カテゴリー「o2.他社(関東・関西地方)」の41件の記事

同上、関東・関西の他社関係

2012年10月21日 (日)

東急8500系急行渋谷行き

8500週一運行を再開致しましょう。今回も『銀色』ついでにこんな写真を選んでみました。(画像の不鮮明さはご了承下さい)
ここは何処かは、かなりの『有名地』ですから若い人でもお分かりでしょうね。大都会の真ん中の廃線跡は、今でもこのまま残っているようですね。

さて、東急も基本的には『門外漢』ですから、詳しい解説はできませんので、予めご了承下さい。
この8500系は確か、田園都市線の新玉川線直通用に造られたものですね。てっきり『専用車』だとばかり思っていましたが、当時の東横線にも何本かは走っていたのですね。東横線は8000系の独壇場だとばかり思っていましたので、ネガをスキャンした時には不鮮明さも手伝って、まさか8500系が写っているとは思っていませんでした。

桜木町もそうですが、今度は渋谷が創業以来の場所から移動することになりますね。副都心線と乗入れて、もう一つの壮大な乗り入れが始まりますね。東急線内で東武車両を見るのは(その逆も)実に奇異に感じましたが、今度は、それに西武まで加わり、訓練運転のために、東急車があの西武線を既に走っているようですね。
五島慶太・堤康次郎の両氏が生きていたなら絶対に実現しなかったであろうことが、もう『秒読み』になってきています。東横線渋谷駅を中心とした『再開発』も併せて行われるようですから、数年後にはまさに見違えるような感じになるのでしょうね、きっと。

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2012年10月14日 (日)

相鉄6000系急行横浜行き

6021週一運行を再開致しましょう。今回は名鉄から離れてちょっと変わったところをご紹介しましょう。ここはそこそこ知られた所ですので、大方お分かりだろうと思います。とは言え、こんな感じのアングルは車内からでなければ、まず撮影はできませんね。

さて、相鉄も基本的には門外漢なので詳細な解説はできませんが、この車両は有名な『1点もの』ですね。偶々停車していましたので、慌てて撮影した次第です。
当時はまだまだ『銀色』電車は珍しい時代。大量に保有していたのはステンレスの老舗である東急と、ステンレス・アルミとも保有していた営団地下鉄(現在の東京メトロ)位で、他社はごく少数の試作車を持つに過ぎませんでした。

そう言えば、まだ当時の相鉄は山陽電鉄などと同様に『準大手』と呼ばれていましたっけ。首都圏内の『大手』としては唯一東京へ向かわない鉄道会社でもありますね。
それと同時に不思議に思ったのは、この海老名に直通する列車が全て『急行』である点ですね。そのダイヤは今でも踏襲されていますが、それが何となく、豊橋にダラ(各停)が発着しない名鉄に通じているように思われて、親近感を感じていたものでした…。

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2012年6月24日 (日)

高島町付近の東急8000系

8000週一運行の再開です。今回はちょっと趣向を変えて、こんな写真を選んでみました。ここはまだ『廃線跡』がそのまま残されているようですね。撤去するにもなかなか難しいのか、10年近くなるのに一向に撤去する気配がないですね。

8000系はつい最近まで東急の『顔』とでもいうべき車両で、それこそ東横線にもウジャウジャいたのですが、あれよあれよと数を減らしていってしまいましたね。晩年は更新を受けて『ガングロ』になっていましたが、あの塗装を始めてみたときは、まさに『ガングロ』を間近で見た時と同様の感想でした…。最晩年には登場時の姿に戻された編成もありましたっけ。

写真はまだ昭和50年代のものですから、最晩年のくすんだ姿とは比べられないほど輝いているのが、何とかお分かり頂けるかと思います。(写真がくすんでしまっていますが…)
横浜に行ったのはこの時が初めてでしたので、街の様子がよく分からないままに連れられていたような感じでした。

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2012年3月25日 (日)

小田急7000系あしがら号

7000休日運行2日目を進めて参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。後に10000系と同じ塗装(塗り分け)に変更されていますが、この写真を撮った当時はまだ10000系の登場前。この7000系が『最新特急車』として小田急の『顔』になっていました。

同じ『7000系』でしたから、小田急車の中では特に親近感を持っていましたっけ。同じ展望車でも約20年の差がありますから、時代の差からくる洗練されたデザインは比ぶべくもありませんね。小田急としても当時使える技術を惜しげもなく注いだ車両ではなかったかと思います。

当時は小田原線特急でも『さがみ』号にはまだSSEが入っており、箱根行きはNSEとこのLSEが充当されていました。そういえば、LSEは『えのしま』号にも入っていましたが、NSEが箱根特急以外に入っているのを見たことがないですね。その辺は門外漢の私には事情が不明ですが、何かしらの制限があったのでしょうか。

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2011年4月12日 (火)

小田急3100形【御礼31000count突破】

31002 ブログ更新もままならない中、何だかあっという間に31000countを突破しておりました。御礼方々、平日ながら臨時運行をさせて頂きます。これも他社ですが、番号ネタで今回はこんな写真を選んでみました。

これは言わずと知れた小田急NSEですね。当時は新宿駅大改造の真っ只中、ここは現在の1番ホームですが、遠くに写った表示は2番ホームになっていますね。1番ホームは『対岸』の、今は乗降に使っていないホームが名乗っており、特急(確か『はこね』号限定の)専用ホームとしていました。

