風景な感じがしました。『分割民営化』直後、車体に貼り付けた『JR』マークはまさに『取って付けた』感じがしていましたね。中央(西)線の381系は最後までこの色を保っていましたが、他の特急車が塗り替えられて珍奇な色に変わっていくのを見て、国鉄時代の塗装は確かに派手さがないものの、この塗り分け以上のデザインは無かったように感じたものでした。(単に、他社のセンスが問題だったのかもしれませんが…)

手前の73系は戦後の国鉄・私鉄を問わず、その後の通勤車に多大な影響を与えた形式ですね。とはいえ、運用側の最も楽な『詰め込み』設計を極限まで追求した車両でしたから、言うなればその後遺症(?)が、今でもJR・私鉄(特に関東)各社に色濃く残ってしまいました。
名鉄が枇杷島のカーブ問題で早々に63型を放出したのは、車両定規を変更する機会を失った『副作用』を残したものの、戦前から拘った『転換クロス』の文化とは真っ向から対立するものでしたから、ある意味『必然』だったのかも知れませんね。

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2011年4月17日 (日)

国鉄『お座敷列車の旅』号

80 休日運行を続けて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。赤字続きの国鉄の中にあって、旧型客車の処遇に一筋の光明を見出したのがこの『お座敷列車』でしたね。

座敷好きの名古屋人好み(?)の車両を造った名古屋局から広まって、この当時は各局が競うように『お座敷客車』を登場させていました。これも名古屋局のものだと思っていたのですが、写真をよく見ると、不鮮明ながら『南シナ』の表示がお分かり頂けると思います。東京から遥々東海道線を下ってきたようですね。

そもそも『お座敷列車』の元祖と言えば、名鉄の755号・756号(元祖『北アルプス』)ですね。名古屋圏の飲食店の特徴として、集客に『座敷席』の有無が大きく関係する点があるようですが、列車に関しては名古屋圏に限らず『お座敷』は根強い人気があったようですね。今はその様な『団体』そのものが下火になってしまったようですが。

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2011年4月15日 (金)

豊橋駅で一息入れる旧国

402 週末ですので運行再開致します。今回はこんな写真を選んでみましたが、例によって旧国は『門外漢』ですので、詳細な解説はできません。悪しからずご了承下さい。

当時はまだ、飯田線の『黄金時代』。関東・関西から流れ着いた旧国がウジャウジャいた時代でした。基本的に名鉄オンリーの私でさえ、何かしら惹きつけられるものがあったからこそ、こんな写真も撮ったのでしょう。ですから、正直申して形式もロクに分かりません。旧国はそれぞれ特徴的なディティールを持っていましたから、見る人が見れば一目で判るのでしょうが…。

そう言えば、背景に写った豊橋ターミナルビルも既に過去のものですね。改札周りは何とも言えない雰囲気が漂って、豊橋に来たのを実感したものですが、今はよく言えば近代的になって『垢抜けた』雰囲気になりましたが、悪く言えば、それまで持っていた『個性』が失われた感じですね。僅かに地下には当時の雰囲気の片鱗を感じることが出来ますが。

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2011年2月24日 (木)

地鉄線内の国鉄キハ58系

58 引き続いて地鉄乗入れ急行をご紹介しましょう。これは『うなづき』号ですね。『のりくら』1号に併結されて名古屋から高山線経由で来ていますので、キハ58系が使用されていました。

この列車も基本的には、前回ご紹介した『立山』1号と同様に宇奈月温泉で一泊した後にアルペンルートへ向かう観光客用に設定されていましたね。ですから、名鉄『北アルプス』と同様に冬季間は運休となっていました。これらの列車は徐々に北陸線特急・マイカーなどに乗客を奪われて、運行期間も夏休み中のみへと短縮の道を辿って、ついには地鉄乗り入れ列車が全廃されてしまいました。

さて、この駅ですが、ここは確か中滑川だったと思います。そう言えばここは『右側通行』ですね。当時も既に自動信号化していたはずですから、タブレット閉塞時代の名残りか、駅舎と繋ぐ構内踏切の位置関係から来ているのかも知れませんね。(詳細は私には不明です)

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2011年2月23日 (水)

地鉄線内の国鉄475系

475 前回ではキリ番のお礼が出来ませんでしたので、今回はこんな写真を選んでみました。ここが何処か分かる方、相当な『地鉄通』の方ですね。

以前にも書きましたが、地鉄訪問は日帰りでしたので、鉄道線も軌道線も満足には乗れませんでした。そんな中でも本線だけは乗り通そうと宇奈月まで行った帰りに対向から現れたのが国鉄からの乗入れ車475系でした。これは確か『立山』1号の一部編成が宇奈月まで直通していたものですね。

『立山』号が宇奈月行きとは是は如何に、などと突っ込みたくなりますが、立山へ向かう前に宇奈月温泉で一泊するルートが確立されていたからですね。立山へは翌日の『アルペン特急』で向かうことになります。そう言えば、この時代の『アルペン特急』には8000系もアルバイト運用で使われていましたね。

さて、この駅は浦山駅です。急行停車駅で、国鉄乗入れ急行は地鉄線内『特急』扱いですから通過しています。ご覧の通り鄙びた感じの駅ですが、普通列車は基本的に電鉄桜井止まりでしたから、それまでの各駅は急行でも全て停車していました。

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2011年1月31日 (月)

葡萄色の旧国

40 国鉄ついでに今回はこんな写真を選んでみました。車内からたまたま撮ったものですので、門外漢の私には形式すらわかりません。何卒ご了承下さい。(自分で撮っておいて何ですが…)

飯田線にはいろんな旧国がいましたが、葡萄色の旧国はこの時が初めてでした。クモハ43型など他線では葡萄色で活躍していた車両でも、飯田線では殆どがスカ線色に塗られて活躍していましたので、ひょっとしたら事業用車なのかも知れません。(何分詳しい事はサッパリ分かりません)

名鉄に乗って名古屋方面に向かっていた際、豊橋機関区の側線が終わろうかと言う所に、突如現れた見慣れぬ車両に反応して撮ったものですから、構図も何もない写真になってしまいました…。

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