そういえば、この当時と比べると新宿駅も随分と変わりましたね。頭端式ホームの先にある『正面改札』の位置も、ホーム側からみると今よりかなり奥まった所(JRみどりの窓口寄り)にありましたね。特急券発売所も小田急直営(?)のものはなく、小田急トラベルの西口正面カウンターのみで発売していました。その横には、最終の『あしがら』号専用の自動券売機が設置されていましたね。当時としては座席指定の『特急券』を発売する券売機は実に珍しいものでした。

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2011年2月19日 (土)

銚電デキ3号

32 銚電の締め括りにはやはりこれですね。頭の切れたピンぼけ写真ですが、今回はこれを選んでみました。まだまだ現役のようですが、末永く元気でいて貰いたいものですね。

写真にも僅かに写っていますが、当時は本当の意味の『現役』で、この様に国鉄(当時)と貨車の受け渡しを担当していました。貨車の中身はご承知の通り醤油が殆どですね。この仲ノ町車庫の隣(裏?)には有名な醤油メーカーの工場がありますね。鉄道の車庫・工場内と言えば、殆どが機械油の臭いが『定番』なんですが、この仲ノ町車庫は醤油の香ばしい匂いで満たされていましたっけ。

こんな小ささで貨車が牽いていたのかと、当時はかなり驚いていましたが、貨物側線などで活躍している『スイッチャー』などはもっと小さな車体のものもありますから、旅客車の運行速度も低い銚電のダイヤでは、そんなに『邪魔者』になることもなく活躍できたのでしょうね。

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2011年2月18日 (金)

銚電301号の運転台

301_2 引き続き銚子電鉄をご紹介して参りましょう。今回はこんな写真を選んでみました。これは301号の運転台です。

当時は名鉄でも旧型車がウジャウジャいましたので、こんなマスコンはそれこそ『掃いて捨てるほど』ありましたっけ。ご承知の方も多いとは思いますが、この形からして直接制御車のようですね。名鉄では市内線用車によくありましたね。あまり電動機出力の大きくない場合によく用いられましたので、低速でしか走行しない路面電車などでの採用例が多いのですが、直接吊架のトロリー線と言い、このマスコンと言い、およそ『地方鉄道』らしからぬ所が銚電にはありましたね。

写真ではよく分かりませんが、そう言えば速度計もなかったと記憶しています。余談ながら、名鉄の旧型車にも速度計のない車両は幾らでもありましたし、この時代なら他の私鉄でもあったでしょうが、日常的に100km/h超の運転を行っていた車両で速度計がなかったのは、恐らく名鉄くらいでしょうね。

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2011年2月17日 (木)

銚子駅の銚電301号

301 引き続いて銚電をご紹介して参りましょう。今回は銚子駅で撮影したこんな写真を選んでみました。今はどの様になっているのか私には不明ですが、多分、ここもこの当時と大きく変わっていないのではないでしょうか。

銚子電鉄の起点は言わずと知れた銚子駅ですね。国鉄(当時)の一角に『間借り』した感じが何とも言えませんね。現在は別改札化する鉄道が多いのですが、ここは島式ホームの一角を切り取った形ですから設けるとすれば中間改札ですが、こんなシチュエーションでスイカ対応の自動改札機が並んでいる、と言うのも想像するだけ野暮ですね。

この時はそのまま銚電に乗り継いで、帰りも連絡乗車券を買ってそのまま総武本線の列車に乗っていますので、結局、銚子駅の改札は通らないままになっています。それにしても広い構内ですね。余談ながら、301号の奥には僅かに国鉄183系の『しおさい』号が写っていますね。

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2011年2月16日 (水)

銚電701号

701 引き続き銚電をご紹介していきましょう。今回はこんな写真を選んでみました。この700形は両端の『顔』が違っていましたね。

もとは近江鉄道から流れてきた車両のようですが、車籍は昭和3年製と古いようですが、車体は後年にしっかり更新された感じです。元の形を知りませんので飽くまで想像ですが、こちら側はどうやら貫通型だったようですね。

今は『ぬれ煎餅』で有名な銚電ですが、当時はまだ登場前。それでも車内で『たい焼き』の取次ぎを車掌さんがしていましたっけ。のどかなローカル線ほど、経営的には厳しくなってやむなく『廃線』になるのがお決まりのパターンなんですが、この銚電はそんな中でも健闘している方ですね。

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2011年2月15日 (火)

銚電700形

702701 今回は関東つながりでこんな写真を選んでみました。銚子電鉄、通称銚電は以前にもご紹介しましたね。

この700形は昨年引退するまで結構長く銚電の主力として働いていましたね。晩年は色々と塗装も変更されて、私からするとちょっと『厚化粧』のようにも見えました。色々あって経営的にも厳しい鉄道ですから、話題作りをしないといけない事情も分からないではありませんが…。

当時はこの700形が最新だったはずで、随分と年季の入った車両が活躍していました。そう言えば、完全な『地方私鉄』のはずですが、トロリー線は市電などでよく見られる直接吊架式でした。今もそのままかどうか、この時以来訪ねていませんので不明ですが、何かアンバランスな感じがしましたっけ。

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